新聞の編集権

3月26日の朝日新聞「池上彰の新聞ななめ読み(最終回)」に、「何を書いても自由です」と言われて書いた記事が、掲載を見送られた顛末が書かれています。

・・・ところが、14年8月、事件が起きました。朝日新聞が過去の従軍慰安婦報道を検証する特集記事を掲載することになったので、コラムで取り上げて欲しいと要望されたのです。これまでコラムで取り上げるテーマについて注文がつくことはなく、珍しいことではあったのですが、大事なテーマであるだけに、論評することを承諾しました。
朝日の検証記事は、過去に朝日が報道した「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」という吉田証言が虚偽であることを認め、これを報じた朝日の記事を取り消したものです。
これについて私は、なぜ32年間も訂正しなかったのか、間違えを認めたら謝罪すべきではないか。検証すること自体は評価するが、遅きに失したのではないかと批判するコラムの原稿を送りました。
すると、このコラムの掲載を朝日新聞社の上層部が認めず、掲載されなかったのです。

言うまでもなく新聞に何を掲載するかの編集権は新聞社にあります。私がどうこう言える立場ではありません。しかし、「自由に書いてください」と言われて始めたコラムの内容が気に食わないからという理由で掲載されないのでは、信頼関係が崩れます。そこで私は「掲載するしないは新聞社の編集権の問題ですから、私は何も言いませんが、信頼関係が崩れた以上、コラムの執筆はやめさせていただきます」と申し入れました。
これはあくまで私と朝日新聞社との間の問題であり、私は誰にも口外しなかったのですが、「週刊新潮」と「週刊文春」の知るところとなって報道されました。私のコラムの掲載が認められなかったことを知った朝日新聞社内部の誰かが週刊誌に伝えたのでしょう。
ここから私は嵐に巻き込まれました。各メディアからの取材攻勢を受けたのです。

これをきっかけに、ライバル紙や週刊誌などからの朝日新聞バッシングが始まりましたが、驚いたことに、朝日新聞の記者たちが、次々に実名でツイッターに自社の方針を批判する投稿をするではありませんか。
実名で自社の方針を批判するのは勇気のいることです。自社の記者にツイッターへの投稿を禁止する新聞社もある中で、記者たちに言論の自由を許している朝日の社風に感銘を受けました。多くの記者たちの怒りに励まされる思いでした。
こうした社内の記者たちの怒りの声に押され、朝日新聞は誤りを認めて、私のコラムは掲載されました・・・

このあとも、興味深いことが書かれています。原文をお読みください。