年別アーカイブ:2016年

アジアの発展に負けた大陸アフリカ、社会的共通資本の重要性

2016年9月2日   岡本全勝

朝日新聞8月27日のオピニオン欄は、シルビー・ブリュネルさん・パリ大学教授の「アフリカのいまと未来」でした。
「アフリカは遅れてきた分、格差も少ないと思っていました」との問に。
・・・実際には、アフリカ諸国は1960年代に独立した際、都市や産業化にばかり関心を抱いて、田舎をほったらかしにしてきたのです。その路線は成功しそうに見えました。アフリカは輝かしい可能性に包まれていたのです。「世界のお荷物」となるのはむしろアジアだと、当時は思われました。
幼児死亡率や平均寿命、1人あたり国民総生産(当時)などの指標を総合した場合、70年代に西アフリカのコートジボワールは韓国と、ナイジェリアはインドネシアと、ほぼ同レベルでした。冷戦の影響から韓国は発展せず、コートジボワールこそ希望が持てると世界銀行などは考えていました。
ただ、その冷戦の最前線にいたことこそが、アジアに発展をもたらしたのです。ソ連や中国と向き合った日米は、資本主義社会の結束を強めようと、韓国や台湾、東南アジア諸国に積極的に投資して発展を促しました。貧困の中にあったアジア各国も上昇への道を学び、労働力を改善し、新興産業国から新興国、先進国へと、わずか1世代の間に成長できたのです。特に韓国は、日本の経験から多くを学びました・・・
・・・民主主義の基本は、一人ひとりが平等な1票を持ち、自由に投票できることです。でも、アフリカでは肌の色や出身地域、性別や家族内の役割などで、自らの地位や行動が決まります。極めて不平等な社会で、51%が49%に勝つ西洋型民主主義の原則をここに適用するには、無理があります。
植民地支配から独立したアフリカ諸国は、民主主義を一度も経験しないまま国家を建設せざるを得ませんでした。その結果、強権的な政治が確立され、メディア支配や野党への脅迫が常態化し、選挙が骨抜きにされました。民主主義の名に値する選挙を実施している国はほとんどありません・・・
・・・アフリカで機能するのは、むしろ「長談義」のシステムでしょう。話し合いを延々と続けながらコンセンサスを形成する政治です。
国内のすべての政党や政治勢力、すべての民族がテーブルを囲んで議論をする。時間の制限を設けず、みんなが受け入れられる結論が出るまで話し合う。これが「長談義」です。選挙とは異なる方法です・・・
原文をお読みください。

いかにも怪しいメール

2016年9月2日   岡本全勝

今日、携帯電話にメールが届きました。差出人は、見るからに変なアドレスです。表題は「メールアドレスを変更しました」で、文面は「お久しぶりです。また、食事したいですね。返事ください」です。
こんなメールに、返信する人がいるのでしょうか。笑い。直ちに削除しました。私とメールのやりとりをしている誰かの、携帯電話かパソコンが「汚染」されたのでしょうね。
復興庁の私のパソコンには、標的型メールと思われる「怪しいメール」がしばしば来ました。政府機関は狙われているようです。でも、個人携帯電話に来たのは、初めてです。

帰還困難区域の方針を県知事に説明

2016年9月1日   岡本全勝

今日9月1日は、復興大臣他と福島県庁に、帰還困難区域の取り扱い方針の説明に行ってきました。
昨日、官邸で政府方針を決定し、今日は早速、知事に説明に行きました。今後、関係市町村にも説明し、市町村・県・国とで、具体的計画をつくって進めます。

大日本帝国の解体、植民地との関係

2016年9月1日   岡本全勝

朝日新聞8月27日「戦後の原点」テッサ・モーリス=スズキさん「突然の帝国解体、旧植民地と未清算の一因」から。
「多くの日本人にとって、帝国が解体したログイン前の続きという歴史意識は薄いのでは」という問いに。
・・・日本は戦争に敗北した瞬間、それまでに得た支配地域を手放さなければならなくなりました。しかも、それは突然でした。大英帝国の場合、アジアやアフリカで独立運動も起き、植民地支配の終わりは少なくとも数十年をかけて進行するプロセスでした。
本は対照的です。敗戦と同時に突然帝国が終わったことは、旧植民地との間に今日まで未清算の問題が残る一因になりました。
日本では悲惨な敗戦体験もあり、責任意識より被害者意識のほうが支配的になりました。市民レベルでの旧植民地とのつながりが突然断ち切られたことも、双方の歴史認識の隔たりを広げた。日本政府は清算に積極的に取り組まなかったが、冷戦構造にすぐ組み込まれたせいで台湾や韓国の人々が日本を強く批判できなくなった事情もある・・・
これは、あまり取り上げられない論点です。歴史の教科書にも取り上げられることは、少ないでしょう。しかし、日本の政治家やオピニオンリーダー、アジアで活躍する人には、必須の項目です。原文をお読みください。

させていただくは、変

2016年8月31日   岡本全勝

朝日新聞8月24日の「ことばの広場」は「させていただく」でした。
・・・元来の使い方について、敬語に詳しい東京外国語大名誉教授の井上史雄さんは「業務上のやりとりなど一時的な場面で、自分と身分的な違いがない相手への敬意を表すのに用いられた表現だった」と言います。
ところが戦後、人間関係が流動的になって、使われることが増えてきました。相手の許可が不要な場面や、自分の一方的な行為についてさえも、頻繁に使われるようになりました。
その理由には、この言葉が持つ便利さがあるようです。動詞にくっつけるだけで、場面を問わずに「相手に失礼のないよう私は配慮している」ということを、あらかじめ示せるからです。文法上、どんな動詞の後ろでも使える点も、重宝された理由の一つだそうです・・

私は、この言葉の多用に、違和感を感じています。地下鉄の駅で「扉を閉めさせていただきます」と放送されます。しかし、ドアの開け閉めは、乗客に許可を得るものではないでしょう。私は心の中で、「させたげないわ」と言い返しています(苦笑)。
食堂で空いたお皿を下げる際に、店員さんが「お皿を下げさせていただきます」と言うことは、おかしく感じません。こちらも「ありがとう」とか「ちょっと待ってください」と言えます。しかし、地下鉄の駅での放送のように、大勢の人を相手に、その人たちの意見を聞く気もなく、駅員の責任で「やってしまう行為」に、「させていただきます」はおかしいですよね。また、迷惑行為や違法行為は、「禁止します」であって、「禁止させていただきます」ではありません。