案件の大きさと受け止め方の重さとは比例しない

こんなことを、考えたことがあります。
一つ一つの案件の大きさです。毎日起こる事件や抱えている課題には、重要性に差があります。ところが、個別案件の「客観的大きさ」(そのような物差しがあるとして)と、その時々に本人が受ける「重さ」とは必ずしも比例しないのです。
例えば、大きさ・重さとして、A100、B80、C50、D30の4つの案件を抱えているとしましょう。ある日に、AとBとを処理しなければならないとします。両方に十分な時間を割けないとすると、まずはAに全力投球します。そして、Bは順位が落ちます。翌日、CとDを片付けなければならないとすると、まずはCに力を入れ、残る力をDに注ぎます。両日を見ると、B80に投入した力より、C50に投入した力の方が、大きい結果になっているのです。
後で振り返って、「なんで、こんな重要なBに、十分な検討をしなかったんだろう」と思うときがあります。ABCDを同時に処理するなら、そんなことは起こりません。しかし、時間差があると、こんな結果になります。
人間にとって、仕事(勤務)の単位は、通常は1日です。「大きなBより小さなCに力を入れる」という不合理な結果を生まないためには、より長い単位で、仕事の重要性を判断しなければなりません。とはいえ、毎日の課題を片付けるのに精一杯なので、また次々と新しい課題が持ち込まれるので、なかなかそうはいきません。
これは、社会の事件も同じです。ニュースの少ない日の朝刊は、小さい事件でも大きな記事になります。大きな事件があった場合は、ほかの日なら大きな扱いになるニュースが、小さな記事になります。しかし、私たちは毎朝、朝刊の第1面を見て、そこに取り上げられているトップニュースを大きな事件だと思い、隅に追いやられた大きなニュースを小さなものと思ってしまいます。そして数日経つと、その評価間違いが修正され、大きな事件は記憶され、小さな事件は忘れられます。