二つの三菱

12月25日の読売新聞解説欄に、知野恵子企画委員による、宮永俊一・三菱重工業社長へのインタビューが載っていました。「自社批判、客船大赤字もう造れない」です。
・・・えっ・・・。日本を代表するモノ作り企業・三菱重工業の記者会見で私は仰天した。2400億円もの大赤字を出した欧州向け大型客船事業。その背景には、自社の恥ずべき古い体質がある、と社長自ら語ったからだ・・・
以下社長の発言です。
・・・造船は祖業であり、130年以上にわたって様々な船を造ってきた。なのにほかの事業で構造改革が進んでいなければ、会社が傾いてしまうほどの損失を出した。時代とともに客のニーズが変化していることを理解できなかったためだ。
今回赤字を出した欧州向け大型客船は、12年前に英国に納入したものと寸法的にはほぼ同じだった。しかし、求められるものが、様変わりしていた・・・
・・・三菱重工は、国内に複数の造船所や製作所がある。それぞれに独立性がかなり強い。自分たちだけでやろうという「自前主義」が幅をきかせている。特に今回の大型客船を建造した長崎造船所は、発祥の地であり、プライドも高い。他人に聞くのを恥とする風土がある・・・
「社長がここまであからさまに自社の問題点を話すのは珍しい。なぜ外で社員を批判するのですか」との問に。
・・・失敗した理由は、外にも中にも正直に言うべきだろう。記者会見で話してしまうとわかったら、社内の他部門も「同じような失敗をすると、社長はまた外でしゃべっちゃうな。気をつけよう」と思うわけだ・・・

12月26日朝日新聞経済欄、カイシャの進化は「三菱電機」でした。
・・・23人の執行役(役員)の報酬が1億円を超えた。それも2014、15年度と2年連続で。社長に至っては2億円を超える。
そんな大盤振る舞いをするのは三菱電機だ・・・だが、1990年代後半から今世紀初頭にかけて経営は傾いた。なぜ再生し、躍進したのか―。
98年1月末、三菱電機の取締役会。普段めったに発言しない伊夫伎一雄監査役(元三菱銀行頭取)が声を荒らげた。「来年度どうするか決められないようじゃ、許されないよ」。三菱グループの重鎮の一声にその場は静まりかえった。「ガチャン」。伊夫伎氏は茶わんにふたをたたきつけ、無言で退席。他の役員はその光景に息をのんだ・・・
・・・次いで社長に就いたのは傍流の防衛・宇宙部門出身の谷口一郎氏だった。谷口氏は就任早々「もうからないものはやめる」と宣言。事業を「拡大」「縮小」「現状維持」にわけた。まずパソコンから撤退し、さらに大容量電動機部門を東芝との合弁会社に移管して切り離した。
いったん持ち直した業績はITバブル崩壊後の2001年、再び暗転。半導体部門トップだった長澤紘一氏は、半導体を手がけることに限界を感じていた。「設備投資が年間1千億円規模になり、それを捻出するのに社内で1年もの議論をしなければならなくなった」。意思決定のスピード感、資金力の両面で米マイクロンや韓国のサムスン電子などライバルにかなわない。「半導体を切り離せば会社は良くなる」。役員会でそう一席ぶった・・・

自らが率いる部門から撤退することは、なかなか言えることではありません。原文をお読みください。