年別アーカイブ:2020年

使い捨て傘、年間8千万本

2020年8月19日   岡本全勝

8月16日の読売新聞科学欄「貸し傘アプリで環境貢献」に、ビニール傘の問題が取り上げられていました。この記事は、スマホを使って傘を借りる仕組みを紹介しています。使い捨てを減らす試みです。

それによると、国内で年間8000万本のビニール傘が消費され、そのうち5000万本が捨てられているのだそうです。この数字には、驚きました。800万本、500万本でも多いと思うのに、一桁違うのです。

しかし、捨てられる本数との差は3000万本です。それが毎年続くと、4年で1億本になります。これも、にわかには信じがたいです。各家庭に、ビニール傘があふれかえりますよね。

憲法を改正できない国

2020年8月19日   岡本全勝

先日で、戦争が終わって75年。その後、新しい憲法を作って、新しい国になりました。その憲法が、一度も改正されることなく、続いています。安定していると言えばそうなのですが。
日本が最古の憲法を持っていることは、知っている人も多いでしょう。日本国憲法より古い憲法を持つ国はありますが、他国はその後に改正しているので、法文としては日本国憲法が世界最古なのです。
第二次世界大戦が終結した1945年から2018年までに、アメリカは6 回、カナダは1867年憲法法が17 回、1982年憲法法が2 回、フランスは27 回(新憲法制定を含む)、ドイツは62回、イタリアは15 回、オーストラリアは5 回、中国は10 回(新憲法制定を含む)、韓国は9 回(新憲法制定を含む)の憲法改正を行っています。国立国会図書館「諸外国における戦後の憲法改正(第6版)

これを、安定しているとみるのか、それとも改正していない、改正できないとみるのか。私は、「改正できない国」と考えています。
日本の政治が安定している、日本国憲法が大まかで改定の必要がないという説もありますが、70年経って社会がこれだけ変わっているのに、全く改正しなくて良いというのはやはり変でしょう。
もちろん、基本的人権、民主主義などの根本は変えることはありませんが、人権の内容や統治の方法などについては、変えるべき点もでてきていると私は考えます。あるいは、憲法を変えなくても不都合がないようにできているのなら、これまた怖いことです。今後、憲法改正をしなくても、かなり重要な変更が可能になるということですから。この項続く

340万番達成

2020年8月18日   岡本全勝

今日8月18日に、340万番を達成しました。朝の時点では、まだ700ほどあるので、明日だと思っていたのですが、
330万番が2月24日でしたから、半年前ですね。あっという間に、時間が経ちます。面白くもないホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
2002年から始めて、18年続いています。飽きることもなく、記事を書き続けています。毎日の日課、というより休日や時間があるときに書きためることが、趣味になりました。記事に仕上げるには、けっこう時間がかかるのですよ。そこが、趣味たるゆえんですね。

新聞記事の紹介が、多くなりました。ニュースと言うより、解説記事を取り上げています。「そんな見方もあるのだ」と、勉強になった記事です。皆さんへの紹介とともに、私の備忘録です。もう少し私の解説をつければ良いのですが、手を抜いています。
そのいくつかは、連載「公共を創る」などの素材となります。かつては、切り抜いて半封筒に分類して保存していました。ここに書いておくと、場所を取らず、簡単に検索できるので便利です。もっとも、それらの多くは書いたことを忘れてしまい、検索の対象からも外れます。何かの拍子に、発見されることはあります。
その他には定番の、ながらスマホ批判、変な日本語批判があります。老人の繰り言ですね。

連載「公共を創る」を抱えているので、そちらを優先しなければなりません。もっとも、連載の執筆はより頭を使うので、はかどりません。こちらのホームページの執筆は、それに比べお気楽です。
間違いを指摘してくださる読者の方にも、感謝します。連載「公共を創る」の場合は、右筆たちが手を入れてくれて、さらに時事通信社の校閲さんが厳しく目を通してくださいます。その間違いの指摘の多さを考えると、このホームページの記述もたくさん間違いがあると推測されます。一人編集長の限界です。

毎日、難しい漢文を解説している、そして野球観戦現地調査にせっせと出かけている肝冷斎は、えらいです。

女性の雇用 M字カーブとL字カーブ

2020年8月18日   岡本全勝

8月14日の読売新聞解説欄、「女性の正規雇用 L字カーブ」が、女性の非正規雇用の問題を取り上げていました。
M字カーブはご存じですよね。女性の就業率が20代に上昇し、出産・育児期に落ち込み、その後再び上昇します。グラフにするとMの字形に見えるので、こう呼ばれました。結婚、出産でも就業を続ける女性が増え(就業できる職場が増え)、M字カーブは解消しつつあります。
ところが、このM字カーブの中を見ると、大きな問題を抱えていることがわかりました。正規雇用が、20代後半に5割を超えますが、その後下がり続けるのです。「へ」の字の形をしています。これを90度左に傾けるとLの字形に見えるので、L字カーブと名付けたそうです。これはやや無理があるようですが。

非正規雇用でも、正規雇用と処遇や給料が同じなら問題はありません。ところが日本では、非正規雇用は正規雇用に比べ条件が悪いのです。新たな課題が見えてきました。

この問題は、連載「公共を創る」第47回「平成で進んだ男女共同参画」でも、取り上げました。実は、女性右筆に指摘を受けたのです。

個人の社会経済観が規定する社会と市場の秩序

2020年8月18日   岡本全勝

8月5日の日経新聞経済教室「 アフターコロナを探る」、寺西重郎・一橋大学名誉教授の「米中、文明の衝突避けよ」は、統治制度、経済力からでなく、個人の社会経済観から日本、中国、アメリカの社会秩序の違い(私が使う司馬遼太郎の言葉では「この国のかたち」の違い)から、西欧と中国との違いを解説しておられます。

・・・コロナ禍の出現により、米中の対立は米政治学者のサミュエル・ハンチントンが指摘した「文明の衝突」であることが一段と明らかになった。それは単なる貿易摩擦でも覇権争いでもない。やはり一種の文化的争いとしてみる必要がある。
同氏は、冷戦後の世界では西欧文明の普遍性は否定され、西洋と儒教文化圏中国やイスラム教諸国などとの宗教などに関わる文明の衝突が、世界の均衡と成長のあり方を規定すると主張した。だが文化的要素の違いが西洋文明の普遍性を否定するメカニズムについて立ち入ることはなかった。
しかし重要なのはこのメカニズムだ。本稿では、社会と市場の秩序付けの方法は、その国の歴史的・伝統的な個人の社会経済観により決まるという立場から、米中対立の文明の衝突としての性格を読み解く。ここで社会経済観とは、各国の個人が日常の生活経験で抱く社会や経済の環境に関する見方という意味だ。国家などが様々な意図をもって市場や社会を統治しようとするが、その方法は基底では個人の社会経済観により規定されると考えるのだ。

新型コロナへの対策は、各国の個人が描く内面的な社会経済観と政府・民間の政策を巡るインターフェース(接点)の文化的特質を、結果的に如実に示すものとなった。コロナ対策でも香港政策でも、自由や人権といった普遍的とみられる価値に対する中国の否定は、単なる共産党の独裁体制維持行動によるものでなく、中国国民の基層的な社会観によると考えるべきだ。
まず西欧の自由・人権・民主主義といった啓蒙的価値の起源を振り返ろう。12世紀のイタリアの都市に典型的にみられるように、早くから社会的行動への市民的参加とネットワークが慣行として成立していた。
この背景には、独社会学者のマックス・ウェーバーが強調したキリスト教の下での神の創造した人類や公共を重視する観念の影響がある。他者への考慮でなく、公共概念を基軸とする集団的意図性が人々の世界観に組み込まれてきた。集団的意図性の下では、人々の社会的な制度やルールに関する合意が成立しやすく、社会と市場の秩序を守ることが低コストで可能となる。
加えてルールや法制度は公共の目的のため人々の行動を制約するので、法治制度の下でルールを適用し社会秩序を維持するには、自由・人権・民主主義といった自律的な個人としての人間の啓蒙的価値の尊重が不可欠な前提となる。これが17~18世紀社会契約論での取り決めだった。西洋は理性への高度の信頼の下で、自由と人権の価値を強調しつつ、制度により市場秩序を維持することで、高度な文明社会を構築してきた。
啓蒙的価値は法と制度による社会と市場の秩序付けという法治と一体となり、相互補完的な仕組みとして広く西洋社会に浸透した・・・

・・・これに対し中国では、公共の観念に基づく集団的意図性は人々の内面的な社会観では成立しなかった。独特の死生観に基づく家族観と先祖崇拝が社会を縦に分断した結果、公共意識による社会的な意見の集約が難しくなり、ルールとしての法制度による市場と社会の秩序付けを困難にした。
中国での社会と市場の秩序付けの方法は「士庶論」とも呼ぶべき、社会をエリートと非エリートから成る二重構造としてみる社会構造観から生まれた人治による秩序付けとして要約できる。士庶論は三国時代にまで遡るエリート(士)と非エリート(庶)から成るとする社会観だ。三国時代は門閥貴族が、隋・唐時代以降は科挙に合格した士大夫と呼ばれる官僚が、おそらく現在では共産党員が、エリート層を構成すると意識しているとみられる。
士庶論の重要性は朱子学の成立以後、理気論の人間観と結合したことだ。すなわち本然の性たる天の理を会得した人は聖人になり、その他の多くの人は気質の性にとどまり、未完成な道徳的修養のままの状態に生きるという人間観だ。
こうして中国での社会の秩序付けの基本は、士庶論と理気論に基づく人治を基本とするものとなった。聖人として天の理を体得した集団が社会のリーダーとなる。一方、非エリート層はエリートの判断下で自由や人権の制限を含む罰則を前提に許容されているのだ・・・
・・・第3に一層重要なのは、法制度による秩序付けと一体の自由・人権など啓蒙的価値は、エリートによる人治の下で奔放に行動する中国の非エリート層には理論上意味を持たないことだ。
中国の国民は経済的繁栄のために自由と人権の軽視を容認しているとみるのは皮相的で危険だ。伝統的な中華思想やアヘン戦争以来の屈辱の歴史が、中国エリート層の反西洋心性の基本にあるのは確かだが、それが中国人の内面化された社会観のすべてではない。真の問題は国民一人ひとりの内面化された経済社会観が西洋の啓蒙的価値の低評価をもたらしていることだ・・・

付いている「日米中の個人の社会経済観と統治方法」の表がわかりやすいです。
内面化された個人の社会経済観:アメリカ、公共と自律した個人。中国、士と庶の二重構造論と理気論。日本、公共と身近な他者。
社会と市場の統治方法:アメリカ、法治と制度。中国、人治。日本、法治。
ただし、私の考えでは、このホームページでも書いているように、戦後日本の統治方法は、法治の前に「社会規範」があるようです。コロナウイルス外出規制を、法律より自粛で行う国です。

連載「公共を創る」第32回社会的共通資本、憲法と文化資本では、「現代日本のこの国のかたちの要素」を図にして説明しました。そこでは、骨格として「法や制度」、実態として「社会での運用」、その基礎にある「国民の意識と生活」を示しました。制度が文化資本を誘導し、文化資本が制度の運用を左右すると指摘しました。
寺西先生の主張は、私のこの意見を補強してくださいます