インターネットを使った授業での悪用

11月7日の読売新聞「学習端末トラブル ネットモラル 悩む学校」から。

・・・閲覧制限の突破、アダルトサイトを視聴、不正にログイン——。政府の「GIGAスクール構想」により公立小中学校で1人1台の学習用端末の配備・活用が進む中、学校現場では、教員たちが想像しなかったようなトラブルが起きていた。

「インターネットを調べれば解除方法も出ているし、これ以上の規制は難しい……」。大津市の小学校で起きた事例について、同市教育委員会の担当者は困惑した様子で打ち明けた。
学習用端末には通常、不適切なサイトを閲覧できないようフィルタリングがかけられている。しかし、同市が9月に各学校に行った調査の中で、フィルタリングを突破して、児童がわいせつ動画を閲覧していたことが明らかになった。市教委担当者は「子供たちにはネットのモラル教育を進めたい」と話す。
九州のある自治体の小学校では今夏、友人のIDとパスワード(PW)を何らかの形で知り、無断でこの友人の学習ドリルにアクセスする事例があった。接続履歴をたどって、不正アクセスした児童を割り出した。教委担当者は「こうした行為は犯罪であることをしっかりと周知したい」と語気を強めた・・・

・・・文科省の2020年度「問題行動・不登校調査」によると、いじめの認知件数は小中高と特別支援学校で51万7163件と前年度比15・6%減だったが、ネットいじめは同5・3%増で過去最多の1万8870件。特に小学校は同32・1%増の7407件だった。
学習用端末の配備がほぼ完了し、文科省が先月、全国の教委に出した通知では、GIGAスクール構想が進む中、「1人1台端末等を使ったいじめが発生する可能性がある」との懸念も示された。
教育現場も対応に追われている。
教員や子供たちに端末の使い方を教えるICT支援員を派遣する企業の男性社員は「小学校低学年だと、アルファベットの入ったPWの入力は難しい。覚えられない子供のために、PWを書いた紙を子供の端末に貼り付けている教員もいるが、それは危険だ」と指摘する・・・

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
「(1)社会を支える民間」の後半分を、右筆たちに手を入れてもらって、編集長に提出しました。毎回、さまざまな意見をくれたり、丁寧に手を入れてくれたりする右筆たちに感謝です。
締めきりに、間に合わすことができました。記事の形にしてもらうと、4回分になりました。11月25日号から12月16日号です。

今回は執筆に時間がかかり、余裕のない提出となりました。反省。
その続きの執筆も、進んでいないのです。今回出稿した分で年を越せると思ったのですが、編集長からは、年内の次の原稿の催促を受けました。
これからは恒例の年賀状書きもあるし、ほかに引き受けている案件もあります。夜の意見交換会も盛況で、時間が取れません。困ったことです。
毎回、同じことを言っています。

日本政治、改革の時代と改革疲れ

11月2日の朝日新聞オピニオン欄「選挙戦が示したもの」、境家史郎・東大教授の「ネオ55年体制 立憲は変われるか」から。

・・・衆院選は「政権選択選挙」とされます。特に今回は、与野党一騎打ちの構図となった小選挙区が多くなったため、自民党と民主党の2大政党が張り合っていた頃の政治状況に戻ったとの高揚感が、野党陣営にみなぎっていたようです。
しかし有権者が今回示した民意は、政権与党の「勝ちすぎ」を嫌ったものではあっても、政権交代を求めるものではなかったと言えます。歴史的には、2大政党がしのぎを削る状態に進んでいるのではなく、「ネオ55年体制」と呼ぶべき政治状況が続いていると見ています・・・

・・・1990年代から2000年代にかけて、日本政治は「改革の時代」でした。国際環境の変化や、経済の悪化、災害の発生といった社会不安の高まりから、様々な面で旧体制の変革が模索された時代です。そうした時代や風潮の波に乗ったのが民主党で、改革路線を打ち出した小泉政権の後、旧態依然たるイメージの短命政権が続いたこともあり、09年に民主党政権が誕生しました。
ところが、小泉政権期の「改革疲れ」と民主党政権の挫折によって、改革競争は政治の焦点から外れていきました。代わりに浮上したのは、防衛政策や憲法改正といったイデオロギー的争点です。この対立軸上で自民党と社会党が対峙したのが55年体制期で、その意味からも、日本政治は「改革の時代」を経て、「ネオ55年体制」とも言うべき局面に入ったと言えると思います・・・

連載「公共を創る」第98回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第98回「サービス提供、担い手は官か民か」が、発行されました。

前回に引き続き、社会における企業の役割を説明します。前回は、損害保険の役割を紹介しました。みんなでお金を出し合い、事故や出費の必要性が発生したときに金銭を給付するのが保険制度です。
そのような観点からは、地域や親族での助け合いが、最初の保険とも言えます。助ける側にも、助けてもらう側にもなります。そして、民間会社の保険や、政府の保険に発展しました。また、政府そのものが、保険金を集めない保険とも言えます。税金で、国民や住民の困りごとに応えるのです。

この議論をサービス提供主体の違いに広げると、経済学や行政学の教科書では公共サービスと民間サービスとの違いが説明されますが、官と民との区別があまり有効でないことがわかります。
1980年代から民営化、民間委託が広がりました。他方で、企業が撤退したバス路線などでは、市町村がそれを担う場面も出てきました。
すると、企業が提供するのか行政が提供するのかが重要なのではなく、住民にとっては、サービス提供が確保されること、そしてその質の確保です。そして、行政の役割は、民間が提供しない重要なサービスを提供することと、官民が提供するサービスの質の監視です。

なおこの視点からは、公務員と民間従業員との、一律の区別も有効ではありません。公務員はストを禁止されています。しかし、コロナウイルス感染拡大で分かったことは、役所の内部管理業務などは少々滞っても問題なく、それに比べ保育園、学童保育、介護施設は休まれると住民に大きな支障が出ます。

監視社会と見守り社会

11月2日の日経新聞私見卓見、森健・野村総合研究所未来創発センター上席研究員の「監視を見守りに転じるには」から。

・・・デジタル技術は監視社会を生み出しているという議論がある。町中に設置された監視カメラや、スマートフォンなどのデジタル機器を通じた、国や民間企業による市民の移動履歴やウェブ閲覧履歴の把握。そして、その情報を利用した思想・行動のコントロールだ。
しかし、デジタル技術を使って似たようなことが行われていても、それが「見守り」になるケースもある。たとえばセコムなど民間企業が提供する見守りサービスは、子供や高齢者の所在地の把握を通じて安心を提供する。また公共サービスのデジタル化が世界最高水準であるデンマークでは、国民の満足度は極めて高い。どちらのケースも企業や国家がユーザーの膨大な個人データを把握しているにもかかわらず、である。

この違いを生み出す要因は何か。まずセコムの例のようにユーザーが自らお金を出してサービスを受ける場合は見守りになる。我々は監視対象ではなく顧客だからだ。しかしこの解決策では、お金のある人だけが「見守り社会」を享受できることになってしまう。
そうではなく、市民全体が「見守り社会」に属するためのヒントはデンマークにある。デンマークは国民の「一般的信頼」、つまり他者一般を信頼する度合いが高い。データ活用でいえば、自分の個人データは国や企業によって悪用されないと人々が信頼していると言い換えてもよい・・・