年別アーカイブ:2006年

審議会の弊害3

2006年11月10日   岡本全勝
このような分析を進めると、次のようなことも見えてきます。
これまで、審議会は「官僚の隠れ蓑」と批判されてきました。それは、委員が各省の意向で選ばれ、審議会の運営が「根回し」「ご説明」などにより実質的に官僚によって取り進められることによって、審議会は官僚が実質的に決めた政策に「お墨付き」を充てるものになっているのではないかという批判です(拙稿「中央省庁改革における審議会の整理」)。私も、よくそう説明していました。
ところが、この批判もよく考えると、変な批判なのです。すなわち、この批判は、「政策は官僚が決めるもの」という観念にとらわれています。本来、民主主義国日本にあっては、政策は選挙で選ばれた政治家が決定するはずです。そこには、政策立案は政治家が官僚に丸投げし、官僚は自らは正統性がないので有識者の意見を聞いたという形を取る、という演技が透けて見えます。
例えば税制改正なら、首相・財務大臣・総務大臣のリーダーシップ、政府税制調査会、与党(税制調査会)の関係が、問題になるはずです。それは、誰が財政に責任を持つのか、また、国民に対して責任を持つのかということです。

新しい仕事16

2006年11月10日   岡本全勝

再チャレンジ支援策の、平成19年度予算概算要求がまとまりました。概算要求は、例年8月末で締め切ります。今回は、財務大臣が追加要求を認めたので、10月末で再度締め切りました。もちろん、これは要求金額なので、これから査定を受けます。また、再チャレンジ支援策は、お金で解決できないものも多いのです。しかし、お金で、支援や支援の仕組みができるものもあります。着実に、仕事は進んでいます。

審議会の弊害2

2006年11月9日   岡本全勝
昨日の続きです。審議会の機能一つに、利害対立の調整が上げられることがあります。労使間や、医者と支払者、企業と消費者などなど。しかし、この機能も問題です。私は、審議会の整理をしているときから、変だなあと思っていました。結論から言うと、国会は何のためにあるのかということです。
例えば、今日の日経新聞「雇用改革論議を再開、厚労省が論点整理。労働政策審議会に厚労省が新たな論点を示すことで、来年の法整備に向けた本格的な論議が再開される・・」という記事の末尾に、「労使がそれぞれの利害を主張しあう旧来型の議論のスタイルが限界にきているとの批判も多い」との指摘があります。
まず、利害調整についてです。通常、議会などでは、ある議題を審議するときに利害関係者は退席させられます。当事者に有利にならないようにです。また、当事者が議論して結論を出すとすると、折り合いがつくまで結論が出ないのです。すると、合意ができるまで先延ばしする「全会一致の政治」になります。これでは、改革は進みません。利害関係者の意見は良く聞くべきです。しかし、結論はその人達を外して決定すべきなのです。
次に、利害代表者というものについてです。このような審議会の場合、委員は既成勢力の代表であって、それ以外、例えば国民が外れていることも多いのです。労働代表は、弱者の代表と思いがちですが、実は企業組合員の代表であって、それは今や勝ち組の代表です。結果として、この労働審議会も、パートや婦人を外していたのです。教育にあっては、設置者(文科省)と日教組の対立ととらえがちですが、顧客である児童生徒・保護者を忘れていることは、三位一体の記述で何度か指摘しました。その根底には、これまでの行政が、供給者の保護育成という立場であったことがあります。金融行政、畜産行政、薬品行政などについても、このHPで指摘しました。
利害調整は、それこそ、それらの対立する集団の代表であり、国民の代表である国会議員が行うべきことです。先の記者の言葉を借りれば、「今まで、労働者の代表、弱者の代表といっていた政党は、何をしていたのでしょうか」。

審議会の弊害1

2006年11月8日   岡本全勝
省庁再編の時に、審議会の整理も担当しました。その考え方は、「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』(良書普及会、2001年2月号、7月号)に書きました。そのこともあってか、記者さんが聞きに来てくれます。最近では、税制調査会を官邸で開くことについてです。2001年の整理でほとんどの審議会は各省の機関としましたが、いくつか総理の諮問機関としたのがあります。その一つが税制調査会です。その事務局を財務・総務省が務めるのか、内閣府・内閣官房が務めるのか、それは決めの問題です。
もっと大きな問題は、税制調査会の存在そのものです。ある記者の言葉を借りれば、次のようになります。
「代議制民主主義とは、国民に負担を求める代わりに、代表を選出しそこで決めることである。そう学校で習った。とすると、税金は国会で決めるべきで、税調といった民間人が決めることではない」
確かにそうです。ただし、日本国においても、税制調査会は税制の原案を決めるのであって、内閣が法案にし、最終的には国会が法律で決定します。もっとも、首相と財務大臣・総務大臣が原案作りを「丸投げし」、民間人が案を作るのなら、この批判は「政治主導でない・政治責任を果たしていない」という意味で、当たります。また、国会での審議の際に「税調で決めたので」という説明をするなら、先ほどの記者の発言が当たります。

新しい仕事15

2006年11月8日   岡本全勝

8日の朝日新聞夕刊文化欄で、長友佐波子さんが「格差社会、抜け落ちた視点。『女性はパート』で差別」を書いておられました。日本では、男性は正社員、女性はパートという図式が、女性とパートを差別してきた。パート労働者は正規に比べて待遇が悪いのが当たり前。平成不況後、男性がパートに大量に入ってきて、大問題になったが、パート差別はずっと問題だったという指摘です。正しい指摘ですね。女性とパートを二重に差別してきた。それを当たり前と考えていたのです。それが、ここにきて顕在化したのです。
日本の労働法制は、夫は働き、女性は結婚してその扶養者になることを前提としているようです。社会保険も、妻は夫の扶養者になる建前でできています。一方で、欧州ではパートと正社員も、同じ仕事は同じ時給、保険も適用されるそうです。そもそも、「正規職員・非正規職員」に当たる英語がないそうです。日本では、同一賃金同一労働ではありません。差別をなくし、格差をなくし、複線型社会をつくるためには、この社会システムを変える必要があるのです。
日本では、18歳か22歳の時の入社試験に勝った人が勝ち組です。新卒一括採用・年功序列・終身雇用・退職金で、勝ち組は守られます。そこに入れなかった人は、負け組です。これを変えるためには、パートと正社員の処遇を近づけることが必要です。でもそれは、勝ち組の処遇を引き下げることになるでしょう(賃金総額が同じとすれば)。それは、勝ち組も労働組合(=勝ち組の既得権保護団体)も反対することなのです。
日本には、ジョブ・ディスクリプション(職務記述書、職務内容書)がないことも、この現れだそうです。職務記述書とは、それぞれの職員が担当する職務の内容を書いたものです。会社は、仕事の内容を明示し、その仕事に対してこれだけの給料を払うと提示します。まあ、労働を商品だとしたら、当たり前のことですよね。これだけの仕事をしたら、これだけ払うということですから。欧米だけでなく、アジアでもこれが当たり前だそうです。
一方、日本では、「月給××円。委細面談」です。また私のような職場では、滅私奉公、無定量の労働を求められ、その代わり最後まで面倒見てやるから、という仕組みでした(もっとも、過去形になりつつあります)。これだけ働いたらこれだけ給料を払うという仕組みではないのです。逆に、これだけ働かなくてもこれだけ給料を払うということも、まかり通っていました。世界で展開している日本の大企業は、どのようにしているのでしょうか。日本人には年功序列システムを適用し、外国人には同一労働同一賃金システムを適用して、別制度を同居させているのでしょうか。