年別アーカイブ:2022年

インターネットが進めたチーム研究

2022年3月14日   岡本全勝

3月3日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」、坂村健さんの「決定に責任持つ覚悟を」から。

――良いリーダーには何が必要だと思いますか。
「リーダーのあるべき姿は、どんな組織なのか、どんな経済環境やビジネスモデルなのか、といった条件によって変わってきます。こういう人ならどんな組織のリーダーにもなれる、なんて人はいませんよ。和をもってよしとするのがいい状況もあれば、リーダーシップを強く出してチームを引っ張っていかないといけない状況もあります」
「ただ共通しているのは、自分が決定したことに対して責任を持つ覚悟ではないでしょうか。リーダーとは決定権を持つ存在です。自分の組織がどうなっているのか、リーダーは状況をしっかり把握しないと、次にどうすべきかを決めることはできません」

――若い頃からチームのリーダーとしてプロジェクトを進めてきたのでしょうか。
「僕が学生の頃、研究はチームで行うものではなかったです。当時は個人主義で、一人で研究するスタイルが主流でしたから。研究者としてのキャリアのスタート地点ともいえるトロンを始めたのは1984年です。79年に慶応義塾大学の大学院を修了し、すぐに東京大学の助手になりました。その後、講師になろうとしていた頃です」
「まだ今ほどコンピューターが進歩していなかった時代です。普及し始めていた大型コンピューターの研究は一人で行うのは難しかった。そういう中で、70年代にマイクロコンピューターが登場したことで、これなら研究チームを組まなくてもできそうだと考え、一人でプロジェクトを立ち上げたのです」

――研究の進め方が個人からチームへ、変わってきたのはいつごろからでしょう。
「チームの力が強くなったのは、インターネットが普及し始めた頃でしょうね。80年代にインターネットは民間開放されました。それまでは軍事技術だったのです。やはりインターネットの普及が、人と人とが密接に連携することを簡単にしたんですよ」
「昔はとにかく連絡を取り合うのが大変だった。電話をかけるか、手紙を書くか、直接会うかしかないでしょう。研究の途中で24時間いつでも相談できない。いまはメールもあるし、SNS(交流サイト)もある。遠く離れている人と連携しやすくなった。環境の変化がいまのチームの基礎になっていますね」

時事ドットコムに転載「管理職研修の盲点」

2022年3月13日   岡本全勝

3月1日にコメントライナーとiJAMPに載った拙稿「管理職の必須知識」が、時事通信のニュースサイト「時事ドットコム」に転載されました。
企業も役所も大変!今どきの管理職研修に大きな盲点」です。無料閲覧可能なので、ご覧ください。なお、3月7日の『地方行政』にも載せてもらいました。

表題が、分かりやすいものに変わっています。なるほど、専門家は違いますね。
一般ニュースに取り上げられるとは、私の指摘が良い点をついていたということでしょうか。
「明るい公務員講座」3部作を書いたときに考えましたが、職員養成の重要性が叫ばれる割には、官民とも力を入れてこなかったように思います。「職員研修は充実している」と、関係者からは反論がおきるでしょうが。
1 職員養成とそのための手法(研修だけでなく)の、全体像や系統的な教科書がないこと。
2 職員養成の専門家が、企業や役所にいないこと。各分野の専門家はおられるのですが、全体を分かる人です。

今、勉強中です。この1と2について、良い教科書と専門家がおられれば、教えてください。お教えを乞いに行きます。

春ですね

2022年3月13日   岡本全勝

東京は、昨日12日今日13日と、一気に暖かい日になりました。キョーコさんのお供で外出しましたが、コートが不要でした。下着も、春用に替えました。

玄関横の椿は、まだきれいな花を咲かせています。もうそろそろ終わりでしょう。
プランターのチューリップが、伸びてきました。ご近所のミモザが、鮮やかな黄色い花を咲かせています。散歩途中の善福寺川沿いの桜の中には、つぼみが膨らんできたのがあります。

共同通信配信「東日本大震災11年 復興の課題」

2022年3月12日   岡本全勝

共同通信社「識者評論」に「東日本大震災11年 復興の課題」を寄稿しました。「計画策定 人口減を前提に」という表題で、いくつかの地方紙に掲載されています。

社からの依頼は、復興の反省点、特にインフラ復旧が課題になったのではないか、今後同じ轍を踏まないためにどうすればよいかです。
そこで、批判を受けた事業を取り上げました。過大な防潮堤、新しい町での空き地、新設住宅が空き家になる恐れの三つです。
関係者は誰も、無駄なものを作ろうとしたのではありません。この三つに共通するのは、人口が減少する地域では元に戻すと過大になるということです。今後の大災害で町を復旧する際には、この点を念頭に置いておく必要があります。

大震災での仮埋葬

2022年3月12日   岡本全勝

3月4日の読売新聞「東日本大震災11年」は「火葬の備え 広域連携 「追いつかず土葬」教訓に」でした。

・・・震災から3週間ほどたった2011年4月上旬、宮城県石巻市の広場。火葬率がほぼ100%の日本で土葬が行われた。深さ2メートルの地中に 棺ひつぎ が並べられ、遺族らが泣きながら土をかぶせた。・・・
・・・同県では全国最多の9544人(関連死を除く)が亡くなった。県には震災翌日から「遺体安置所がいっぱいになった」「棺が足りない。用意してほしい」「ドライアイスがほしい」と、沿岸市町の要望が相次いだ。竹内直人・県警本部長(当時)は5日後の3月16日、県災害対策本部で「おびただしい数のご遺体があり、保管が日増しに問題になっている」と報告した。
県内の火葬場27か所のうち、7か所は被災するなどして稼働できなかった。残りの火葬能力は燃料不足もあって1日50体程度と通常の4分の1で、遺体の数に追いつかなかった。搬送する車やガソリンも足りなかった・・・

・・・仮埋葬の期間は2~5年としていたが、数週間後には「早く火葬してあげたい」という遺族が重機を持ち込み、自力で棺を掘り起こし始めた。他県に搬送できるめども立ったため、6市町は予定を大幅に繰り上げ、棺を掘り起こして火葬する「改葬」を11月までに行った。
改葬も過酷だった。自治体の依頼で作業した葬儀会社の一つ「清月記」(仙台市)の西村恒吉さん(48)は石巻市を担当した。掘り起こした棺の中の亡きがらは、遺族に最後の対面をしてもらえるような状態ではなかったという。市は遺族の立ち会いを断らざるを得なかった・・・