今日、「避難解除等区域復興再生計画」を発表しました。この計画は、福島特措法に位置づけられたもので、避難命令の出た12市町村について、おおむね10年間の復興の計画を明らかにしたものです。知事の申し出に基づいて、総理大臣が決定しました。
見ていただくとわかるように、この地域全体の復興計画とともに、市町村ごとの復興計画も書いてあります。もちろん、市町村ごとに状況が異なるので、内容もさまざまです。市町村も、それぞれ独自の復興計画を持っています。それらと内容を合わせて、作ってあります。今後これを、具体化し、進めていきます。
月別アーカイブ: 2013年3月
異動の季節
3月は、異動の季節でもあります。公務員だけでなく、記者さんたちも。被災地に志願していく記者さん、アメリカ勤務を命じられた記者さん。それぞれの活躍を祈って、送別会を重ねています。夜も忙しい。
世界のルール作りの舞台
朝日新聞3月17日経済面「波聞風問」原真人編集委員の「TPP交渉参加、G7ラウンドの幕が開く」から。
・・安倍政権が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加を決めた。日本のコメや自動車といった個別の利害得失はともかく、世界貿易にとって意味ある出来事だ。なにしろ、20年ぶりとなる新しい世界の通商ルールを作る舞台の幕開けとなるのだから・・
一昨年末、新しい世界の通商ルールをめざしていた世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンドが10年間のマラソン交渉の末に失敗した。150に及ぶ国々の利害調整もたいへんだったが、失敗の最大の理由は、米国がまとめようとした合意案を中国やインドがのまなかったことだった。
おかげで、WTOの立法機能は完全に機能不全におちいり、もはやWTOの新ラウンドは永久に立ち直れない、とさえ語られている・・
そこで米国は、中国ぬきのG7ラウンドで世界ルールを決める道を選んだ。それが世界標準となれば中国も無視できず、いずれその輪に加わらざるをえない。米国はおそらく、そんな大きな戦略を描いているのではないか・・
2008年のリーマンショックのあと、世界が協調して、大恐慌になることを防ぎました。1929年の轍を踏まないようにです。そして、自由貿易体制を堅持しさらに拡大すること、他方、リーマンショックの原因となった金融について国際規制をかけることが、当時の合意事項でした。その際には、G8だけでなくG20が舞台でした。麻生総理のお供をして、国際会議に行き、世界の経済とそのルール作り、さらには国際政治が動く現場を見ました(例えば2008年11月のG20、10月30日の経済対策(国内・国際)、合わせて当時の施策体系)。
熱いうちに打たないと、状況はどんどん変化し、提唱は実現しないうちに尻すぼみになります。次に、どのようにアイデアを提唱し、実現していくか。先進国が作ったルールに従うだけでなく、日本もルール作りに関与しなければなりません。それは、日本が繁栄するという観点からであり、世界が繁栄するという観点からです。
経済ルール、守るから作るへ
3月16日の日経新聞社説「TPP交渉 「守る」から「築く」へ」から。
・・人口が減る日本が将来にわたり経済成長を続けるためには、世界に打って出なければならない。米国と連携を深め、世界の成長の中心となった東アジアと結合を強めてこそ、日本は本来の力を発揮できるようになる・・
日本経済の発展を真剣に考えるなら、外に向かい目を開かなければならない。工業製品だけでなく農産物を含む日本の産品と、日本の人材、投資資金が自由に動ける舞台をつくることこそが国益である。発想を「守る」から「築く」に切り替えるときではないか・・
交渉の焦点は、モノの関税撤廃だけではない。知的財産権、技術の基準・認証、投資、国有企業の改革、サービス貿易、競争政策、環境、労働など、さまざまな分野がある。いずれも、現在の通商秩序の土台である世界貿易機関(WTO)の協定に、十分に盛り込まれていない領域だ・・
日本は駆け足で追いつき、これらのルール策定の作業に一日も早く参画しなければならない。日本にとって関税撤廃による輸出拡大の経済効果は大きいが、新領域のルールづくりには、それ以上の大局的な意味があるからだ・・
日経新聞「私の履歴書」、カーラ・ヒルズ元アメリカ通商代表、3月16日「車の輸出制限」から。日本が、経済摩擦を回避するために、自動車の輸出自主規制をしたことについて。
・・これは経済的な観点に立てば、大きな誤りだった。輸出を制限すれば競争も制限され、それだけ価格は上昇してしまうからである。
実際、日本による対米乗用車輸出自主規制は、米国の自動車産業を怠惰にしただけだった。ビッグスリーの経営者たちは競争力に何の心配もしないまま、市場によって正当化されない高禄をはみ、年金の増額も許してしまった。そうした意思決定は後に、米国の自動車産業が壊滅的状態に陥るという形で跳ね返ってきたことは、歴史が証明している・・
いつもの休日
昨日土曜日、今日日曜日と、たまった資料整理と頭の整理に出勤。この2週間は、3月11日をはさんで、仕事が忙しかったのと、各紙が特集を組んだので、読んでいない資料や新聞切り抜きが大量にたまっていました。さらに、一段落がついたので、次の仕事の段取りを考える必要があります。
今週末は、復興庁は執務室の模様替えでした。職員増員に備えて、会議室をつぶし、職員の机を動かしたり。私の部屋も工事対象なので、空いているところを見つけて移動しつつ、作業を見守りました。
机の移動と言っても、昔のように、若い衆が集まって力仕事で、というわけにはいきません。まず内装業者が、壁などを取り払います。次に床のカーペットをはがして、電気屋さんが電線を、通信業者がインターネットの回線と電話線をつなぎ替えます。そして机と書棚を移動させてと。当然、事前の金曜日夕方には、職員はパソコンを外し、書類を段ボール箱に詰めて番号を振ってと、その準備が必要でした。明日月曜朝には、箱から書類を出して・・。