夏服・クールビズ騒動

今、霞が関と永田町をにぎわしている最大の話題は、郵政民営化でも、財政再建でもありません。それは、男の夏の服装です(笑い)。しかし、この問題は、日本の政治と社会にとって、本当に大きな問題なのです。
事の起こりは、省エネのため環境大臣が、ノーネクタイ・ノー上着を提唱したことです。官房長官も同意してモデルをかってで、総理も「よいことだ」として、閣僚の申し合わせになりました。6月から9月の間、軽装で良いこととなりました。各省に、お達しがでました。一方、国会においても、衆参両院で少し違いがありますが、本会議以外はノーネクタイ・ノー上着を認めることとなりました。
あくまでも「軽装でも良い」なのですが、あたかも「軽装にしなければならない」かのように、受け止められています。ネクタイをしていると、「なぜしているんですか」と質問されるくらいです。官僚の間には、パニックに近い「衝撃」を与えています(笑い)。これは、日本の文化、官僚文化を知る良い事例です。論点はいくつかあります。

1 問題はノーネクタイ。着ていくシャツがない。
多くの官僚は、ノー上着に悩んでいるのではありません。執務室ではほとんどの人が、脱いでいます。外出時でも、手に持っていますし。問題は、ノーネクタイです。
簡単に言うと、白いワイシャツ、特に長袖の場合、ネクタイを外すとかっこわるいのです。半袖シャツの場合は、ノーネクタイでも、かっこわるくありません。カラーシャツなら、十分かっこいいです。
しかし、これまで上着を着るときは、半袖だと上着の袖に汗で腕がくっつくので、大概は長袖シャツを着ていました。
ノーネクタイに似合うシャツと上着を、持っていないのです。持っているのは、ゴルフシャツをはじめとするポロシャツです。ところが、これはスポーツウエア、くつろぐ服装であって、仕事服ではありません。また、内規で、「ポロシャツは認めない」となっています(私は、こんなことまで規定するのはおかしいと思いますが)。
ネクタイ無しでも、襟元がかっこよく見えるシャツが、売りに出されています。これが定着するには、もう少し時間がかかるでしょう。もっとも、多くのサラリーマンは持っていないので、これから買いそろえると、一時的な消費拡大にはなります。

2 何を着ていいか、わからない。
実は、多くの人は、シャツを持っていないことを悩んでいる以上に、何を選ぶかを悩んでいます。
これまでの服装、即ち、紺のスーツに白いワイシャツは、官僚の制服でした。悩まなくてよかったのです。これが20世紀の会社至上主義、中央集権の表れであることは、拙著「新地方自治入門」のp322、p57に書きました。
制服=言われたことを守る=自分で考えない=楽、です。これに対し、服装が自由=毎朝悩む=自分で考えなければならない=大変、です。「制服=指示と従属」に対し、「服装自由=自律」なのです。今回の騒動は、夏服が問題なのではなく、「制服廃止」が問題なのです。

3 社会のありかた
となると、ノーネクタイ運動は、日本の社会のありよう、官僚文化のありようを、変える可能性があります。個性を殺して回りに同調すること、自分で考えずに指示を待つこと。この二つに慣れた男たちに、革命を迫っているのです。かつての省エネ服は失敗に終わりましたが、今回のノーネクタイ運動が成功することを、私は期待しています。
①生活面
なんと言っても、亜熱帯の日本で、夏にネクタイと革靴は無理だと思います。「脱亜入欧」の象徴ですね。フィリピンやインドネシアのような、かっこいいのが定着すると良いですね。
②意識面
思考停止人間や過同調人間を、作らないようになる。ようやく、日本に自律した人間が育つのです。
③社会面
女性は既に、このようなことを経験しています。もちろん、個性を消してリクルートスーツの人もいますが。男だけが、「会社人間で自己満足している社会」を変えることにもつながるでしょう。
④文化面
しばらくは「とんでもない服装」も、出現するでしょう。しかしそのうち、収斂すると思います。それはデザインの面と、色のコーディネイトの面においてです。これは訓練するしかないのです。

4 政治の役割
そうすると、今回の内閣によるノーネクタイ運動は、日本の社会を変えることにつながるのです。「内閣が、個人の服装まで口を挟むのか」という疑問がありますが、これも大きな政治の仕事でしょう。
明治の初めに、時の政府が官僚の服装を、和服から洋服に変えました。今回の「閣僚申し合わせ」は、「第2の開国」になるかも知れません。すると、ノーネクタイ運動は、地方分権と同じ次元、同じベクトルにあります。個人(特に官僚)の自律と地域の自律です。私のように日本の社会と政治を考える者にとっては、今回の運動は、このように見えます。だから、ぜひ成功してほしいのです。