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科学者の社会的責任2

2019年5月29日   岡本全勝

科学者の社会的責任」の続きです。藤垣 裕子 著『科学者の社会的責任 』には、次のような記述もあります。

・・・まだ科学者にとっても解明途中で長期影響が予測できない部分を含んだままで、科学にもとづいた何らかの公共的な意思決定を行わねばならない場合に遭遇する・・・
・・・予防原則とは、「環境や人の健康に重大で不可逆な悪影響が生じる恐れがある場合には、その科学的証拠が不十分であっても対策を延期すべきではない、もしくは対策をとるべきである、とするリスク管理の原則」であり、事前警戒原則とも言われる・・・事例としてイタイイタイ病と薬害エイズ事件が取り上げられています。(P39、不確実性下の責任)

公共的意思決定を行うとき、科学者の助言は、一つに定まるべきか、幅があるのが当然だろうかという問題があります。原発事故が事例として取り上げられています。行動指針となる一つの統一的見解を出すのが科学者の責任なのか、幅のある助言をしてあとは市民に選択してもらうのかです。(P47、ユニークボイス(シングルボイス)をめぐって)

議論が組織や制度の壁で固定され、壁を越えた議論が成り立っていないことも、指摘されています。
・・・ところが日本では、市民運動論は環境社会学で、社会構成主義は主にフェミニズム研究で、科学と民主主義は科学技術社会論(STS)でというように、もともとはつながっている潮流が別々の研究領域に分断されている・・・
・・・これまでの日本の社会的責任論は、組織や制度を固定してそこに責任を配分するため、組織を攻撃することが主となってしまい、組織外の人々は他人事ですまされた。「Aという組織がXをしたから、けしからん」で終わってしまうことが多かった・・・(P70)

かつて、手塚洋輔著『戦後行政の構造とディレンマ-予防接種行政の変遷』(2010年、藤原書店)を紹介したことがあります。
予防接種をした場合に、一定の「副作用」が避けられません。しかし、伝染病が 広がっているのに予防接種を行わないと、さらに伝染病が広がります。他方、副作用があるのに予防接種を強行すると、副作用被害が出ます。あちらを立てればこちらが立たない、ジレンマにあるのです。
戦後の早い時期は、副作用を考えずに、予防接種を強制しました。その後、副作用被害が社会問題になると、救済制度をつくりました。そして、現在では、本人 や保護者の同意を得る、任意の接種に変わっています。手塚さんは、ここに行政の責任範囲の縮小、行政の責任回避を見ます。行政と科学者との関係(責任の所在)も、重要な問題です。

老人とは

2019年5月29日   岡本全勝

5月26日の日経新聞文化欄、久間十義さんの「令和の新老人」から。

・・・ぼうっとしているうちに平成が終わり令和が始まった。昭和(戦後)生まれの私は現在満65歳になる。恥ずかしながら、うかうかと時を過ごしてきた感は否めない。
20年前、まだ40代半ばだったとき、65歳は充分年寄りに見えた。というか、当時の私は65歳の方々を一仕事終えた老人と思いなしていた。あとは余生を過ごすだけの「一丁あがり」の人たちだ、と。
しかし自分がその歳になって、大変な間違いだと気づいた。まず「あがり」も何も、一仕事やった覚えが私にはない。気がつけば定年を過ぎたけれど、まだ老いて死ぬ間際という意識もない。身体はそれなりにくたびれてきても、頑張ってメンテナンスすれば後十年や二十年は図々しくやっていけそうな気配なのである。要はエセな新老人が一人、しゃあしゃあと生きているのだ・・・

・・・米国の「失われた世代」を代表する批評家マルコム・カウリーが『八十路から眺めれば』で、老化の目安を「美しい女性と街ですれ違っても振り返らなくなったとき」と断じていたが、まあ、すべてにそんな按配だ。
カウリーは他にも「片足で立つことができず、ズボンをはくのに難渋するようになったとき」とか「笑い話に耳を傾けていて、他のことはなんでもわかるのに話の落ちだけがわからないとき」とか、色々挙げていて、ぐさぐさくるボディーブローにうなだれる・・・

日本の安定した政治

2019年5月28日   岡本全勝

5月18日の日経新聞オピニオン欄、丸谷浩史・政治部長の「外国モデルなき令和の政治 ポピュリズム防ぐには

・・・安倍政権では首相と菅義偉官房長官が「移民ではない」と確認したうえで、外国人労働者の受け入れ拡大をあっさりと実現した。賃金も政府主導で引き上げている。これが外国からは「リベラルな中道政権」に映る。
主義や理念の定義はさまざまだろうが、いわゆる保守と中道・リベラルが違和感なく共存する空間が、首相官邸と自民党にはある。平成の2度にわたる政権交代があわせて4年ほどで終わった理由のひとつも、ここにある。「非自民政権」とは、自民党でないことがアイデンティティーとなる。自民党は昭和30年以来の長きにわたって政権党の座にあり、その政治手法は日本社会そのものに組み込まれている部分もあった。
「自由民主党」を全否定すると、政権運営のモデルは外国に求めざるを得ない。2009年の民主党政権は、それを英国に見いだし、政府と与党の一元化を一気に進めようとしたこともあって、つまずいた。政権奪還をはたした自民党は、民主党の失敗を教訓に、首相官邸主導や与党優位に働く小選挙区制の政治システムを、20年かけて完成形に導いたといえる。

制度は完成したと思った瞬間に綻びが生じる。強すぎる官邸がブラックボックス化し、政官関係にゆがみが生じるなどの指摘も出てきた。では、新たな改革モデルをどこに求めるのか。
幕藩体制から近代に脱却する時から、日本の政治はドイツや米国など外国の制度を参考にしてきた。平成の政治改革でモデルとなってきた英国の二大政党制は、ブレグジット(欧州連合からの英国離脱)で機能不全をさらけ出した。最近の世論調査では、支持率トップに「ブレグジット党」(Brexit Party)が躍り出た。「保守」「労働」のように理念を表す党名ではない。単一の政策争点だけを掲げるシングル・イシュー政党だ。
欧州でも政党地図は激変している。共通するのは極右やポピュリズム(大衆迎合主義)政党が伸長している事実だ。既存の政治勢力が改革を怠り、民意が離れれば、ポピュリズムが台頭してくるのは、戦前の日本も含めて歴史の教えるところでもある・・・

科学者の社会的責任

2019年5月27日   岡本全勝

藤垣 裕子 著『科学者の社会的責任 』(2018年、岩波科学ライブラリー)が、勉強になりました。科学技術と社会との関係について、第一原発事故以来、関心を持っているので。読みました。

リンゴを見て引力を見つけた(?)ニュートンや、顕微鏡で細胞を見つけたロバート・フックの時代は、発見や発明は人類の進歩につながりました。しかし、科学技術の発展とともに、科学者の研究には、社会的責任が伴うようになりました。「どのような研究をしようが、研究者の勝手だ」と言われても、危険な物質や機械を作られては困ります。
では、現代において、科学者にはどのような社会的責任があるか。詳しくは本を読んでいただくとして。参考になった点を、備忘録として載せておきます。

科学者の社会的責任論は、次の3つに分類される。
1 責任ある研究の実施。科学者共同体内部を律する責任であり、不正な研究をしないこと。
2 責任ある生産物。製造物責任です。危険な兵器、生態系を乱す遺伝子組み換え作物などを作らないこと。
3 応答責任。公共からの問に答える応答責任。「牛肉の輸入を再開するに当たってBSEの危険を抑えるにはどのような判断基準が適正ですか」との問に答える責任です。

1に関して、全米科学アカデミーが『科学者を目指す君たちへー科学者の責任ある行動とは』(1988年)が紹介されています。大学院や学部学生に、配布されているとのことです。取り寄せてみましたが、なかなか良くできています。様々な職業でも、同様の冊子を作ると、有用でしょう。
この項続く