日本はどこへ行くのか・その7

これからの日本を規定する要因として、「国際環境」「国民」と「リーダー」を解説してきました。リーダー論の1は、リーダーが戦わなければならない「敵」についてでした。その2は、リーダーの役割でした。その3は、誰がリーダーになるかです。
3 誰がリーダーになるのか
誰が、新しい時代を切り開くリーダーになるか。それは、まだ見えていません。
大きな改革期には、旧秩序を破壊する人と、新秩序を作る人の、二種類のリーダーが必要なのでしょう。
前二回の改革は、憲法を書き換える改革であり、統治者が入れ替わる改革でした。今回は、統治体制を変える革命ではありません。前二回と同様に、「この国のかたち」を変える改革ですが、体制改革ではなく、「書かれていない憲法」を変える作業です。日本人と日本社会の基底にある考え方、無意識のうちに行動を規定する意識を変える作業です。それ故に、誰がどのようにして改革するのかが、わかりにくいのです。
政府や政治家を考えると、ここで期待されるリーダーは、サービス提供者としての政府でなく、国民に進むべき道を示す思想家としての政治家でしょう。この半世紀の間、そのようなことをしなくてすんだので、これまでの型の政治家と政党では、担い手になりません。
また、現時点では、日本の主な政党は、国民の階層や集団を代表しているように見えません。もちろん、旧来の社会階層という分類が、役に立たなくなっているので、階層を代表する政党であっても、新しい時代のリーダーにはなれないでしょう。
多くの学者や研究者は、欧米の思想を輸入することを主な仕事としてきたので、そのような延長では、担い手になりません。マスコミも、日々の事件を追いかけるだけでは、大きな期待はできないようです。
新しい時代を開くリーダーは、どのような集団から出てきて、どのような集団が彼を支えるのか。繰り返しになりますが、日本人の思考形態、社会の仕組みを変えるのですから、リーダーが提唱するだけでなく、国民、企業家など様々な人と集団が関わってくる必要があります。
そして、その際には、様々な勢力のせめぎ合いになるのでしょう。後から見れば、あるいは離れて見れば、「なぜ内輪でもめているのだろう」「効率の悪い競い合いをしている」と見えるでしょう。しかしそれは、試行錯誤、諸集団のせめぎ合いであるので、致し方ないことです。
自虐的な見方をしているだけでは、良くなりません。革命待望論でも、解決しません。日々の政治や経済社会活動を、積み上げていくしかありません。はなはだ抽象的、歯切れの悪い話になりました。