年別アーカイブ:2011年

司法制度改革10年

2011年6月8日   岡本全勝

7日の朝日新聞が、司法制度改革10年を特集していました。司法制度改革審議会が意見書を出して、10年になります。実際の改革は、その後、25本もの法律改正によって実施されました。
裁判員制度、法テラス、ADR、知財高裁、法科大学院、司法試験改革などです。司法を身近にすること、法曹の量を増やすこと、国民の司法参加が、目的でした。司法制度改革は戦後改革以来初のことで、これらは日本社会の大きな改革でした。
私は、行政改革の分類の中で、これらを、「事前調整から事後監視へ」や「公開と参加」などに位置づけました。このような改革は、ある日突然変わる、あるいは写真になるような改革ではないので、なかなか国民の実感には現れません。裁判員に選ばれると、実感するのでしょうが。

ところで先日、北村亘大阪大学教授から、この表について、地方分権改革は、「官の役割変更・経済活性化」に位置づけるより、「ガバナンス改革」に位置づける方がよいのではないか、との指摘を頂きました。
確かにそうですね。実はこの大分類は、後から考えたものです。何度も試行錯誤しました。その際に、国から地方への地方分権改革は、中央政府のスリム化であるとの位置づけからスタートしたので、それに引きずられた結果になっています。北村先生、御指摘ありがとうございました。

避難住民の所在地把握

2011年6月7日   岡本全勝

原発事故で住民が避難した市町村について、どこに住民がおられるか、把握に努めています。急いで、市町村の外に避難されたので、どこにおられるか、不明な方も多いのです。双葉郡8町村について、かなりの方の所在がわかりました。

宮城県、現地説明会

2011年6月7日   岡本全勝

昨日6日は、宮城県庁で、県内市町村関係者に集まっていただき、生活支援制度の説明会を行いました。5月16日に、岩手県でも開催しました。
その後、東松島市の被災状況を視察してきました。かなり片付いているところと、まだがれきが残っているところがありました。

社会とは何か、社会学とは何か

2011年6月5日   岡本全勝

突然気が向いて、盛山和夫『社会学とは何か―意味世界への探求』(2011年、ミネルヴァ書房)を読みました。制度や秩序とは何か、社会科学での客観性とは何か。長年悩んでいました。その回答が書かれているのではないかと思ったのです。この本はわかりやすく、かなり答をもらいました。
先生はあとがきに、次のような趣旨のことを書いておられます。
大学の卒業論文で「階級とは何か」に取り組んだが、挫折に終わった。「階級概念をどう定義すべきか」という問いが解けなかっただけでなく、解ける見通しさえ立たなかった。
・・今では、この挫折の理由は明らかである。なんといっても最大の理由は、「階級概念をどう定義すべきか」という問いは、「階級」が客観的に実在しているという前提のもとではじめて意味をもつ問いであるのに対して、実際のところ、「階級」はけっして通常の意味で客観的な実在ではないということである。今ふうにいえば、「階級」とは構築されたものなのだ・・
そして、「社会制度とは、経験的な実在ではなくて理念的な実在である」という考えにいたった。

社会学の対象となるもの(社会)は、各人の主観的な意味世界の了解から成り立っていること。そして、社会学における客観性についての考え方が、著名な学者の歴史をたどることで、わかりやすく説明されていました。社会学が問題を立てる段階で、単に「経験的」でなく「規範的」であることも。

もっとも欲を言えば、では次に社会と社会学はどの方向に、あるいはどのような方法で進めばよいかは、書かれていません。はしがきには、次のようなことも書かれています。
・・19世紀の半ばに創設され、20世紀の初めに確立した社会学は、その時代の先進産業社会の課題を引き受ける形で発展してきた。近代化や産業化、あるいは階級や社会変動が社会学の大きなテーマであったのはそのためである。
しかし、1970年代くらいを境に、現代社会の課題に重要な変化が起こった。貧困や階級の問題が大きく後退し、そのかわりに、環境、ジェンダー、マイノリティ文化などの問題が新しく重大な関心事となっていった。それに加えて、多くの先進社会では、少子高齢化、社会保障制度の持続可能性、若年労働者の失業など、それまでの産業化のプロセスのなかでは存在しなかったかあるいは一次的にしか存在しなかったような問題に、恒常的に直面することになったのである。
こうした時代の変化をうけて、社会学の研究テーマは多様化し、分散し、拡散していった。それは一方では新しく、革新的で、創造的な探求の広範な展開を意味していた。しかし他方では、社会学のアイデンティティの拡散であり、伝統的な社会学とのつながりの希薄化であり、学問的共同性の弱まりを意味することになってしまったのである・・
・・1970年代以降の社会学の混迷には、それまで無意識のうちに前提とされていた「社会」の観念が壊れてきたことが無視できない背景としてある。端的に言って、「客観的に実在する社会」というものが前提されていたのであるが、その前提が崩れてしまった。それによって、「客観的に実在する社会」を対象とする経験科学としての「社会学」という構図が解体してしまったのである・・

その関連で言えば、東大出版会PR誌『UP』5月号に、盛山先生が「近代、理論、そして多元性―戦後日本社会学の世代論的素描」を書いておられました。これは東大出版会60年を記念して、各学問分野で「60年を読む」というシリーズの一つです。4月号は地球科学について、木村学先生の「回顧 地球科学革命の世紀」でした。プレートテクトニクス理論が、簡単には受け入れられなかった歴史が紹介されていました。

被災地の復興・核は産業

2011年6月5日   岡本全勝

被災地では進度は違いますが、復旧が進み復興に取り組んでいます。現地を見て、また市町村長や役場の幹部とお話ししていて、次のようなことを考えていました。

早い段階から、何人かの市町村長さんたちは、「復興の鍵は産業だ」と指摘しておられました。「道路や住宅を復旧しても、働く場所がないと、人は戻ってこない。町は成り立たない」ということです。
三陸地方の過疎地域や、長野県の中山間地域。ここでは、限界集落に近いところもあります。地域を支える産業もなく、後継者がいないのです。現在住んでいる人たちは高齢者が多く、自給できるだけの農業となにがしかの兼業、そして年金で生活しておられます。
「なだらかに人口減少が続いていたのが、今回の災害を機に一気に減少し、集落がなくなるところもあるだろう」とおっしゃった首長もおられます。
阪神淡路大震災の時の神戸市やその近辺とは、経済・産業の条件が違います。もちろん、漁業の盛んな地域は、港と船が戻れば復興するでしょう。仙台平野も、企業が戻ってくれば復興します。しかし、過疎地域、中山間地域では、徐々に進行していた地域の衰退が、浮き彫りにされたのです。

ここで明らかになるのは、道路や住宅などインフラを復旧しただけでは、町は復興しないということです。暮らしの中心には労働があり、街の賑わいの基礎には産業があるのです。その上に、教育や社会福祉といった安心があります。住民が戻らないことには、町の将来像や行政サービスを議論できません。

1950年代から、国策によるエネルギーの転換により、炭坑が閉鎖され離職者が大量に出ました。1960年代に、雇用促進事業団が、この人たちのために再就職の世話をしました。阪神地方などに住宅を造り、移ってもらいました。当時は高度成長期であり、働く場がたくさんあって、これで失業者を吸収できたのです。もちろん、個々人には多くの苦労があったでしょうが。
現在では、労働集約型の組み立て工場はアジアとの競争にさらされ、地方への工場誘致は難しくなっています。どのようにして地域の雇用を確保するか。自治体にとっての大きな課題が、被災地では顕在化しているのです。自治体関係者だけでなく、私たち行政関係者、学者、有識者、政治家、そして産業界・企業家のヴィジョンが問われているのでしょう。