曽我記者、安倍総理の評価

7月17日の朝日新聞「日曜に想う」は、曽我豪・編集委員の「安倍氏の「顔」が改まるとき」でした。
・・・安倍晋三氏には二つの顔があった。
動と静、硬と軟。時流を引き寄せようと急(せ)く保守の原理主義者の顔と、現実と折り合う機会主義者の顔である・・・

・・・(自民党総裁選再出馬の際に)ただ、体調不良から一度目の政権を投げ出したことを世間は忘れておらず、谷垣禎一総裁や石原伸晃幹事長に後れをとれば終わった政治家と言われよう。そう指摘すると、うなずいていたが、後で安倍氏は携帯に電話をかけてきた。
「出馬する。勝負しての負けなら負けで仕方ない。それよりも、勝負できない政治家と思われた方が終わりだ」
リベラル色の濃い新政権の誕生を阻む保守の勝負どころとみたのだろう。谷垣氏が出馬を断念し、石原氏が失速して安倍氏は総裁に返り咲いたが、運を引き寄せたのは「動と硬」の顔だった。

晩秋に入り、民主党の野田佳彦首相が突然、党首討論で安倍総裁を相手に衆院解散を宣した。その夜、政権を担う場合の政策課題の優先順位づけを尋ねた。安倍氏の顔は「静と軟」に改まった。

「改憲は三番目だ」と明言した。「デフレ脱却が二番目。一番は、東日本大震災の復興を含む危機管理だ」と続けた。
一度目の政権の失敗体験があった。教育基本法改正など保守的改革の実現を急ぎ過ぎ、「消えた年金」問題で政権が混乱した結果、参院選で惨敗した。ならば民主党政権との違いを示すためにも、危機管理と経済政策の実を挙げたうえで改憲へと向かおう。そう考えたのだろう。
事実、改憲不要論を招くのは承知のうえで、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認と安保法制の成立を先行させた。特定秘密保護法も含め世論の賛否が割れる懸案を処理した後は、支持率と株価が堅調になるのを待ち、衆院解散の機会を計って政権を安定させた。「アベノミクスで得た政治的な資産を安保・憲法で使う」と説明するのを聞いた。

だが長期政権の弊害が覆い隠せなくなると、かたくなな顔が現れた。森友・加計疑惑など政権のゆがみが露呈しても説明責任を果たさず、コロナ危機に際しては地方や現場の異論をくみとれぬ官邸主導の弱点をさらけ出した。一番に見据えた危機管理能力が陰り、改憲の目標は果たせぬまま、体調不良により退陣した・・
詳しくは原文をお読みください。