一強独裁を生む「中華帝国」の歴史

10月28日の朝日新聞文化欄、岡本隆司・京都府立大学教授の「一強独裁を生む「中華帝国」の歴史」から。
・・・習近平は中国の長い歴史を見れば正統派の為政者だろう。私は集団指導体制だった胡錦濤らの方がむしろ例外的な指導者なのであって、「一強」の皇帝でなければ中国は安定してこなかった「中華帝国」という史的システムが、西側では「悪党」扱いの独裁者を生んでいると考える。
中華帝国とは中国固有の言葉ではない。しかし、2千年以上皇帝を至上の君主に仰ぎ、広大な地域と多様な集団をまとめていたという意味で、中国はまさに帝国だった。
中華帝国の特徴は、異質なものを取り込み、秩序を保つ多元共存だ。地域の偏差、エリートと民衆の格差は大きく、社会も多層的である。同じ「民族」の中でも血縁・地縁による集団があり、独自のルールがあるので、この多様な集団をまとめるために「中華」という唯一至上の中心が必要だった。また常に北方や西方から遊牧民に脅かされてきた中国にとって、社会・領域の統合が何より重要だったのである・・・

・・・中国を国民国家にするのは難しい。中華帝国というかつてのシステムがあり、多元が多元のまま共存していたところに唯一均質の国民意識を作らねばならないからである。西欧的な普遍的価値だけでは、その苦悩は理解できない。中華帝国の歴史を学ぶことが大事だろう。
その歴史でいえば、現在の習近平体制からは明王朝(1368~1644)が想起される。寒冷化と感染症蔓延に遭遇して、モンゴル帝国(元)による中国の統合が限界になった時、群雄割拠を勝ち抜くためには軍事体制を整え、住民を統制する必要があった。当時は不況のまっただ中。軍を維持し民衆を養うためには農業を立て直さなければいけなかった。
そのため明の初代皇帝・朱元璋や息子の永楽帝は農民の直接統治を目指し、住民の移動交通を制限した。地主などの中間層を弾圧し、地方を広域に掌握していた「中書省」を廃止。不正があったとして芋づる式に官吏らを粛清した。そして次第に皇帝と近臣のみで専制的な統治体制を布いた。このあたりは、汚職撲滅を掲げて民衆の支持を得ようとし、「一強」的に権力集中を進める習近平を彷彿とさせる。
永楽帝らの農本主義により生産が回復し、商業金融も盛んになった。すると商業や海外との交易を求める民意と体制護持をはかる権力とが対立する。有名な「倭寇」はその一例だろう。王朝権力が民間社会から遊離し、私物化体制となって、最後には滅亡した。香港や台湾の民意を顧みず抑圧・威嚇し、思想・経済の統制強化をおしすすめる習近平体制の今後が気になる・・・