校正の悲しみ

北海道大学の宮脇淳先生から依頼されていた、原稿の校正をしました。「行政改革の現在位置~その進化と課題」年報『公共政策学』第5号(2011年3月予定、北海道大学公共政策大学院)です。1990年代以降の行政改革を分類し、その範囲と目的の変化を論じました。この数年間にわたり温めていた勉強の成果なので、自信作です。
今日の話は、原稿の校正についてです。かつては、手書きの原稿が活字になって帰って来るので、ゲラ刷りを校正することは楽しみでした。ところが最近は、ワープロ原稿を渡すので、汚い手書きがきれいな活字に変わる喜びは小さくなりました。それどころか、校正をするたびに、がっかりします。
原稿を書き終えて提出した時は、ほっとするとともに、書き上げた高揚感で満足しています。「我ながら良く書いた」と。ところが、ゲラになって戻ってきて読み返すと、落ち込みます。時間をおいて読み返すことで、書き足りなかった点や、読みづらい文章が見つかるのです。自らの力不足を反省します。 しかし、執筆の分量は限られ、締め切りが迫っているので、最小限の手直しをして送り返します。その際、編集長の朱が入ったところは、「なるほどねえ。そうだわ」と納得し、安心します。ありがたいことです。
私は依頼を受けると、なるべく早く骨子だけは書いておき、それをいったん原稿にした後、締め切り前にもう一度加筆するようにしています。そしてできれば、誰かほかの人に読んでもらって、意見を聞くようにしています。時間をおいて読み返すと、書き足りないところや読みにくいか所が見えてきます。また、読み返すたびに、加筆する場所が見つかるのです。もっとも、今続けている連載は、毎回締め切りに追われて、「熟成させる」時間が取れません。反省。