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お任せ民主主義。政治というできの悪い芝居の見物、その2

2012年10月8日   岡本全勝

「國分さんは以前から、行政が政策を実行していく過程に一般の人々も参加できるようにするべきだ、と主張されています」との問に対しては。
・・それは民主主義の制度の問題ですね。民主主義の枠内で私たちにできるのは、数年に一回、選挙に行くことぐらいです。選挙は、市長のような行政の長を選ぶものもありますが、おおむね立法権に関わっています。立法府たる議会に送り込む政治家を選ぶ手続きですから。
しかし、実際に私たちに関わる政治のほとんどは、省庁や市役所といった行政権力が担っている。なのに、それらは単に決められたことを行う執行機関と見なされているから、市民は決定過程に関われない。たとえば役所が「ここに道路を作ります」と言ってきたら、それにあらがうのは本当に大変です。行政権力の決定に公式に関われる筋道がないからです。民主主義というなら、市民が行政権に関われる制度がなければいけない。難しいでしょうが、それを考案していくことが急務です・・

鋭い指摘です。選挙で議員や首長を選ぶことだけが、民主主義の実行ではありません。また、議会に陳情をしたり、デモをすることで、直ちに主張が実現する訳でもありません。
ところで、この議論の延長で、要求が実現しないと「政府が悪い」とラベルをはる人がいます。新聞記事にも、しばしば見られる構図です。これらは、政治家や行政に「後は任した」という、お任せ民主主義の表現でしょう。
「要求と拒否」「賛成と反対」だけでは、別に主体があって、本人は実現過程に参加していません。政府の主人公は国民であることを忘れています。「真に国民の立場に立った政治家の出現を望む」といった主張も、同類でしょう。
そしてしばしば、任せた相手は、役所=官僚や公務員であって、「住民の立場に立たない役所が悪い」「官僚が悪い」という結論になります。これは、まだ官僚が信頼されていることの裏返しともみることができるので、批判されつつも日本の官僚集団は存続します。

他方、公の意思決定に参加することは、時間と労力の負担が必要です。この一例が、被災地でのまちの復旧計画策定です。高台に移転するのか、現在地で復旧するのか、土地区画整理をどのようにするのか。役所に任せず、自分たちで決める話し合いが、続いています。役所に一任して、不満を言っているのは簡単です。しかしそれでは、いつまでたっても結論が出ません。
全国的政策は、その決定過程に参加することはなかなか負担が大きいですが、身近なことなら、容易です。地域のことを自分たちで決める。「地方自治が民主主義の学校」と言われる所以でしょう。
お任せは、お気楽で責任も生じません。評論家の立場を維持できます。他方、参加は、負担が生じ、責任も生じます。
もちろん、全ての公の事項の決定に参加することは不可能です。どの事項を政治家と公務員に委ね、どの事項に参加するか。また、どの段階で参加するか。その割り振りが重要になります。

第一原発視察

2012年10月7日   岡本全勝

今日は、総理のお供をして、福島県へ。第一原発に入りました。正確には、もはや原子力発電所ではなく、「元原発の事故現場・廃炉作業現場」と言った方が良いでしょう。水素爆発の跡が残る建屋や、たくさん並んだ冷却水貯蔵タンクを見てきました。
私は、4号機などの建屋には入らず、バスの中からの視察でしたが、1・2号機の建屋に近づくと、案内職員の持っている線量計は跳ね上がっていました。
私のつけていた積算線量計は、今日1日で約0.04マイクロシーベルト、年間に換算すると約0.2ミリシーベルトでした。許容値が年間100ミリ、警戒区域の解除が20ミリですから、全く問題ない数値です。
重要免震棟にある緊急時対策室では、そこに詰めている東京電力の知人に会うことができました。
前線の基地である「Jビレッジ」は、昨年4月2日に当時の菅総理とヘリで行ったことがあります。あれから、1年半がたつのですね。早いものです。あの頃はまだ緊張感のまっただ中でした。そのときに比べると、はるかに落ち着いています。
10時にJビレッジについて着替えをし、バスで第1原発へ。40分かかります。入るときと出るときに線量の検査を受け、Jビレッジに戻ってきたのが16時でした。
その後、楢葉町の除染現場や除染廃棄物の仮置き場を見、さらに、本宮市で米の全袋検査を視察。炊きたての新米のおにぎりをいただきました。おいしかったです。郡山駅で飛び乗った夜の新幹線は、車内販売がなかったので、助かりました。結局、今日の晩飯は、おにぎり2個。ダイエットできそうです(笑い)。

ところで今朝は、7時上野発の「スーパーひたち」に乗るべく、20分以上余裕を持って、6時前に家を出たのですが。地下鉄丸ノ内線が故障で止まっていて、冷や汗ものでした。この時間帯では、タクシーもつかまりそうもないので、直ちにJR高円寺駅に早足で。早朝で本数の少ない中央線が、しばらく待つと来たので、それに乗り、秋葉原経由で上野駅に。発車10分前には、着くことができました。でも、心臓に悪かったです。余裕を持って行動することは、いつでも重要ですね。

休日出勤

2012年10月6日   岡本全勝

今日は久しぶりに、休日に職場へ。部下からは「休日に出てきてはダメですよ」と、きつく言われていたのですが。ごめん、T参事官。
書類がたまっているのと、この時期は人事評価などもあるので。平日は、自分の時間がとれないのです。今日は、良かったです。部下の攻撃も、Y参事官の1件だけ。電話は鳴らず。はかどりますねえ。もっとも、昨日午後は福島に出かけて留守をしたので、今日は電子メールを60件ほど片付けるのに、2時間もかかりました。
でも、昨年の今頃は、休みという概念がなかったことに比べれば、だいぶ楽をさせてもらっています。去年は、9か月間で休みが17日でしたから。

お任せ民主主義。政治というできの悪い芝居の見物

2012年10月6日   岡本全勝

10月2日の朝日新聞オピニオン欄、國分功一郎さんの「経済成長の時代、全ては暇つぶし。政治も消費された」から。

・・日本は特に、政治を退屈しのぎにしてきた国だと思います。以前から、日本は先進国であるのに政治意識が高まらない、例外的な「臣民型」の国だという評価がありました。政治参加の意思も抗議運動への理解もない、と。・・
日本がなぜ例外であり続けたかといえば、やはり経済が大きい。60年代以降、日本だけは経済が右肩上がりで社会システムも安定していた。その中で怪物的な消費社会を作り出し、あらゆるものを消費の対象にした。政治もその一つになった・・

「マスコミは政治報道に力を注ぎ、人々も投票所に足を運んできた。それが退屈しのぎの消費に過ぎなかったのでしょうか」という問に対しては。
・・すべてがそうではありませんが、そもそも与野党がなれあって、事前に強行採決や乱闘の手順を料亭で決めていたような時代があったわけで、国会自体が出来の悪い芝居だったのではないでしょうか。
マスコミはそれを「政局」としておもしろおかしく報じ、飲み屋での政治談議に話題が提供される。政治はそんな退屈しのぎぐらいになれば十分だったんでしょう。その暗黙の前提となっていたのが、放っておいても誰かがうまくやってくれる、という政治への白紙委任的な態度です・・

鋭い指摘ですね。経済や社会がうまくいっているのなら、お任せ民主主義でも、良かったのでしょう。
後段、できの悪い芝居を、「政局」として報道していたという批判に対して、マスコミ(各紙の政治部)は、どのように反応するでしょうか。
この項続く。