年別アーカイブ:2019年

職務記述書、歴史公文書管理専門職の例

2019年2月9日   岡本全勝

公務員の専門性向上策」(2月4日)で、藤田由紀子教授の発言を紹介しました。
・・・また「大部屋主義」と呼ばれる集団的執務体制の伝統により、職務記述書が作成される慣行もないため、各職員の職務や責任が曖昧で、その専門性も「暗黙知」とされてきた・・・

国立公文書館は、歴史公文書等の管理に携わる専門職について、職務基準を作っているそうです。「アーキビストの職務基準書
見ていただくと、職務の内容が、選別・収集、保存、利用などの分類され、それに対応して、必要な知識や技術が並んでいます。
なるほど。今後、このような職務記述書が増えていくでしょう。

できあがったものか、つくるものか

2019年2月9日   岡本全勝

社会やそれを支えている制度を見る際に、「できあがったもの」と見るか「つくるもの」と見るかの違いがあります。

まず、法律学です。私が大学の法学部で習ったことは、制定されている法律の解釈学でした。日本国憲法は所与のものとして、その制定経緯、解釈、争点についての考え方を学びました。
「このような(条件が変わった、新しい事態が起きた)場合は、このような法律を作るのだ」といった立法学は学びませんでした。社会の実態と乖離するような場合は、解釈を拡大するのです。立法学とあるのも、現在の法律成立過程の分析が主です。
次に、政治学です。これも、日本の近代現代の政治をどのように見るか、その経緯、あるべき論からの分析と批判、欧米の政治の歴史とそれを動かした思想などでした。それはそれなりに、ものの見方を養ってくれました。
しかし、どうしても「できあがったもの」の分析になります。政治学の分野に政治過程論がありましたが、これもできあがった政策の成立過程分析でした。
成立する過程を学んだのですが、身につけたものの見方は、できあがったものの分析でした。

これは、社会学も同じです。これらの学問は、過去と現在=できあがったものの分析です。
「学問である以上、客観性が必要だ」という主張もあります。立法学、政策論になると、各人の主観が入ってきて客観性が欠けるという批判です。それはその通りです。しかし、今ある法律や制度も、ある立場で作られたものです。

かつて、原島博・東大教授の発言を紹介したことがあります。「過去の分析と未来の創造と
「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」(『UP』2005年6月号)
この項続く

二項分類と三分類

2019年2月8日   岡本全勝

「全勝さんは、三分類が好きですね」と、指摘されました。そうですね。しばしば、松・竹・梅という比喩を使うからでしょう。「職員の三分類

世の中で物事を分類する際には、最も多いのは二分類です。二項分類とも言います。紅白、白黒、右左、上下、前後、善し悪し・・・。
私も、多くの場合に、二項分類を使います。しかし、「ものによっては、三分類の方がわかりやすいのでは」と思う場合があります。最近の関心分野である、公共政策と職員養成でも使っています。

職員養成では、出来の良い職員と出来の悪い職員とに分けるのが二分類です。しかしそのように分類するより、とても良くできる職員(松)、普通の職員(竹)、出来の悪い職員(梅)と3つに分ける方が、ぴったりくるのです。
ここで、松・竹・梅の3分類は、上中下に均等に3分類しているのではありません。鰻重は、特上・上・並ですよね。下はなくて、上と並の2分類の上に、特上を作っているのです。
ここが味噌です。上と下に分けると、下に分類された人がうれしくありません。そこで、一番下は並にするのです。上はそのまま。しかしそれは実質的に並なので、その上に特上を作ります。なお、この松竹梅という表現は、仕事ぶりについてであって、職員の人格を並べているのではないことに注意してください。ある仕事については梅だけど、他の分野では松の人もいます。

公共政策では、公私(官民)二元論から、公共私三元論を提示しています。
読書も、3分類して説明しましたね。「生産の読書、消費の読書、貯蓄の読書

ところで、松・竹・梅が上下の(垂直的)三分類であるのに対し、官・共・私の三分類などは、上下関係はありません、水平的三分類です。
二項分類の場合は、例えば白と黒に分けますが、うまく収まらない中間領域が出てきます。灰色です。しかし、それは二分類で世界を見ているから灰色に見えるのです。色の三原色のように、最初から3つに分けてみると、灰色領域ではありません。
もちろん、世の中はそんなに簡単に分けることはできませんから、もっと多くの分類が良いのでしょう。しかし、3つ以上になるとわかりにくいですよね。

平成時代、改革の時代

2019年2月8日   岡本全勝

東京財団政策研究所「平成を読み解く――政治・外交検証 連載第1回「平成デモクラシーと財政・社会保障改革」、清水 真人・日本経済新聞編集委員の発言から。

・・・第一に、「平成デモクラシー」とは何か、です・・・しかし、それら以上に、平成という時代の政治、つまり「平成デモクラシー」は、この時代に行われたさまざまな統治構造改革こそが実は主役であって、それによって初めて強い首相が出現したことが最大のポイントといえます。そこで、制度改革という眼鏡をかけて、平成の政治を振り返ってみます。
1月7日に平成に改元された1989年を思い起こすと、対外的には冷戦終結とグローバリゼーションのスタートという激変がありました。少し遅れて国内的にはバブル崩壊や少子高齢化の進展という今日の人口減少、財政赤字をもたらす事態に直面します。これらにより、従来の政策や資源配分を大胆に変えなければ駄目ではないかという危機感が強くありました。個々の政策を大きく変えるためには、まず政策の決め方そのもの、政治や行政の仕組みから抜本的に変えなければ駄目だという気分に支配されていたのです。1990年代には政治改革と橋本行革の2つの大きな改革が行われました。さらに司法制度改革にまで進みます・・・

・・・政策を大胆に変えようとして平成の統治構造改革は進められた。結果、強い首相が出現した。考えどころなのは、それによって政策決定の質は向上したのかどうかです。「政治は劣化した」「改革は失敗だった」という議論もあります。私はそこまでいいきる自信はありません。平成の諸改革には政治的な妥協の産物となった中途半端な部分もあれば、段階的に実施されて整合性を欠く部分も併存しますが、現状は「改革の失敗」なのか、それとも「改革の不足」なのか。両論がありうるでしょう。政策決定の質は向上したのかどうかも難しい問いです・・・

・・・最後に、もう一度総論に戻ります。この30年でわかったことは何か、これからどうするか。
ここはメディアにも大きな責任があると自覚していますが、2大政党とか政権交代とかを論じるときに、「対立軸」といいすぎたのではないか。この30年、そういう議論をしている間に外交・安全保障も、財政・社会保障も日本の採りうる選択肢が狭まってしまった。むしろ、政権交代を超えた「共通の基盤」は何か、をもっと重視して議論しなければいけなかった。そのことが、3党合意とその崩壊をみてようやくわかったように思います。

政権交代すれば、何でも自分たちの思いどおりに政策を変えられる、というものではありません。政権交代は野党の勝利ではない、与党が負けただけだ、と冷めて考える必要があります。与党ガバナンスの崩壊や権力者のスキャンダルで時の政権が信頼性を失ったときが受け皿、野党の出番なのです。その政策は前政権と8割方変わらないかもしれない。それでも「絶対的権力は絶対に腐敗する」以上は政権の選択肢が複数あり、期間限定で責任を取らせて代えうること、有権者が一票を投じて政権を選べること自体に意味があると考えています・・・

人事には興味があっても、会社のことには関心がない。業績低下の企業

2019年2月7日   岡本全勝

2月5日の読売新聞「経営者に聞く」は、手代木功・塩野義製薬社長でした。
社長就任時に会社が低迷し、構造改革に苦労されます。1985年に売上高、営業利益とも業界3位だったのが、2010年には売上高は10位、利益も下位に沈みます。

・・・3位の会社が10位に転落すると何が起きるのか。ベテラン社員は「俺たちは凄い。経営が悪いからこうなった」と頑張ってくれません。若手は「期待されて入っていません」と真顔で言う。時間をかけても「名門」の看板を取り戻すしかないと考えました。

3か月に1回、会社の現況を原稿用紙20枚分くらいの文章にし、全社員にメールしました。最初の開封率は5割に満たない。同時に出した人事のお知らせは99%です。人事には興味があっても、会社のことには関心がない。
ならばと、研究・開発から生産、営業まで幅広く若手社員を集めて「語る会」を開きました。でも2時間、質問が出ない。後で聞くと、上司から「自分に跳ね返るから、社長によけいなことを聞くな」と指示が出ていたそうです。オープンに話すことを中間管理職が嫌がる。これも弱い企業の典型です。意識改革に3、4年かかりました・・・