カテゴリーアーカイブ:私の読んだ本

少し古本を処分9

2026年2月22日   岡本全勝

少し古本を処分8」の続きなのですが。それ(2025年11月1日)以来、古本片付け作業は、進んでいません。

気が乗らない上に、寒いです。原稿の締め切りもきついし(やらない理由は、いくらでも見つかります。苦笑)。
増やさないために、本屋に行くことを自粛しているのですが、時に行っては、読めそうもない分量を買ってしまいます。買わずに図書館で借りるようにもしているのですが、じっくりと読みたくなって買ってしまい、また引用されている本が気になって買ってしまいます。
このほかに、頂き物の本があります。一部しか、このホームページで紹介できていません。すみません。

本棚は引っ越し途中で、整理されておらず、どこにどの本があるかわからなくなっています。古本片付けの際に読みたくなって取り出した本、気になって買った本、いただいた本。それらが、せっかく広くなった机の上を占領しつつあります。それを横目で見ながら、原稿執筆を続けています。
暖かくなったら、古本片付けを再開しましょう。

少し古本を処分8

2025年11月1日   岡本全勝

少し古本を処分7」の続きです。まだ続いています。なかなか減りません。なのでこの連載も続きます(苦笑)。

「少し処分」とは謙遜してつけた表題なのですが、実態を表しています(反省)。作業の際には「大胆に」捨てているつもりなのですが、全体から見ると「ほんの少し」です(涙)。
まず、やる気が起きません。処分しようと本を手に取ると、「せっかく買ったのに捨てるのか」「読むことができないのに、なんでこんなにたくさん買い込んだんだ」と悲しくなります。なので、作業に取りかかる気にならないのです。締め切りもないし。

次に、作業を始めた頃は古い本から着手したので、悩むことなく捨てることができました。だんだん新しい本になると、「読みたいなあ」という思いが出て、捨てることができません。残すと決めた本は、本棚に後戻り。
処分すると決めた本は、「こんな本も買ったのだ」とか「何が書いてあったかなあ」と、目次や気になるか所に目を通すので、時間がかかります。でも、私の読書遍歴(正確には購書遍歴)を思い出す、よい機会と思いましょう。時間をかけても良いでしょう。

書斎と廊下は作業途中で、引っ越しの荷物の片付けが終わっていないような状況にあります。それでも机の上は広くなり、資料を広げることができて、執筆作業がしやすくなりました。

文化、政治、経済の新しい古典

2025年10月14日   岡本全勝

雑誌『中央公論』2025年11月号の特集は「令和の読書と知的生産術」です。
そこに、大澤聡・砂原庸介・安田洋祐さんの座談会「文化、政治、経済......いま読むべき本は平成以降の「新しい古典」を決めよう」が載っています。3人は、1978年と1980年生まれの研究者です。

これは勉強になります。3人が、それぞれの分野で10冊ずつ挙げておられます。
政治、経済、文化の「新古典」にはこのような本が選ばれるのだと、勉強になりました。どのような基準で選ぶか、難しいところです。

古典と言われる本は、概説書や教科書に載っていて、かつて読んだか読んでなくても知っていることが多いです。しかし、近年の研究でどのようなものが必須のものなのか、学者でないとわかりません。このような記事は、研究者でない者にとって貴重な資料です。
知らない本が多かったです。みなさんは、どうですか。

少し古本を処分7

2025年10月13日   岡本全勝

少し古本を処分6」の続きです。「少し古本を処分5」の続きといった方が良いでしょう。今回は、買ったのに読まなかった本、読んだけど忘れていた本の「効用」についてです。片付けの方は、進んでいないのです(反省)。

本棚を片付けていると、「これも読んだよな」「これも買ったよな」という本が出てきます。その時々の私の好奇心と興味の広がりを示しています。読んだことも、買ったことも忘れているのですが、たぶん私の「知図」作りに、貢献したはずです。

専門家とは「何がわかっていないかを知っている人」という「定義」があります。私がいろんな分野の本を買い込んだのは、それぞれの分野の最先端の知識と、この「何がわかっていないか」を知りたかったのだと思います。全てを理解することはできませんが、おぼろげに理解していると、人と話をしたり、文章を書いたりしたりするときに、不安を持たなくて済みます。

もう一つは、私の発想を豊かにしてくれたはずです。
例えば『維新の構想と展開』(2002年、講談社。文庫に再録)は、歴史書に「構想と展開」という言葉を使うことに目を開かれました。歴史は、自然のように流れていくのではなく、人為で操作できる(限界もある)と再認識しました。
デザインという言葉が、美術や製品の形態だけでなく、組織や制度にも使われます。構想はこのデザインと同じです。designという英語は、日本語では意匠と訳されることが多いですが、中国語では「設計」です。

少し古本を処分5

2025年9月22日   岡本全勝

少し古本を処分4」の続きです。果てしないような作業で、苦しみつつ続けています。と書きながら、楽しんでいます(苦笑)。先週末も3箱を知人に預け、3箱分を捨てました。
この記事を読んだある人が、厳しい意見を送ってきました。「『明るい公務員講座』には、書類を貯めずに整理せよと書いておきながら、書いた本人は整理が悪いではないか」「言行不一致か」とです。

書類も本も大方は整理はされているのですが、捨てることができないのです。図書館だって、めったに見ない本も保存してあります。私の書斎は、私設図書館なのです。もっとも、床に積み上がった本の山は、何がどこにあるかわからず「図書館」とは言えません。そして、多分二度とみることがない本をなぜ取っておくのか。問われると答えられません。
かつて作った資料や雑誌に寄稿した記事なども、困りものです。例えてみれば、写真とそのアルバムですね。記念に取ってあっても、ほぼ見ることはありません。かといって捨てられず・・・。
我ながら、諦めの悪い奴です。書斎の棚、床、階段脇、寝室の壁沿いという空間が満杯になって、ようようあきらめたということです。

あわせて、職場に置いてある資料や本を、整理しました。原稿を書くためのものと、学者さんたちに経験を話すための過去の資料です。これらも、捨てるものと自宅に送るものに分けました。「自宅に送るもの」が難題です。それを受け入れる空間を作らなければなりません。これまで整理した成果で、本棚がいくつか空きました。これで、収納できそうです。

電子書類は、もっとたちが悪いでしょうね。場所を取らない、他人から見えないのです。紙の書類が貯まると、机が狭くなり、上司から指導が入るでしょう。「山積みされた資料、下の方は化石になっている」と表現していたのですが、電子データはこの例えが使えません。
ところが、職場では異動の際に持っていかないかぎり、電子データは消えます。いくつかの職場では、個人の保存データ総量に限界をつけたり(意図的に少なくする)、2年以上開かないファイルは強制的に削除したりして、保存データが増えないような工夫をしているようです。共有フォルダーは、担当者が定期的に削除しているのでしょうね。
他方で、自宅のパソコンは定期的に整理と削除をしないと、とんでもないことになりますよ。でも、本と違って、肉体労働をしなくても、「削除」のボタン一つで消えてしまいます。