人事異動

多くの職場で、人事異動の季節になりました。先日、楠木新著『左遷論』(2016年、中公新書)を読みました。で、今日は趣向を変えて、人事について書きます。この本は、左遷を軸にした、日本の企業での人事の仕組み、慣行を論じた本です。読んでいただくとわかりますが、日本の組織では、左遷はめったに起きません。よほどの失敗をしたか、ワンマン経営者ににらまれたときくらいでしょう。
本人は自分の希望のポストにつけないと、「左遷」と感じます。しかし、人事当局や上司からすると、組織の論理で人事異動を決めます。空いたポスト群に対し、異動対象となる職員群から、最適解を考えるのです。その際、個人個人の最適(部分最適)をすべてかなえることは難しく、全体として最適と考える人事異動(全体最適)を考えます。正確には、「不満を最も小さくする組み合わせ」を考えます。
他方で、異動対象の本人は、自分の実力を客観的評価(周りの評価)の1.3倍くらいに過大評価しているというのが、世間の通説です。この2つの要素によって、左遷でない異動を、本人だけが「左遷だ」と受け取ってしまうのです。この本の副題にあるように、「組織の論理、個人の心理」のずれが起きるのです。
さて、そこでの課題や対処方法は、2つあります。一つは、組織側の対策です。上司が異動対象者に、「これは左遷ではないのだよ」と、教えてあげることです。異動対象者がすねることが予想される場合は、難しい対話になります。
もう一つは、本人側です。自分の実力は、自分では見えないものです。いえ、見たくないものです。口では「私はそんなに優秀ではありませんから」と謙遜していながら、多くの人は内心で「俺様の実力は、こんなものではない」と自信(過信)を持っています。
まあ、人間とはそんなものです。自分自身に自信を持つことはよいことです。変に卑下する必要はありません。しかし、自信を持ちつつ、仕事場では困難な仕事から逃げていては、周りの人からは評価されません。実力は、仕事で発揮してこそ、評価されるのです。「内に秘めた能力」は、職場では、能力がないのと同じです。
もし、自分の意に反した異動があったら、つべこべ言わず、新しい職場で頑張りましょう。そこで腐っているようでは、あなたの評価は、ますます下がります。後は、ダウンスパイラルに陥ります。新しい職場で実力を発揮して、人事当局や上司に、「彼は、良くできるじゃないか」「今度は、××の仕事をさせよう」と言わせましょう。連載「明るい公務員講座」では、第14回(3月14日号)から、この話に入っています。