2003年韓国訪問記

2003.8.30記、 2004.11.13補訂
【韓国との交流】
2003年8月25日から29日まで5日間、韓国へ行ってきました。韓国行政自治部と日本の総務省との内政関係定期交流セミナーです。韓国の内務部(内務省)と自治省との間で始まったこの会議は、今年で12回目です。双方の幹部が、交互に訪問し議論します。今年は、日本側が韓国を訪問する番です。西村事務次官を代表として、自治行政局・財政局・税務局の幹部が行ってきました。行政・財政・税制について、それぞれの現状と問題点の説明、質問と討論を行うほか、自治体現場で議論もしてきました。お互い、熱心な国民性(?)なので、日程は強行で、へとへとになりました。
「隣の国で考えたこと」(中公文庫)は、岡崎久彦さんの名著ですが、私も私なりに、いくつかのことを考えました。短い滞在でしたが、韓国行政自治部のお計らいで、いろいろと見せてもらえました。少しの滞在で考えを述べることは「危険である」ことは、十分承知しています。その上で、「隣の国で考えたこと」を書き留めておきます。(2003年8月30日)
1 韓国の地方行政
(1)韓国の民主化
韓国は、1987年の民主化抗争を経て、それまでの権威主義体制(独裁的政治体制)から民主主義体制(自由主義政治体制)に変換しました。第二次世界大戦後の韓国の政治・経済・社会の変化については、木宮正史著「韓国-民主化と経済発展のダイナミズム」(2003年、筑摩新書)がわかりやすいです。私も参考にさせていただきました。
韓国での民主化は、簡単に言えば、反政府デモが軍隊に鎮圧されないこと、大統領の交代が選挙で行われることと言っていいでしょう。地方行政についても、劇的な変化がもたらされました。中断されていた地方首長と議員の選挙が再開され、地方自治が復活したのです。あわせて、地方自治体への権限移譲が行われました。
(2)韓国の行政
韓国は大統領制で、日本は議院内閣制です。その違いはありますが、各省の仕組みは似ています。日本の省に当たるのは「部」です。また、日本に先立ち省庁合併を行いました。かつて、内務部が、日本の自治省と警察庁に当たりました。それが、日本と同じように行政管理部局と合併し、「行政自治部」になりました。日本の総務省(郵政部門を除く)に相当します。
この他、財政経済部、外交通商部、教育人的資源部、法務部、国防部等18の部があり、部の下に、国税庁や統計庁、警察庁といった16の庁があります。
(3)韓国と日本の地方行政 
韓国の地方行政については、自治体国際化協会刊「韓国の地方自治」が新しくわかりやすいです。かつて、日本が「併合」していたこともあり、韓国の地方制度の基には、日本の地方行政制度があるようです。例えば機関委任事務制度もあります。ただし、韓国でも見直しが始まっています。
韓国の地方自治制度は、日本と同様に議会と団体の長が両立する大統領制をとっています。
1991年に地方議会の議員選挙が、1995年に地方団体の首長選挙が実施されました。それまでは、首長は内務部が派遣する内務部官僚でした。戦前の日本の知事と同じです。ただし、道(県)には副知事が二人いて、一人は知事が選ぶ政務副知事で、もう一人は中央政府(行政自治部)が派遣する事務副知事です。
2 日本と韓国
(1)韓国の発展
韓国の発展ぶりには、目を見張るものがあります。前回訪問したのは、1995年頃だったと思います。前回の訪問と比べても、その前の韓国が「貧しかった頃」と比べても、比較になりません。ソウルの街は高層ビルが建ち並び、街もきれいになっています。街行く人も、おしゃれになっています。日本の街角と変わらないのです。
ここで経済を述べるのは、今回の旅で「政治と社会を規定する大きな要素はやはり経済である」ということを感じたからです。
政治体制が権威主義的体制から民主主義に変わったことは、先に述べました。そして、これに併せて、韓国の経済発展がありました。朴正熙大統領(1961~79)の下、いわゆる開発独裁によって、韓国は経済発展に成功しました。しかしそれはまだ、軽工業を中心とした後発型経済でした。それが、1988年にオリンピックを開催するまでになりました。
さらに、この15年間に日本に追いつき、一部では追い越したのではないでしょうか。新聞などでも報道されているように、インターネットの普及などは、日本を抜いています。例えば、韓国では新聞の記事そのものをインターネットで無料で読むことができます。日本では記事のさわりしか読めませんが。
韓国は1997年の通貨危機を経験し、ドル換算でのGDPは6割にまで減少したと伝えられています。最近の国民一人当たりGDPは、日本の27.5%(日本32,160ドル、韓国8,982ドル。2001年)になっています。
(2)韓国との交流
韓国は日本にとって「近くて遠い国」と言われてきました。私も、そう感じていました。しかし、今回の訪問を通じて、いよいよ「近くて近い国」になれるのではないか、と思いました。
まず、行きの飛行機です。8月下旬ということもあるのか、乗客のほとんどが若い女性でした。男性は数えるほどです。女性の服装も、ちょっとそこまで、という感じのラフさです。かつて韓国旅行といえば、日本の男性が「批判を受けるような」観光に行っていたことに比べ、まったく違っています。
これが、「交流」「相互理解」なんだと思いました。要人が訪問したり、経済関係が太くなることも交流でしょうが、市民レベルでの相互理解は、それらとは大きく異なると思います。
特に日本と韓国の間には、不幸な歴史がありました。正直言って、私は若いころ、「いつになったら日本と韓国は相互理解ができるのか」について、自信がありませんでした。アメリカとは戦争をしながら憧れる国になり、一方、韓国にはあれだけの被害を与えておきながら、そう親しくなったとは言えませんでした。
それを克服するのは、政治の仕事だと思っていました。しかしそれは、なかなか難しいことです。国民感情ですから。それが、いわば「草の根」で、達成されようとしているのです。その基礎には、韓国の経済発展があります。これについては、後に述べます。
(その後、韓国のテレビドラマが日本でヒットしたことは、ご承知のとおりです。この場合も、主力は女性です。)
また、歴史をさかのぼれば、古代では朝鮮半島から進んだ文化を輸入しました。江戸時代も、朝鮮通信使を尊敬したのです。案外忘れられていますが。