リーダー待望論は敗北主義

10月17日の朝日新聞オピニオン欄、米倉誠一郎・一橋大学教授の「リーダー要りますか」から。
「なぜリーダー待望論に反対なのですか」という問に対して。
・・僕だって、白馬に乗ったリーダーが現れて、ええいっとすべての問題を解決してくれたら、こんなにありがたいことはないと思います。でも、現実には、そんな人はいません。強いリーダー、カリスマのようなリーダーを待望するのは敗北主義・・
世界を見て下さい。アメリカのオバマ大統領はとても有能な人だし、ブレーンも悪くない。カリスマ性もあった。でも今度の選挙で再選できるかどうか、大変苦労していますね。フランスのサルコジ前大統領も、カリスマ性でリーダーになったけれど、再選できなかった。今は、一人のカリスマリーダーで物事が解決できる時代ではないのです・・

「震災後の日本では、強いリーダーを求めがちなような気がします。なぜだと思いますか」との問については。
・・簡単だからですね・・
誰か立派な人が現れて、任せてしまえれば簡単でしょ。情報を集めたり判断したりしなくていい。ついていけばいいわけですから・・

私は、リーダー待望論を、「水戸黄門主義」あるいは「水戸黄門病」と呼んでいます。テレビの時代劇「水戸黄門」では、8時40分頃になると黄門さんが出てきて、一挙に問題を解決してくれます。でも、世の中はそうならないので、ドラマの中でスカッとしているだけです。テレビの水戸黄門は放映が打ち切られたようですが、仮面ライダーにしろドラえもんにしろ、「スーパーマン」は、漫画かドラマの世界にしか出てきません。
リーダー待望論はまた、「お任せ民主主義」です。有能なリーダーや信頼に足るリーダーは、育てない限り出てきません。「新人だから期待できる」は、根拠のない無責任な話です。スポーツの世界にしろ、会社経営の世界にしろ、教育の世界にしろ、「新人だからやらせてみよう」というところはないでしょう。通常は、時間をかけて育てて、選抜して、「これなら使える」とわかった人を、責任あるポストに就けるのです。
「あの政治家はダメだ」「この政治家もダメだ」と言って使い捨てにしているようでは、政治家も育ちません。