カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第131回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第131回「政府の「大きさ」をめぐる論点」が、発行されました。今回から、第4章2(3)「社会を良くする方法」に入ります。

前回まで、政府による社会への介入の歴史と実態、その問題点を見てきました。これまで政府は、社会の安全や秩序を確保すること、産業振興や経済発展への介入、公共サービス提供などについては大きな蓄積があるのですが、新たに生まれた成熟社会の不安には十分な対応がなされているとはいえません。新しい課題の把握に遅れ、対応手法も完成していません。
特に公私二元論という考え方に拘束され、孤独をはじめさまざまな個人の悩みを支援する意識や、社会を構成員の力で良くしていくために働きかけ、その動きを助成するという意識が少なかったことが原因の一つでしょう。ここでは、政府の社会への介入手法を幅広く考えてみます。

「大きな政府と小さな政府」という議論から始めます。政府支出や公務員数を、過去や他国と比べて、特に社会保障支出に関して使われます。この指標は一定の意味はあるのですが、予算や公務員数では見えない政策や、表せない効果が多いのです。
投入量(インプット)と産出量(アウトプット)と成果(アウトカム)の違い、予算(フロー)と資産(ストック)の違い、事業間の比較ができないことなど。私が若い頃に経験した事例も挙げて、説明しました。

連載「公共を創る」目次5

「目次4」から続く。「目次1」「目次2」「目次3
全体の構成」「執筆の趣旨」『地方行政』「日誌のページへ

第4章 政府の役割再考
2 社会と政府
(3)社会をよくする手法
10月6日 131社会と政府ー政府の「大きさ」をめぐる論点
10月13日 132社会と政府ー政府による市場経済への介入手法
10月27日 133社会と政府ー市場経済への介入手法ーその特徴的な事例
11月10日 134社会と政府ー政府の社会への介入─その新たな動き・手法
11月17日 135社会と政府ー「大きな政府」から「小さな政府」へー行政改革
12月1日 136社会と政府ー行政改革の分類ー目的別・効果別の歴史
12月8日 137社会と政府ー「小さな政府」「官の役割変更」ー行政改革の分類
12月15日 138社会と政府ーガバナンス改革─行政改革の分類
(2023年)
1月12日 139社会と政府ー行革を巡る近年の動き
1月19日 140社会と政府ー政治主導を巡る近年の状況
1月26日 141社会と政府ー近年の行政改革における問題点
2月2日 142社会と政府ー行政改革から社会改革へ
2月9日 143社会と政府ー「新しい課題」への対処法
3月2日 144社会と政府ー政策を体系的に示す─内閣・府省・自治体
3月9日 145社会と政府ー「新しい課題に対する新しい行政手法」とは?
3月16日 146社会と政府ーサービス提供における官民関係の変遷
4月6日 147社会と政府ー「新しい行政手法」─その特徴と課題
4月13日 148社会と政府ー「新しい行政手法」─NPOとの関係
5月11日 149社会と政府ー対立軸の変化
5月18日 150社会と政府ー現代日本の新しい対立軸
目次6」へ続く

連載「公共を創る」執筆状況

恒例の、連載原稿執筆状況報告です。8月末に書いたように、第4章2(2)「政府の社会への介入」が思いのほか長くなったので、後半を(3)「社会をよくする手法」として独立させることにしました。

(2)が9月29日で終わり、10月6日から(3)が始まります。それで、目次のページを新しくしました。
このあと、(3)の中をどのような構成にするか、いろいろと悩んでいるのですが。原稿を書いていくうちに整理できるだろうと、見切り発車しました。行政手法については、行政学の教科書にも詳しく載っていないのです。
右筆の意見と加筆のおかげで、原稿は10月13日号までゲラになっています。

連載「公共を創る」第130回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第130回「求められる「構造的な改革」」が、発行されました。

現在の日本社会の不安は、経済成長を達成した後の停滞と、成熟社会がもたらす孤独から成っていると考えられます。それらを乗り越えるためには、これまでの政策手法や行政活動の単なる延長では対応できません。社会の在り方や国民の通念を変えていく必要があり、それは日本社会にとって明治維新と戦後改革に次ぐ第三の改革、第三の開国であると主張しました。
第一の改革である明治維新では、身分制が廃止され、職業選択の自由が認められました。第二の改革である戦後改革では、基本的人権の尊重や国民主権が定められました。いずれも「この国のかたち」を大きく変更するものでした。今回はそれらとは違った次元での、「この国のかたち」の変更が求められています。
変えなければならないのは、憲法や法律ではなく、慣習や社会の仕組みであり、それは「日本独自の」と呼ばれ、これまでの日本の発展と安心を支えてきたものでもあるのです。そこに、第三の改革の難しさがあります。

第三の改革が進まないことについては、官僚の責任もあるのですが、政治分野の指導者や有識者の怠慢も指摘することができるでしょう。危機感と構想力の欠如です。改革の必要性は多くの人が主張しますが、実を結んでいません。バブル経済崩壊からは30年、21世紀に入って既に20年を経ても、なお経済は停滞したままで社会の不安も払拭されていません。
新自由主義的改革と言える1980年代の「中曽根行革」、中央省庁改革と地方分権改革を成し遂げた90年代の「橋本行革」以降も、政治家や有識者、報道機関はこぞって「改革」を主張しました。しかし、わが国が抱える基本的問題について、個別改革の羅列でない、構造的な改革案は提示されていないように思います。
行政改革や規制改革、企業の経営や現場でのさまざまな改革も必要ですが、それらだけでは社会の活力と安心は戻らないでしょう。より深層にまで及ぶ社会と意識の「構造的な改革」が必要なのです。状況に大きな改善が見られないのは、それを提示できていない有識者や政治指導者層の失敗でもあります。

これで「社会と政府」をめぐる議論のうち、「政府の社会への介入」を終えます。8月29日に書いたように、構成を少々変更します。次回から、政府による社会への介入方法について考えていきます。

連載「公共を創る」第129回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第129回「日本における政治・社会参加の現状考察」が、発行されました。

現在の社会における不安を減らすため、社会参加や他者とのつながりをつくることの重要性について述べています。前回は個人にとってのつながりの重要性を説明しました。今回は、社会の側から見た、各構成員と他者とのつながりの重要性を考えます。
この連載では、暮らしやすい社会を考える際、「社会の財産」を分類して、自然資本(自然環境)、施設資本(インフラ)、制度資本(サービス)のほかに、関係資本(人の信頼やつながり)、文化資本(住民が持つ能力や気風)の重要性を指摘しています。他者との信頼関係、さまざまな中間集団、助け合いといった地域の慣習、政治を支える精神など、関係資本と文化資本は他の資本と違って目には見えませんが、その存在は安心して暮らすために重要な要素です。そして、施設資本や制度資本が行政や企業によってつくられる「もの」であるのに対し、それらは住民の日々の行動と意識の中でつくられる「関係」であり、維持される「場」であると言えます。

「みんなちがって、みんないい」という言葉をよく耳にします。人それぞれに考え方が違います。それはお互いに認め合う必要があります。しかし「だから別々に暮らしましょう」では、社会での共同生活は成り立ちません。違いを前提とした上での、共同作業が必要なのです。「私の勝手でしょ」が成り立たない部分があることを認識し合い、社会参加していくことが必要なのです。言い換えるとするなら、「みんな違って、みんなで助け合って、みんないい」でしょうか。

他者とのつながりをつくること、社会参加することは、各人にとって負担にもなります。社会関係資本も民主主義も、一度つくればできあがる制度でなく、常に努力し続けなければならない運用なのです。