役に立たなかったオフサイトセンター

7月30日の朝日新聞1面は、「原発、甘い備えの象徴解体へ 福島、機能しなかった事故対策拠点」でした。
・・・東京電力福島第一原発事故で「前線基地」になるはずだった福島県大熊町の旧オフサイトセンターが、解体されることになった。8月にも作業が始まる。事故直後、役割を全く果たせず事故への備えをないがしろにしていた象徴の建物が、今年度内に姿を消す。事故の教訓をきちんと伝えていけるかが今後、問われる・・・

・・・この建物は鉄筋コンクリート2階建てで、第一原発の南西5キロにある。2011年3月の原発事故では国が現地対策本部を設置。経済産業省や文部科学省、自衛隊、県庁、東電などから計150人が集まった。
だが、停電や通信回線の不通で情報の収集も発信もできなかった。気密性も不十分で、室内の放射線量は毎時200マイクロシーベルトと、避難指示を出す基準の50倍超になった。事故からわずか4日後の同月15日午前に避難を始め、その日のうちに全員が撤収した。
その時、約1キロ離れた双葉病院には90人ほどの患者が避難できず取り残されていた。現地本部は患者の搬送を自衛隊に任せ、救出が遅れて病院内や移動中のバス、避難先の体育館などで約50人が死亡した・・・

オフサイトセンターとは、「原発や核燃料工場などの事故の際、関係省庁や自治体、事業者らが集まり、情報収集や住民の被曝防護策、避難指示区域の設定などを検討する前線基地。発電所(サイト)から離れた拠点のため「オフサイトセンター」と呼ばれる。正式名称は緊急事態応急対策拠点施設」と解説があります。
(このようなカタカナ語は、一般人には通じないですね。直訳したら「原発施設敷地外中心施設」でしょうか。それは位置の表示であって、機能を示していません。私も最初に耳にしたときは、どんな施設か理解できませんでした)。

津波災害にあっては、いくつかの被災した施設が、災害遺構として保存されています。教訓を後世に伝えるためです。ところが、原発事故にあっては、そのような施設はないようです。
第一原発は廃炉になり、いずれ建物は片付けられるのでしょう。県がアーカイブ施設をつくる予定ですが、これは資料の保管です。東電が、廃炉資料館を造っていますが、これは廃炉作業を説明するものです。
これだけの大事故を起こしたのですから、経済産業省や東電がしかるべき施設を残すべきだと、私は考えています。
原発事故の失敗は、2つあります。一つは、原発事故を防ぐことができなかったこと、メルトダウンを引き起こし、放射性物質を大量に放出したことです。もう一つは、周辺住民を安全に避難誘導しなかったことです。前者が施設内、後者が施設外での失敗です。

いくつかの企業は、起こした失敗を伝えるために、事故の機材を保存し、社員教育に使っています。例えば、日航、御巣鷹山墜落事故東京メトロ、中目黒脱線事故