階級社会日本

7月17日の朝日新聞朝刊1面は、「階級社会 中間層襲う転落不安」でした。

・・・「階級」という言葉には古めかしい印象が付きまとう。だが、昨年1月に世に出たその本は、筆者の予想をはるかに上回る反響を呼んだ。
「新・日本の階級社会」(講談社現代新書)。
閉塞感が漂う日本社会の現状をみるには階級という視点が不可欠、という警鐘だった。不安定な雇用で収入も低く、結婚や子育て、老後の蓄え、といった営みもままならない新しい階級「アンダークラス(下層階級)」の出現に注目するべきだ――。
本のヒットに、「何が起きているのかと思った」と誰よりも驚いたのが筆者だ・・・

佐藤 俊樹著『不平等社会日本―さよなら総中流 』(中公新書) が社会に衝撃を与えたのは、2000年でした。「一億総中流」と信じていた日本社会が、実は「格差社会」に変化しつつあることを提示したのです。
橋本先生が、2006年に「階級社会」という本を出版した際には、反響はほとんどなかったそうです。その言葉が、今や現実味を帯びて、社会に広まっています。

詳しくは本文を読んでいただくとして。私も、戦後日本が達成した成功の一つに、平等と全国での均一な公共サービスを上げていました。しかし、平等は過去のものになりつつあります。
なぜ、佐藤先生の時点では「階級」が自覚されず、近年になって自覚されるようになったか。それは、二つの要因があると思います。

一つは、「経済成長があれば格差は縮まる」という信念が持てなくなったことです。昭和後期、一億総中流と言われた時代にも、実は格差はありました。しかし、経済成長すると「私も豊かになれる」との思いで、それは前面に出なかったのです。しかし、経済成長が止まると、「私も豊かになれる」とは思えなくなりました。

もう一つは、貧困層の顕在化です。かつても、貧しい人はいました。母子家庭や生業に就けない人です。しかし、世間では「それはあの人たちに責任がある」と考え、我がことではなかったのです。
ところが、正規と不正規の処遇の格差、解消されない年長フリーター、結婚できない派遣職員、子供の貧困が増えて、身近に目に見えるようになりました。「他人ごと」ではなくなったのです。個人責任ではなく、社会の課題になりました。
「勝ち組と負け組」という言葉が、「一億総中流」に取って代わったのです。