「エビデンス至上主義」の危うさ

朝日新聞デジタル医療サイト、失敗学の畑村洋太郎さんの「「考え」ない菅首相、その罪深さと正しさ」(9月12日)の後段から。

・・・僕は東京電力福島第一原発事故の政府の事故調査・検証委員会の委員長を務めたけど、失敗の原因をさぐるためには、なぜこんなことが起きたのか、「推測する力」が必要な場合もあるんだ。
ところが今の科学は、推測で書いているようなものはどんどん排除しようという方向になっている。「エビデンス」などといって、証拠がないことを発言してはいけない、という空気も強まっているように思う。
でも、そういう考え方の制約を外さないと、正しい考え方はできないんじゃないか。

委員長をやっていたときに開いた国際会議の中間報告書で、僕は「あり得ることはこれからも起こる」「あり得ないと思うことも起こる」と書いた。
そしたら、フランスのラコステ原子力安全庁長官が「『思いつきもしないことさえ起こる』というのも足さないと、人間が考えるすべての領域を全部、採り上げたことにならないぞ」と言ってくれた・・・