常磐線と浜通りの歴史

2月24日の読売新聞、論壇キーワード。武田徹・専修大学教授の「常磐線 日本近現代史の縮図」が、勉強になります。

・・・いわゆる「本線」ではない路線の中で最長となる全長約343キロの常磐線は日本近現代史の縮図のような存在だ。1897年に東京・田端から久ノ浜(現在のいわき市)まで開通すると常磐炭田の石炭を首都圏に運んで近代産業の成長を支えた。山間を走る東北本線より勾配が緩やかで高速で走る旅客列車や積載量の多い貨物列車の運行に適していたため、仙台までつながると東北北部、更には青函連絡船を経由して北海道との間で人と物資を運ぶ主要路線となった。東北地方初の特急はつかりも常磐線経由で運転された・・・

・・・しかし、そんな常磐線の存在感は戦後1960年代以降翳かげり始める。石油へのエネルギー資源の転換が進む中、常磐炭田は徐々に生産量を減らして76年には閉山となり、石炭を積んだ長大な貨物列車が走る光景はみられなくなった。68年には東北本線の全線電化と複線化が完成し、長距離列車が常磐線を迂回する必要性も減った。
福島第一原発の建設が進んだのがちょうどこの時期だったことは留意に値する。池田勇人内閣が60年に策定した国民所得倍増計画で重点開発する「太平洋ベルト地帯」と位置づけられたのは大分県から茨城県までの沿岸だった。双葉、大熊の町議会が61年に原発誘致を決議した背景には福島県の太平洋岸地区が発展から取り残されかねない不安が色濃くあった・・・

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