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2006欧州随行記2

2006年7月17日   岡本全勝
(東西の農村風景の差)
こちらは、変化の少ない風景だ。たぶん、これは千年近く続いた景色だろう。日本も農村では、つい40年前まで、2000年間にわたって「弥生式風景」が続いていた。田んぼとわらぶき屋根の農家である。それが、急速に変化した。西ヨーロッパと日本は、同じように、農業が主体の時代から産業革命を経て、さらにはIT革命の時代に入っている。どうして、一方は景観が残り、もう一方は急激な変化をしたのか。以前から、気になっていた。私が考えた結論は、次の通り。
1 生産力の差
麦畑・牧場と水田とでは、単位面積当たりの収穫カロリーが違う。牧場に至っては、一度植物を育ててから、それを飼料にして牛や豚を育てる。効率は悪い。水田の方が、たくさんの人間を養える。だから、日本は狭い面積に、大勢の人間が住んでいる。
欧州でも日本でも、農業時代は千年から2千年の長きにわたって続いた。その間に、それぞれ秩序ある風景を作った。産業革命以降、経済発展を始めると、農業の生産性を上げる他は、それ以外の産業を入れなければならない。面積当たりの人口が多い日本は、必然的に、工場やその他の建物が混み合ってくる。
今でも、可住地面積当たりの人口は、日本の方がはるかに大きい。彼らは日本の新幹線に乗って、「どこまで行っても家が続いている」「街が続いていて、東京と思っているうちに京都に着いた」と驚く。ヨーロッパでは、街と街との間は離れていて、その間に農地がある。
2 洋風化
日本はさらに、近代化とともに洋風化を受け入れた。生活の様式としては西洋化であり、アメリカ化である。台所や風呂から始まって、トイレ。畳の部屋から洋室へ、屋根の瓦もガラス窓も、今までのものも残しつつ、新しいものを取り入れた。いわば雑居状態。
その際に、木造家屋は建て替えてしまった。また、技術の進歩というか、選択肢が広がって、いろんな素材・形・色の家が建った。それ自体は進歩であり住みやすくなったので、批判することではない。向こうは、昔ながらの家で不便の中で暮らしている。しかし、日本は秩序の美はなくなった。
これに比べ、ヨーロッパは近代化とアメリカ化はしたが、洋風化はしていない。
3 石造り
そして日本は、家を建て替えることに金をつぎ込んだ。その際に、公共空間、例えば電線類地中化などにまで、手が回らなかった。
これは、今後とも続くであろう。向こうは、煉瓦や石造りの建物の骨格と外観はそのままで、内部を造り替える。こっちは、基礎から立て替える。こっちはフローの文明、あっちはストックの文明というのは、矢野暢元京大教授の卓見である(「フロ-の文明・ストックの文明 」)。伊勢神宮の遷宮を、日本人のきれい好きとほめる人もいる。それを否定はしないが、あっちに比べ金がかかる。
「鉄筋コンクリート造りは大丈夫だろう」という人がいるが、これはなお、たちが悪い。まず、50年前にできた鉄筋コンクリート造りの家に、今も住んでいる日本人はほとんどいない。この結果が物語っている。何かを変えない限り、50年後も同じことを言っているだろう。次に、最近のコンクリートは50年もつと思えない。劣化が激しいらしい。
4 農業国
なぜ、フランスやイギリス、ドイツで、きれいな農村風景が残っているか。もう一つの理由は、彼らは農業国だ。
(イギリスへ)
しばらくして、トンネルに入る。ドーバー海峡をトンネルで抜け、2時間ほどで、イギリス側のアッシュフォード駅に到着。ただし、フランスとイギリスとで1時間の時差があるので、時計の上では1時間。ここからロンドンまでは、あと1時間かかるとのこと。
アッシュフォード駅は、アッシュフォード・インターナショナル駅と表示してある。これまでは内陸部の駅だったのが、突然、国境の駅になった。
バスで移動し、カンタベリー寺院を見てから、訪問先のシェップウエイ区へ行く。
(市民税増税騒動?)
区(ディストリクト)は、日本の市町村に当たる。シェップウエイは、ドーバー海峡に面した保養地。人口約9万人。ここは、2年前にカウンシルタックス(日本での固定資産税。イギリスの町ではこれが唯一の市税)を39%引き上げようとしたが、国からストップがかかり最終的には19%引き上げた。その状況を聞く。
まずは、「どうして一時に、それだけもの増税が必要になったか」という問をする。それまではサービスを抑えていた。選挙が終わってから、一時に上げた、との答え。最初は39%を考えたが政府に反対され、29%に変更したがそれも否定され19%になった。
次の問は「住民は反対しなかったのか」。答は、反対はなかった、サービスが上がるのなら良いとのことだった。金額にしてそんなに大きな額でない、とのこと。
さらにいくつか質問するが、「政治的に複雑だ」「説明するのは難しい」との答が返ってくる。当時与党だった党が分裂したほどだから、いろいろあるのだろう。
フォークストンとあるのは、シェップウエイの中心の町です。
(議長職)
議長が、何人かの議員と職員とで応対してくれる。市長職は1972年に止めて、今は議長が首長を兼ねている。もっとも、市役所は与党リーダーを中心に、議院内閣制を取っている。ちなみに議長は、議員を39年務めたとのこと。既に年金生活者で、議長職に年間5000ポンド=100万円支給される。議会は年に9回。1回の所用は3時間程度。夕方に開く。この点については、拙著「新地方自治入門」p338参照。
ここでも、長時間のお相手をしていただいた。議長は、市民税増税より、街の自慢を聞いて欲しいらしい。保養地であること、そのために海岸を整備していること。さらには、昔ながらのケーブルカーが動いていることなど。老人夫婦がたくさん散歩している。その人たちを目当てにしたアパート(日本でいうマンション)も、増えているらしい。
下の駅から上を見る。左のかごが上に上がっている。右にも、もう一つケーブルがあったが、廃止された。
(古いものを大事に)
このケーブルカーは、一見の価値、試乗の価値があった。ドーバー海峡の崖の上の街と、下の海岸とを結んでいる。その間50メートル、高低差30メートル。1885年製。鋼鉄製のロープの両端にかごがあり、一方が上がると他方が下がる。ここまでは、どこにでもあるケーブルカーと同じ。
上から見たところ。客室の下に水を入れている。
違うのはその動力。かごの下にタンクがあって、そこに水をためる。かごが上の駅に着くと、係員がレバーを倒して水道から水を入れる。上のかごAに水がたまると、重みでかごAが下がる。下に着くと、水を捨てる。すると軽くなる。今度は、上に着いたかごBに水を入れ、そちらBが下がってくる。上下のかごの人数差=重量差がわからなくても、必要量だけ水が入るとかごは下りる。優れもの。もちろん、ブレーキがあって、突然下りたり、激突したりはしない。水は循環して使っている。パンフレットには One of the oldest water balanced cliff lifts in England opened 1885 と書いてある。
ローテクも良いところ。産業遺産並みだ。「日本だったらどうだ?」とのある議員の問に、「日本だったら、とっくの昔に電気モーターに替えたでしょう」と私は答えた。「そうだよな」。
終了後、バスでロンドンへ移動。約2時間でロンドン着。今日も、大使から説明を受ける。

帰国

2006年7月16日   岡本全勝

ご無沙汰しておりました。今日16日午後に、無事、日本に帰ってきました。8日間、フランス、イギリス、アイスランド訪問でした。パリは日本並みに暑く、アイスランドは寒い雨が降っていました。東京も暑いですね。湿度の高さが気になります。「訪問記」をご覧ください。先に書いたように、携帯パソコン(子機)を持って行ったので、旅先でもメールは読めました。職場に来たメールも、転送してもらうようにしておきました。それで、急ぎの案件は処理できました。便利ですね。家に帰ってパソコン(親機)を開いたら、400通近くのメールが届いていました。もちろん、ほとんどは向こうで読んだものです。しかし、いくつか読んでないものがあります。うーん、見落としたのかなあ・・。早速返事を打ちます。

2006年欧州視察随行記

2006年7月9日   岡本全勝
7月9日(日曜日)
12時に成田発、11時間半の飛行でパリ着。時差が7時間あるので、パリでは16時30分。いつもの新潟上空から日本海を北上するルートでなく、北海道から北上するルートを通っている。乗務員に聞くと、北朝鮮のミサイルを避けるためだそうで、この方が短縮できるとのこと。後で新聞を読んだら、こっちのルートの方が時間がかかると書いてあったが。
(邪魔の入らない良い書斎)
例によって、離陸後しばらくして食事が出る。ワインも控えめに。食事を終えたあとは、訪問先の資料に目を通し、読書と原稿書きにいそしむ。
他にすることもないし、景色を楽しむこともできない。しかも電話や来客もないので、集中できるありがたい時間。職場ではこうはいかない。新書を1冊読んだほか、原稿も進んだ。携帯パソコンも、座席にコンセントがあるので電池を心配せずに使える。機内では無線ランが使え、ファーストクラスにはラン端末があるとのこと。
もっとも、長時間じっとしているのは疲れます。ペットボトルの水を、何本飲んだかな。
(静かなパリ)
パリは最高気温30度で、とても暑い。ホテルでチェックイン後、早速、駐仏大使公邸へ。大使から説明を聞きながら食事。この公邸は、前回の随行時もおじゃましている。20時からワールドカップの決勝戦フランス対イタリアが始まるので、早々と切り上げてホテルに帰る。
日没は22時頃とのこと。外は明るいが、人通りが少ない。いつものパリとは、感じが違う。みんな、家でテレビを見ているのだろう。コンコルド広場では、警察官(機動隊?)が大勢準備をしている。試合が終わると、群衆で埋まるそうだ。
7月10日(月曜日)
(フランスの国営放送)
今日は朝から、フランステレビジョン訪問。フランスのテレビは、かつてチャンネルごとの公営企業体だったが、自立できるところ(現在の1チャンネル)を民営化し、残り(2、3、5チャンネル)を国営にした。国営にする際に、それぞれのチャンネルを会社にし、持株会社にぶら下げた。それが、フランステレビジョン。日本では、NHKにあたる。民営化できる部分は民営化し、残りは国で持つ。これも一つの考え方だ。
国営放送だが、コマーシャルも流していて、収入の3割を占めている。受信料は、近年、住民税と一緒に集めるようにした。いろいろと工夫している。その他、国際戦略なども聞く。
熱心な質疑応答で、2時間以上かかった。NHKが取材に来てくれて、この様子は、日本で11日早朝のニュースで放送されるとのこと。
昨夜、ワールドカップを放映していたのは、第1チャンネルで、これは民放。第2チャンネルはNHKでいうと総合放送、第5チャンネルが教育放送に当たる。第3チャンネルが、興味深い。地方局12局が作る、ローカルな番組を中心にしているとのこと。フランスの行政はかつては日本以上に中央集権だったし、パリの一極集中も甚だしい。そのことと、このチャンネルとの関係を勉強したかったが、時間がなかった。
フランステレビの前で
(随行の仕事)
今回も、大使館、特に総務省から来ている植村君と渋谷君にお世話になった。こちらも随行は2度目だし、気心の知れている人がいると話が早い。若い職員は、日本でも国会議員とはそんなに接触していないので、議員との距離感がわからないだろう。私の重要な仕事は、その間の「通訳」みたいなもの。
もっとも、議員さん達は「全勝ほど、厚かましい官僚はいない」と笑っておっしゃるので、私の立ち居振る舞いを真似してはいけない(笑い)。でも、議員さん達が何を考え、何をして欲しいかを早く察知するのが、総務課長の仕事。それによって、次の行動が円滑に行く。総務課長の仕事を、「潤滑油」と例えた人もいる。もちろん、「先生、それはできませんよ」、私の場合は「先生、それはあきませんで」と言うのも、重要な任務。
今回は、自民党3人、民主党1人、共産党1人、社民党1人の6人。衆議院総務委員会の委員長と理事の中から選ばれている。随行は衆議院事務局1人、総務省2人。ふだんしょっちゅう接している人たちだが、朝から夜まで一緒にいるのは、勝手が違う。今回のメンバーも理解の早い議員さん達で、ありがたい。「国会は動物園だ。政治家は変わり者の集まりだから」とおっしゃる議員もおられる。そこまでは言わないとしても、それぞれ個性がある人たちだし、自己主張も強い。その人達の意見集約も、重要な仕事。
(フランスチーム帰国)
午後は、フランス上院へ。ところが、夕べと違って、街の中心部が大渋滞。フランスサッカーチームが帰ってきて、シラク大統領と会い、ホテルクリヨンでファンの歓迎を受けるとのこと。その交通規制にぶつかってしまったらしい。
コンコルド広場に面したクリヨンの正面には、フランスチームの大きなユニフォームが飾ってある。橋を渡った反対側の上院の正面も、フランス国旗の三色のリボンが飾ってあって、さらに「フランス頑張れ」と書いてあった(11日朝に通ったら、「フランス頑張れ」は外されていた)。昨夜は、試合に負けたからか、負けてもなのか、街は意外と静かだったらしい。
(上院)
上院は、貴族の館を改修して使っている。議会事務局の人が、詳しく案内してくれる。本会議場は577人入るが、とても狭かった。石造りの建物は、こうして改造して使える。これが木の文化と石の文化の違いか。日本なら、すぐ新しい建物を建てるだろう。
フランス革命からの歴史が、そこここに展示してある。共和制の母国であることを、誇示するようだ。
7月11日(火曜日)
(フランス新幹線)
今日は早起きをして、ホテル発。パリ北駅から、新幹線でイギリスへ。ヨーロッパの駅は通常は改札がないが、新幹線にはある。国際列車なので、切符を見せたあと、税関とパスポートコントロールを通る。
こちらの新幹線のレールの幅は日本と同じ標準軌だと思うが、車内は横幅は意外と狭い。ビジネスクラスに乗ったが、横に座席が3列。朝食がでる。座席にコンセントがあるので、パソコンを使ってこの日記を書いている。
(フランスの農村)
フランスの農村風景の中を、静かに列車は進む。なだらかな起伏の農場が広がり、所々に集落がある。落ち着いたきれいな風景。集落もまとまっているし、家々が同じような色と作りなので、美しい。屋外広告が目立たないこと、電信柱が見えないことも大きい。かつてはこの風景に感激したが、このごろは慣れてしまった。
飛行機の上から見る農村風景も、美しい。平坦な農場が、植えてある作物の違いで、パッチワークのように見える。春まき小麦、冬まき小麦、牧草だろうか。もちろん、飛行機から見た日本の農村風景も美しい。整然とした田んぼ、里山や山々。きれいなものだ。西欧が黄色と土色と赤が基調なのに対し、日本は緑が基調になる。

衆議院総務委員会海外視察

2006年7月8日   岡本全勝

9日から、衆議院総務委員会海外視察に随行します。2年前にも、お供をしました。その記録は、「2004年欧州視察随行記」に載せてあります。携帯パソコンは持って行くので、メールは読めますが、このHPの更新はしばらくお休みにします。

国会閉会後

2006年7月5日   岡本全勝

国会は閉会したのですが、日々いろいろな仕事が入ってきます。今朝は、北朝鮮のミサイル発射の知らせで、携帯電話が鳴りました。総務省は消防庁が国民保護を担当しています。そのほか省としての危機管理は、総務課の担当です。