『ベルルスコーニの時代』その2

ベルルスコーニの時代』の続きです。

多くの政治家が、自らの勢力拡大と生き残りをかけて、様々な策謀を巡らします。まさに権謀術数の世界です。権力闘争と内部分裂。少数政党が乱立し、合従連衡が繰り返されます。選挙目当ての呉越同舟は、すぐに破綻します。
そして、政治のゲームは、参加者の思ったような筋道では進みません。
一方で、有権者の投票は、意外な結果をもたらします。EC加盟の条件を整えなければならないという外圧も働きました。なかなか実現しなかった、税制改革や財政改革も実現します。平時ではできないことが、危機の時代、混乱の中で実現するのです。
あまりにたくさんの政治家と政党が出てきて、なじみのない日本人が読むのは一苦労です。

同じような近代立憲民主主義、代表制であっても、各国の歴史と国民意識、社会構造によって、その運用は異なっています。
政治が、政治家たちの活躍の場(それは政策実現という建前の世界と、利益や権力の追求という本音の世界を含みます)であるとともに、国民の意識、国民の経済の上に成り立つ、それを反映したものだということを改めて考えさせられます。
政治学の教科書や政治を書いた本、新聞の政治報道は、場を政治家たちの言動に限定していることが多く、国民が出てきても投票結果だけというのが多いです。国民、有権者、社会や文化を視野に入れていないのです。

ところでもう一つの主題である、ベルルスコーニ首相です。不動産業、マスメディアで成功を収め、政界に打って出ます。その過程は、まさに立身出世の成功物語です。
政治家としては、社会の不満を捕まえ、既成政党と政治家を敵に仕立てる。昨今の欧米のポピュリズムの先駆者です。
選挙宣伝と戦略に成功し、一度は政権に就きますが、短命で崩壊します。不正蓄財やマフィアとの関係で、刑事訴追の身ながら、2001年に首相に返り咲きます。
当時、イタリアの労働人口の3分の1は独立自営業者であり、上場企業は240社に対し零細企業が500万社だったことは驚きです。家族経営で働く人たちが、ベルルスコーニを支持します。
ところで、彼のスキャンダラスな言動は、読んでいてあきれます。