新型コロナと人間社会の行方

読売新聞、社会学者の大澤真幸さんと政治学者の宇野重規さんとの対談「新型コロナと人間社会の行方」から。
・・・最大の主題は、国民国家を横断するグローバルな連帯は可能か、という問いだ。感染症は一国だけで解決できず、国際協力への動きが出ている。他方で、一国的な利己主義も強化されている。人類は国民国家の枠を超えて連帯していけるのか。逆に、一国主義が決定的に強化されるのか。
第二の主題は、私たちは非常時の権力をどう容認すべきか、だ。法の枠を超えた権力が、今ほど求められたことはない。だが非常時の権力は日常の中にとどまろうとする傾向があり、民主主義を破壊しうる。私たちはこうした権力とどう付き合っていけばよいのか。
第三に、監視社会とプライバシーの問題。私たちは、IT技術を駆使した、個人の行動や身体への徹底した監視が、感染症対策に非常に有効であることを学ぶだろう。しかし、それは同時に、私たちの自由やプライバシーにとっての脅威である。私たちは、技術をどう活用すべきなのか・・・

・・・宇野 一見すると、国家主権が強化されたようにも見えます。各国の首脳がテレビなどで国民に語りかけ、存在感が増します。ただ、各国ともウイルスをコントロールできてはおらず、あくまで緊急対応にすぎません。結局は、国際的な協力体制を築いていくしかない。たとえ自分の国の感染拡大を何とか抑えても、他国で流行すれば、ブーメランのように自国にも感染の波が戻ってくるのですから。
大澤 人類は、国民国家の利益だけを追求してもうまくいかないと自覚し始めています。国家の利益とは矛盾する部分が出てきても、国家主権の一部を国際的な機関にゆだねることを目指すしかありませんね。ただ懸念もあります・・・

・・・宇野 感染の拡大防止策では、ヨーロッパと東アジアで違いが明確に出ていました。ヨーロッパは基本的にロックダウン(都市封鎖)などで、個人の行動を総量で規制しようとしています。他方、中国や韓国は、スマホの位置情報を追跡して濃厚接触者を割り出すなど、個人の行動をマイクロレベルで把握しようとしました。平時に戻った際、権力のあり方の違いにもつながっていくのではないでしょうか。
――かねて監視社会批判は情報化の便利さの前に、今一つ力を持たない感もあります。
宇野 自由と幸福は両立するというのが、近代リベラリズムの理想像でした。現在は二つが切り離され、どちらを選ぶか迫られていると思います。ですがどちらか一つを取ることはできず、両者のバランスをどう取るか、知恵が求められています・・・

・・・宇野 フランスの政治学者ピエール・ロザンヴァロンは、著書『良き統治』で、良い統治の条件として、決定過程を明確に説明できること、責任を取ること、国民への応答を挙げています。今回の危機で、権力側が個人の監視を強めるので、国民の側も統治のあり方をチェックできるようにしなければ、バランスが悪くなっていくと思います。
――そうした民主主義には適切な担い手が必要ですが。
宇野 短期的には、権力による個人情報の把握が、国民の要求の下で進むでしょう。ただ日本を含め、各国民は指導者や権力の説明を厳しく評価し、要求水準も高まっています。政治権力はきちんと応答しないと、統治が成り立たなくなり生き残れないと思います。長期的には、そうした国民の声に基づいた、良き統治の実現の可能性に期待したいです。もちろん国民の側も要求するだけではダメです。公共のために何ができるのか考えることが重要です。
大澤 現状だと有象無象の文句と捉えられてしまいますものね。ただ、それが組織化されれば、説明責任を果たさない政府は、その正統性を維持できなくなるでしょう・・・

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