年別アーカイブ:2017年

故・河合常則先生

2017年9月10日   岡本全勝

今日は、河合常則先生(元参議院議員)の弔問に、富山県南砺市まで行ってきました。葬儀は明日なのですが、私の都合で今日お邪魔しました。
私が富山県庁総務部長の折(平成6年から10年)、先生は県議会、自民党県連の長老として、議会を仕切っておられました。困ったときには(そうでないときも)何かと相談し、助けていただきました。総務部長を4年間、充実し楽しく過ごせたのは、先生のおかげです。城端町のお祭りにも、呼んでいただきました。ご自宅の2階で、下手なフルートを吹いたことも、懐かしい思い出です。
昨年パーティーを開かれ、参加しました。ご病気であることを明らかにされていましたが、残念なことです。ご冥福をお祈りします。

行く途中で、砺波平野の稲穂の波を見ながら、奥の細道の句「あかあかと日はつれなくも秋の風」を思い出しました。
調べてみると、芭蕉が高岡から金沢に入った折の句だそうです。季節はやや遅いですが、場所はちょうどだったのですね。

建築から見る日本の政治

2017年9月9日   岡本全勝

東大出版会のPR誌『UP』9月号の、隈研吾さん執筆「心と体の建築へ―『もがく建築家、理論を考える』に寄せて」が、勉強になりました。
戦後日本の建築家と建築様式の歴史ですが、私は、政治学として読みました。日本が欧米に追いつくために国家を挙げて取り組んだこと、追いついたこと(バブル崩壊)でその仕組みが限界だと分かったこと、次の仕組みを模索していることです。それが、建築様式・建築家の代替わりとして説明されています。非常にわかりやすい分析です。原文をお読みください。

日本の建築の世界で、隈さんは第4世代の建築家と呼ばれます。第1世代は丹下健三や前川国男らで、東大建築学科の出身です。彼らは戦後建築界を担い、モダニズム建築(コンクリートと鉄でできた工業化社会の建築様式)の第1世代でした。
欧米では、モダニズムの巨匠、コルビュジエ、ライトらは、20世紀の初頭に登場します。国家的正統な建築教育を受けず、19世紀までの建築様式を批判して新しい流れを作ります。それまでの主な発注者が国家だったのに対し、20世紀の工業化の主役である民間向けの建築へと転換するのです。権威主義的で装飾のある建物から、効率優先の建物に変わります。

「一方日本は、欧米が先行した工業化を国家のイニシャティブによって一日も早くキャッチアップしなければならなかった。かくして、東大卒が、その主役を務めるなりゆきとなったのである」。
そして、日本と自民党政権が、国家による公共工事によって、工業化と経済活性化を進めたこと。欧米各国のような、二大政党によるイデオロギー対立(階級対立、大きな政府か小さな政府か)は、日本にはなかったこと。代わりに、地方間の税金の取り合い、公共工事の奪い合いのバトルがあり、その調整作業が自民党政治であったと、指摘します。

本論では、この後、第2世代以降の紹介が続きます。
「この前後日本のOSの恩恵を最も受けたのが」第2世代の建築家、槇文彦、菊竹清訓、磯崎新、黒川紀章でした。この戦後日本のシステムは、バブル経済の崩壊によって、限界を露呈し、それに変わるシステムを模索するのが、第3代4世代の建築家の主課題になりました。一つの回答が、海外に飛び出していくことでした。
しかし、その「日本への無関心、無責任」「日本を捨てて、忘れたフリ」は、3.11の大災害と東京オリンピックで状況が変わります。

「1964年の東京オリンピックが、戦後日本システムを見事にヴィジュアル化して世界に提示したように、2020年のオリンピックは、大災害後、原発後の日本をはっきりと具体的に世界に見せなければならない。それができなければ、もはや建築も、建築家も、世の中から用がないものとして、忘却されるに違いない・・・
・・・それは19世紀から20世紀にかけて、建築が経験した大転換、国家から民間へ、美から効率へという大転換以上の、大きくて根本的な転換を覚悟しろということである」。

建築家の役割を通して提示された、日本社会が直面している大きな課題です。政治家と官僚はその第一の責任者です。原文の「それができなければ、もはや建築家も・・」という指摘は、私たちにこそ当てはまります。

お母さんはマンマ、ではお父さんは

2017年9月8日   岡本全勝

昨日、「イタリアでも引きこもり」の記事で、お母さんを「マンマ」と呼ぶこと、そして、お父さんをどう呼ぶか知らないと書きました。

ある読者から、「それはゴッドファーザーですがな」と、笑える答えをもらいました。この有名な映画も古くなったので、見ていない人は、分からないでしょうね。確かに、イタリア(系移民)の話ですが。

イタリアでも引きこもり

2017年9月7日   岡本全勝

8月31日読売新聞国際面に、「引きこもり増、悩むイタリア」が載っていました。
・・・陽気で楽天的な国民性で知られるイタリアで、「引きこもり」問題への関心が高まりを見せている。自宅から出ず、他人と関わらない若者は「HIKIKOMORI」として認識され始め、対策に日本の知見を期待する声も上がっている・・・
イタリアでは引きこもりの若者が10万人ほどいるとみられています。しかし、認知度が低く、支援団体もなく人知れず悩んでいるとのことです。

イタリアは日本と同様、家族のつながりが強く、その象徴がマンマ(お母さん)だと聞いたことがあります。引きこもりができるのは、家族の支援があるからという面があります。家族の絆の強さ、それへの依存が背景にあるのかもしれません。他の国では、どうなっているのでしょうか。

以下、脱線です。
対になるお父さんは、イタリア語で何というか、知っていますか。私を含め、多くの人が知らないでしょう。家庭は、母で持っているのでしょうね。

明るい公務員講座・中級編35

2017年9月6日   岡本全勝

『地方行政』連載「明るい公務員講座・中級編」の第35回「職場の無駄(3)資料作りその1」が発行されました。会議の無駄に続き、資料作りの無駄について解説しました。

資料作りに、必要以上の時間と手間をかけているというのが、今回の話です。ただし、よく見ると、資料の中身を考えるのに時間をかけているのではなく、パソコンで文書にすることに時間をかけ過ぎているのです。活字の字体は何にするか、大きさはどうするか、一行に何文字入れるか・・・。
もっといけないのは、パワーポイントです。色を変えたり、矢印を多用したり。本人は分かるのでしょうが、読む方はその矢印が何の意味か分かりません。時系列か、因果関係か、単なる関係があるのか。
本来何を伝えたいかを忘れて、技巧に走ります。それも、何枚も作って。「1枚で報告せよ。簡潔な文章で」という私の主張に反します。パワーポイントは、紙芝居の道具です。社内資料にパワーポイントを使うことを禁止している会社もあります。

パソコンで資料作りに時間をかけることが、残業につながっています。パソコンがない時代は、こんなことに時間をかけませんでした。パソコンは、業務の効率化のために導入したのに、資料づくりに関しては、逆に労働強化になってしまいました。職員が抵抗してもよかったのに、喜んでパソコンに取り組んだのです。
そしてこの無駄に、多くの職員が気がついていません。本人は、一生懸命仕事に打ち込んでいると満足しているのです。
今回の内容は次の通り。
パソコンで便利になった、機械化が招く労働強化、書式を決めておく、パワーポイントを使うな、庁内説明資料と住民広報資料は別。