年別アーカイブ:2017年

連載を振り返って8

2017年11月25日   岡本全勝

文章を練る

執筆に当たっては、わかりやすい読み物とすること。抽象論でなく、私の体験に基づいた、実例を入れた実践的なものとすることを、心がけました。

これも、難しいのです。具体事例はわかりやすいのですが、応用が利きません。抽象的すぎると、実用的でありません。その中間で書く必要があります。
堅苦しい説教だと、読んでもらえません。笑い話ばかりを書くわけにもいきません。毎回、書いては消しての、くり返しでした。
読み物とすると、ややもすれば冗長になります。それを避けるために、いったん書いた原稿を削ります。毎回の原稿は、活字になったときは、原文のおおむね3分の2になっています。せっかく書いた文章を泣く泣く削除するのですが、読んでみるとその方が読みやすいのです。

内容が独りよがりのものにならないように、原稿段階で、「右筆」に意見をもらい、手を入れてもらいました。この右筆は、ある省の幹部です。彼もいろいろな経験、それも私とは違った職場を経験しています。しばしば、私とは違った見方をする人です。文章の達人でもあります。
原稿に真っ赤に手を入れられたときもあります。でも、そこがよいのですよね。感謝しています。
さらに、校閲係が手を入れてくれました。毎回、朱が入ったゲラを見ると、「なるほど」と思うことばかりでした。

肝冷斎逃亡か

2017年11月25日   岡本全勝

肝冷斎が、国外逃亡したようです。常々、仙人になって山奥か天に行きたいと言っていたのですが。まだ雲に乗るほど修行していないので、飛行機を使ったのですかね。

「説明責任」の濫用と誤用

2017年11月24日   岡本全勝

11月18日の朝日新聞オピニオン欄、豊永郁子・早稲田大学教授の「野党・メディアの追及 「説明責任」劇場に陥るな」が、勉強になります。

・・・元の言葉は英語のアカウンタビリティーだ。手前味噌だが、政治の世界の語彙としてのこの語を初めて日本語にしたのは私だったと思う。25年前、最初に書いた論文でのことだ。訳語がなくて困った私は(辛うじて見つけた訳は「会計責任」だった)「答責性」という語を作ったログイン前の続き。このとき敢えて避けたのが「説明責任」という訳だ。単に説明する責任ととられる恐れがあるからだ・・・
(アカウンタビリティーは、サッチャー政権の行政改革・地方自治体改革のキーワードだった)・・・それは個人や組織が与えられた職務をきちんと履行していることを、上位者の求めに応じていつでも説明できる状態にあることを意味する。上位者は個人や組織を評価し、制裁や報賞を与える存在なので、この状態には緊張感が伴う。サッチャー政権は、経営や会計学で用いられていたこの概念を行政組織に適用した。そしてアカウンタビリティーを実現するため、行政組織の各単位の職務を確定し、職務の履行ぶりが数字で示されるシステムの構築を図った・・・

・・・さて、気になるのは、そうした「説明責任」が決まり文句になることで、何か問題が起こった際には、責任者に「説明責任」を問い、あるいは責任者が「説明責任」を果たせば事が済む、とする風潮が生じていることだ。
政界で言えば、典型的には、双方「説明責任」の錦の御旗を掲げ、野党とメディアは執拗に政府に説明を求め、政府、とりわけ首相は喜々として説明する、お決まりの「説明責任」劇場が展開する。悪いことに、ここでは、一方の野党とメディアは「説明責任を果たせ」とボールを政府に投げることで、客観的な事実認定を自ら行うことを避けているように見え、他方の政府は「説明責任を果たす」と言っては、一方的な言い分を述べ立て、自己宣伝の機会を増やしているだけに見える。議論の焦点も、誰かの説明責任が果たされているかどうかに、いつの間にかすりかわっている。
政治家とメディアは「説明責任」を問う手法をしばし禁じ手とし、自ら客観的に事実を認定し、示してはどうか。そしてそうした事実について、何が国民にとって問題かを説明してほしい・・・

マスコミにも野党にも、耳の痛い話です。ぜひ全文をお読みください。

国会前の銀杏の木

2017年11月24日   岡本全勝

国会議事堂の周囲には、銀杏の街路樹があります。黄色く色づき美しいのですが、おやっと思います。たくさん並んでいる木をよく見ると、進み具合が違うのです。
既に葉を散らして裸になっている木、すべて黄色になっている木、まだ黄色と緑がまだらの木と、さらにまだ青い木が並んでいます。そもそも11月下旬に、青々している木が不思議ですが。青い木は、地下鉄の出入り口前にある木で、暖かい空気が出てくるからでしょうか。
私は、孫と一緒に、チューリップの球根を植えました。

仕事の敵、会議と電子メール

2017年11月23日   岡本全勝

日経電子版に「メール10時間、会議23時間 大企業病の病巣を断て」(2017年11月22日付け)が載っています。職場で仕事の邪魔をするのは、会議と電子メールだと指摘されています。やっぱり。
・・・ベインが米マイクロソフトの労働環境分析ツールを活用してグローバル企業308社を対象にした調査では、管理職の1週間の平均労働時間は46時間。そのうち会議が23時間、メールが10時間(オンラインのチャットも含む)。彼らが会議や電子メール対応を除いた1週間のうち自分でじっくり物事を考えられるのは、約13時間しかない。
その時間も、20分おきに雑用に追われたり、新たに届いたメールに返事したりなど、中断されてしまい、集中できるわけではない。
「40年前の管理職は、1年で約1000件やりとりをしており、ほとんどは電話だった。しかし、今のエクゼクティブは1年で約3万件のメールに対応している」とガートン氏は指摘する・・・

労働時間のうち半分が会議とは、驚きです。それで物事が決まって進むのなら良いのですが。記事の後半を読んでもらうと、日本式会議の非効率が書かれています。
私が連載「明るい公務員講座・中級編」(8月21日から9月25日、職場の無駄)で、書いたとおりです。私は、それに資料作りを加えて、3つの無駄をあげました。また、それへの対処方法もお教えしました。参考にしてください。