大月規義・朝日新聞編集委員、中間貯蔵30年に見る政治的課題

朝日新聞社の月刊誌『ジャーナリズム』2月号に、大月規義・朝日新聞編集委員の「中間貯蔵30年に見るフィクションと矛盾の連鎖」が載っています。2月号は、特集「東日本大震災から9年 教訓を忘れるな 原発と民主社会」です。

大月論文は、放射能汚染による、除染作業と除去土壌の中間貯蔵を取り上げます。
原発被災地での中長期の課題としては、廃炉、帰還、賠償などがあります。それぞれに難しい課題ですが、除染と中間貯蔵を社会的、政治的な角度から取り上げた記事や分析は、多くはありません。

・どうして、世界で初めての除染が行われるようになったか
・どうして、中間貯蔵施設ができたか。
・その施設を受け入れるという「大きな犠牲」を決断した二人の町長と、拒否した町長
・30年後に県外に移して最終処分をするという「フィクション」がもつ意味、など
当初からこの課題に取り組んでいる記者でないと、書けない内容です。

「報道してきた側の自省を込めて9年間を振り返ると、原発事故の特殊性に振り回されてきた。中間貯蔵施設にしろ廃炉・汚染水問題にしろ、事故の被害をより克明にする報道が多かった」
「それはそれとして、従来の方針や計画の実現性のなさと、不可能な場合の対応策について、報道する側としても避難者、県民、国民の目線で再評価すべきときに来ているように思う」とあります。

原子炉の溶解崩落、放射性物質の大気放出という未曾有の事故に対し、当初は「その場しのぎ」の対策で進めたようです。その後は、一日も早い住民の帰還という方針で進めました。
指摘の通り、これまでの政府の方針が良かったのか、それとも他に策があったのか、また今後はどのように進めるべきかは、検討されるべきことです。
批判や評価はもちろん重要ですが、代案は何か、またその決定過程は正しかったのか。そのような視点からの検証です。二度とこのような事故は起こしてはいけませんが、次回とんでもない事故が起きたときに、より良い対応をするためです。
そのような検証は、マスコミ、識者、政治家とともに、官僚の役割だと思うのですが。

原発事故が起きたことの調査は本格的に行われましたが、その後の政府の対応については検証されていないようです。事故後の評価は、「原子炉の後始末」と「敷地外の地域や社会への影響」の2つの分野で行う必要があります。原子炉の後始末は科学技術的観点から、そして地域への影響は政治・社会的観点から行う必要があります。

私が携わった大震災の被災者支援復興の過程において、常に将来の人による検証を念頭に置いていました。「この判断は、認めてもらえるだろうか」と。そのために記録を残し、自分でも文章にして残してきました。「閻魔様の前で胸を張れるか