頭は類推する。カタカナ語批判。1

なぜ、カタカナ語やアルファベット語は、理解しにくく、覚えにくいのか。人は、画像にしろ文言にしろ、連想で認識します。それは、次のようなことです。

まず、目で見る景色から説明しましょう。景色を見る場合、ぼやけた像から、はっきりした像に進みます。遠くから人が近づいてきた場合、最初は人か物なのか判別できません。だんだん近づいてきて、ぼんやりした像を見て、人だろうと判断します。さらに近づいて、服装によって男性か女性かを推測し、体つきから大人か子どもかを判断します。そして顔が見えてくると、知っている人か知らない人かを判断します。
最初から、知人のAさんだとはわかりません。それは、網膜に写った像を、頭の中の記憶にあるよく似た像にあてはめて、正解を探すのです。
テレビ番組に、モザイク画像を見て、何の写真かを当てるクイズがあります。最初は解像度の悪い画像で、何の写真なのかわかりません。だんだん解像度が高くなって、正解がわかります。私たちは、ぼやけた画像でも、記憶の中から似たものを探します。「脳の働きと仕組み、推理の能力

言葉も同じです。耳にした言葉が、はっきりしたものでなくても、よく似た言葉に当てはめます。その単語の発音に似た単語に当てはめます。外国語が聞き取りにくいのは、経験が少なく、頭の中の類似例が出てこないからです。
聞き慣れた日本語を理解する際にも、辞書で単語を引くように、発音の1音目から解読するのではありません。私たちは、耳で聞いた音声を、1音ごとに音声そのもの(発音記号)として認識しているのではありません。ひとかたまりの音声(単語)として聞いて、それを頭の中の類似例に当てはめ、正しい単語を探します。
この項続く