五百旗頭真先生が、「大災害の時代」(2016年、毎日新聞出版)を、出版されました。毎日新聞に4年間にわたって連載された文章を、まとめたものです。このホームページでも、新聞に載った際に紹介してきました。先生は、阪神・淡路大震災、東日本大震災、そして今度の熊本地震と、3つの大きな震災に、有識者の立場、審議会の会長として参画してこられました。
・・・それぞれの地震を起こしたメカニズムは何か、人々は予期し備えていたか、地震は複合災害化したか、犠牲の特徴は何か、被災者は何に苦しんだか、社会はどう対応したか、政治は何ができ何ができなかったか、そうした検証を通して、来たるべき大災害への備えについて提案しています・・・(先生の挨拶文から引用しました)
現場の状況と行政の対応について検証、現場と理論の両方を踏まえた提言、そして歴史的な分析。大変な力作です。お薦めです。
先生には、復興推進委員会委員長としてだけでなく、さまざまにご指導を賜りました。ありがとうございます。
年別アーカイブ:2016年
被災地での観光復興
読売新聞7月10日の「震災5年再生の歩み」は「外国人客呼び込め」でした。ここ数年、外国人観光客が急増しています。しかし、東北地方、被災地は、元々外国人観光客が少なかった上に、震災の影響から立ち直っていません。そこで、政府が東北への観光客誘致に力を入れています。記事では、それらデータとともに、外国人に人気が出ている観光地を紹介しています。ありがとうございます。
金田安史君
7月10日の日経新聞、「日曜に考える」は、「遺伝子操作と生命倫理 どうバランス」です。金田安史・大阪大学教授・日本遺伝子細胞治療学会理事長が、大きな写真付きで出ています。奈良女子大附属高校の同級生です。医療研究の最先端で活躍しています。うれしいですねえ。
私と違い、まじめで温厚な生徒でした。写真も、当時(45年前)と変わらない風貌です。
去年会ったときも、若いときそのままでした。私の方は、すっかり風貌が変わったのに。自分のからだに、若返りの治療をしたのかな。次回会ったら、私も治療してもらいましょう。
地域福祉の現場は行政のフロンティア
今日は、日本介護経営学会に呼ばれて、シンポジウムに登壇してきました。私は知りませんでしたが、介護の実務家や研究者の学会です。会場は満員でした。
被災地では、高齢者などのケアのため、さまざまな試みが取り組まれました。阪神淡路大震災を教訓に、介護ステーションをつくり、相談員が巡回してと。それ以外にも、地域包括ケアの試行なども。地域福祉の「実験場」だったのです。これまでの経験は、この学会が協力した、小笠原浩一・栃本一三郎編著「災害復興からの介護システム・イノベーション」(2016年、ミネルヴァ書房)にまとめられています。関係者の方には、お薦めです。
私の役割は基調講演でしたが、その後のシンポジウムが勉強になりました。旧知の長純一先生、池田昌弘さんたちから、包括ケアや現在の福祉サービスから漏れ落ちている人たちへの支援現場での課題が、報告されました。現場で活動している人たちの発言は重いですね。実践家の苦悩、といったら良いのでしょうか。「無認可」「認可外」に、次なる課題が存在しています。これまでの医療福祉サービスが、医療、介護、児童、障害者というように対象者別にサービスを拡充してきました。それでも、隙間が残されています。生々しい事例を聞かせてもらいました。
また、個別サービスが、地域での助け合いを壊しているという逆効果も。農業や漁業が忙しい時期に、デイケアに来ている高齢者が、そちらの作業のアルバイトに行くという話がありました。高齢者は行くところを求めているのです。
行政によるサービスの限界が見えてきました。地域で、ともに支え合う場や方法を、生かさなければなりません。しかし、自治体にも国にも、そのような専門家はおらず、部署もありません。新しい行政手法、公共政策が必要です。
「日本の行政課題は、外国から輸入するのではなく、国内の現場で生まれている」という私の主張が、まさに実証されている分野です。さてこれらの課題を、研究者、自治体、国が、どのように吸い上げて解決するか。異業種の方との意見交換は、勉強になります。
霞が関の治外法権?
昨日書いた、復興庁が「これまでが異例だった。普通の役所に戻ったということですよ」(2016年7月8日)について。
一つには、5年経って復興事業が軌道に乗り、当初の頃のような、次々とこれまでにないことをする役所ではなくなったことです。復興はまだ道半ばですが、大きな筋道は立っています。その路線に従って、役所らしく着実に事業を進めれば良いのです。もっとも、原発事故からの復旧は、状況が違います。
もう一つは、これまでにないことを次々としてきた復興庁と、私のやり方への評価です。「賛辞」と理解しましょう。私たちが取り組んでいるのは、千年に一度の大津波と、初めて経験する原発事故です。前例通りでは国民の期待にこたえることにはなりません。次々とこれまでにないことをしました。それは、新しい施策を作っただけでなく、その進め方についてもです。平時の流儀では時間がかかり、間に合わないのです。
それができたのは、国民や政治家が、巨大な災害で異例の対応が必要だと理解してくださったからです。各省の官僚たちも、これまでの延長ではダメだと考え、普段していない、そしてできないことに取り組んでくれたからです。
私は、関係者の前で旗を振り、後ろから押しただけです。時々、理解が少ない人たちをラッセル車のように強引にかき分け、押してもダメなときは自分で書いてしまうという、強引なこともやりましたが(苦笑)。
職員たちが、私のことを「霞が関の治外法権」と呼んでいます。物騒な表現ですが。「それは私の所管ではありません」と言わない、ほかの組織の所管業務と思われることでも口を出す、それらを象徴したニックネームです。
ある人は「霞が関だけでなく、永田町の治外法権だろう」とも言ってくださいました。与野党を問わず、政治家の方にも本音で議論する、そして政治の力を借りて実現することを、「褒めてくださって」いるのだと解釈しています。これまでにないことを実現するためには、知恵と技、そして力技も必要です。