シェークスピアは聞き、狂言は観る

8月3日の朝日新聞オピニオン欄、野村萬斎さんの「シェークスピアは冗舌マシンガン」から。

・・・実は、狂言とシェークスピア劇にはいくつも共通点があります。狂言は中世にさかのぼり、シェークスピアも中世から近世にまたがった劇作家と認識しています。どちらも、普段の会話を口語体でしゃべる一方、韻を踏むなど様式的な文章を口にする。そういう文体に対応する「謡う」とか「語る」という技術が、狂言師の我々にはあります。

ただ、シェークスピア劇は文字数が多い。冗舌ですね。日本ではお客様のことを「観客」といい「見る」お客様ですが、英語ではオーディエンスといって「聴衆」、つまり「聴く」ことにウェートがあるためでしょう。だからシェークスピア劇を演じる時は、口、舌の回転数をあげる必要があります。
狂言の場合は、息継ぎをしながらも大きく抑揚をとって短い言葉を発していくのに対し、シェークスピア劇は、特に訳された日本語だと、マシンガンのように矢継ぎ早に話さないとダレてしまいます。口跡の回転率をあげ、腹の底からというより、少し胸高にしゃべる印象があります。

発声も違います。たとえば「ハムレット」の名セリフ。狂言式に話すと
(腹から出し朗々と)生きるべきか、死ぬべきか、それが問題でござる
とやります。一方で、現代の英国のシェークスピア劇では
(小声で、ささやくように)トゥビー…オアナットトゥビー…ザットイズザクエスチョン
という感じでしょうか。

シェークスピアの時代、自我が確立し、近代的な苦悩というものが劇中に登場しはじめた。自分のあり方を内向的に追求する表現は、ささやくような声のほうが現代の観客とは共有しやすいのかもしれません。悩みやストレスの多い時代になったので・・・