オリンピック、感じる崇高さより軽さ

2月16日の朝日新聞スポーツ面、バルセロナ五輪出場、法政大・杉本龍勇教授の「五輪、崇高さより“軽さ”感じる」から。

――五輪の価値が下がってきていませんか。
「自分もその舞台に立った人間ですし、現役の選手には申し訳ないのですが、今は他の娯楽とさして差がない軽さを感じます。五輪に出ている側からすると崇高な場であっても社会の評価としては消耗品。スポンサーの広告ツール、そしてメディアのコンテンツとして瞬間的に視聴率を稼ぐための材料となっています」

――その軽さはどこからくるのでしょうか。
「メディアには、選手やスポーツの価値を高める発想が欠けていると感じます。東京五輪は多くの人がコロナ禍で苦しむ中で開かれ、あれだけ五輪やスポーツの価値を社会的に考えようとなった。それなのに大会後、メダリストがメディアに出るケースが多くはバラエティーで、いじられ役になっている。選手の本来の姿を見せることを優先させず、別の側面ばかりを見せ、当座のコンテンツにしています」

――他にもスポーツの価値を高める選手像はありますか。
「大リーグの大谷翔平選手です。こちらは、余分なセルフマーケティングをせず、自分のプレーだけを見せている。自己欲求を達成するために、自分の持てる力を高め、それを試合で披露することに集中しています。余分な装飾をはずしている分、スポーツが持つ本質的なエンターテインメント性を高めることにつながっています」

――五輪と人々の距離を近づける方策はありますか。
「メディアの伝え方は考え直した方がいいかもしれません。テレビを見ていても、コメンテーターや音楽、映像を駆使して番組を盛り上げようとする雰囲気に、視聴者が付いていけていない気がします。自分は、粛々と競技を見せて欲しいというのが本音です。それぞれに閉塞感を抱えたコロナ下では特に、演出はいらない。選手のすばらしいパフォーマンスをリアルに見てもらい、何かを感じてもらうためにも、あおることなく、良い意味で淡々と見せることが一番いいと思います」