官邸一強を支える日本政治の構造変容

8月11日の朝日新聞オピニオン欄、松尾陽・名古屋大学教授の「「官邸のせい」言説はなぜ 権力構造の「健診」が必要」から。

・・・さて、事件の前から安倍政権については、既に多くのことが語られている。日本の歴史上、最長期間を務めた総理大臣。集団的自衛権の問題をはじめとして憲法問題についても積極的に動いた。
称賛であれ非難であれ、2010年代の長期政権の間は、メディアは彼の一挙一動を報道していた。すべてが彼や彼の周りに原因があるかのような言説もみられる。「官邸主導」や「官邸1強」、はては「独裁者」といった言葉が大手メディアやネット上にあふれていた。今回の事件後、「社会に分断をもたらした」という声も聞かれた。
このような言葉を憲法の観点からどのように受け止めることができるのか。近代憲法では、一人の人間、一つの機関に権限が集中しないようにする国家の枠組みが設けられている。ただ、この枠組みは、憲法典の規定だけではなく、社会、経済、政治の構造によっても支えられる。憲法典の規定だけで、権力集中が防げるわけではない。

「憲法」は英語でconstitutionであるが、もともとは「構成」という意味で、全体のバランスのことである。「You have a good constitution」は「健康ですね」と訳される。モンテスキューやマディソンなど、憲法の基本となる考え方を発展させた人びとも、国家や国を支える構造全体のバランスのことを考えていた。社会、経済、政治の構造に支えられながら、憲法上の制度は機能する。
このような仕組みが健全に機能しているとすれば、安倍元首相や官邸に権力が集中するはずはない。集中したとしてもチェック機能が働くはずだ。彼をめぐって展開された言説は誤解に基づくものであるのか、あるいは、このような憲法の枠組み全体にひずみが生じているのか。
ここで問題としているのは、安倍政権の内実ではなく、『すべて安倍首相や官邸のせいだ』といった言説を生み出した構造は何かということである。

鍵となるのは、この30年で生じている日本政治の構造変容である。冷戦の終結後、民意が反映される形でのリーダーシップが期待され、さまざまな改革が行われてきた・・・
・・・他方で、「政治主導」をスローガンとして、官僚の権限を弱める改革も行われた。各省庁の事務方のトップが大きな影響力を行使していたとされる事務次官等会議も09年に廃止された(数年後、次官連絡会議という形で復活したが、情報共有の側面が強いとされている)。また、各省庁でなされていた決定を政治家がひっくり返すという「事業仕分け」という象徴的な場も設けられた。

これらの改革だけが原因ではないものの、政党と政治家の関係、政官関係など、政治構造は大きく変容し、官邸や党の執行部に権限が集中するようになった。他方で、与党に対抗する規模の野党が長期的に形成されてきたとは言い難い。このように変容した構造の上に第2次安倍政権は成立していた。
以前に比べれば、リーダーシップが発揮される条件は達成されたのかもしれない。しかし、民意の反映のあり方は変わってしまった。安倍政権の内実だけではなく、それを支えてきた構造自体の検証も必要であろう。30年で移り変わった、この国全体のバランス、すなわち、constitutionを見直す「健康診断」が必要である・・・