昨日の続きです。記事のなかで、待鳥先生の主張が参考になります。
・・・しかし、経済成長を社会変化の原因と見なすだけで良いのだろうか。基本的で素朴な議論になるが、ここではあえて、経済成長そのものが人々の行動の結果だという観点を改めて強調しておきたい。
近代以降の経済成長に大きな役割を果たした要因の一つは、技術革新だとされる。技術革新の背景には、現場での創意工夫から研究室での理論構築や実験まで、無数の人々が自由な着想を自分の仕事に生かそうとした行動があった。経済成長はそれらが集積した結果だった。このような行動を許容し、促したのは、社会が全体として持ち始めた自由であった。身分による縛り、迷信などを含む古い価値観の制約などから解放され、人々が自由になったことが近代社会の大きな特徴だが、それはやがて、自由になった人々が何を追求するのかも自由だ、という発想にもつながっていった。幸福追求権である。その中で、積極的かつ自由に経済活動にいそしみ、豊かになろうとすることも、幸福追求の一環として理解されるようになった・・・
さて、少し政治学や社会学に、話を発展させましょう。
日本が経済成長に成功したのは、先進諸国をお手本に追いかけたからです。しかし、それだけでは、世界中の後進国の多くが最近まで、なぜ日本のように成功しなかったのかの答にはなりません。「日本人が優秀だから」は一つの答ですが、すると近年になって成長著しい新興国は、最近になって国民が優秀になったのでしょうか。日本人は、江戸時代は劣っていて、明治になって優秀になったのでしょうか。違うでしょう。
向上心を持って努力する国民性は、この大きな要素です。しかし、それを持つことができる社会、それを許す社会が、それ以上に必要なのです。江戸時代と明治以降の違いです。各人が、自由に学問や職業を選ぶことができる社会。個人の立身出世が、社会の発展に組み込まれたことが、日本社会を躍動的なものにしました。田舎の農家の子弟が、才能に恵まれ、努力すれば(そして運がよければ)、大学教授(博士)にも、大会社の社長(実業家)にも、政治家(大臣)にもなれたのです。もちろん、経済事情や家庭の事情で、完全に自由であったわけではありません。
そこには、自由と平等、努力できる社会が、日本の経済発展の基礎にあったのです。各人の欲望の解き放ちがあり、それが社会に組み込まれたのです。明治維新を成し遂げた元勲とその後を担った政財界の大立て者も、江戸時代に生まれていたら、単なる変わり者だったでしょう。
社会の安定や個人の幸せを考えた時に、経済成長率の大小以上に、このような自由で平等な社会が重要です。そのような観点からは、戦後日本の発展を支えたこのような社会的条件が失われていないか。若者に夢と活力を失わせていないかが、心配です。それは格差の固定であり、子どもの貧困であり、家庭を持てない非正規雇用などの問題です。これは、経済と経済学の問題ではなく、政治(学)と社会(学)の問題です。