カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」執筆状況

連載「公共を創る 新たな行政の役割」、定例の執筆状況報告です。前回報告したように、第3章1を書き上げた後構成を変更しました。
先日、第4章1(1)「社会のリスクの変化」を書き上げ、編集長に提出しました。2月18日から3月4日までの3回分に仕上がりました。

新しい社会のリスクについては、かつて月刊『地方財務』に連載したことがあります。「社会のリスクの変化と行政の役割」2010年10月号から2011年4月号。連載途中に、東日本大震災対応に呼び出され、中断しました。災害などリスクについて頭の整理をしていたら、緊急事態対応の実践に投げ込まれたのです。
その原稿を元に考えているのですが、そのままは使えません。その後の変化を追いかけ、また今回の連載の趣旨に沿うようにと考えると、結局一から書いているのと同じです。今回も右筆たちに鋭い指摘をもらい、ひとまず安心して出すことができました。

続きも、難渋しています・・・いつものことです。常に宿題を抱えていることは、精神衛生上よくないですね。

連載「公共を創る」目次3

連載「公共を創る」目次2から続く。「目次4へ
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第4章 政府の役割再考
1 社会の課題の変化
(1)社会のリスクの変化
2月18日 71社会の課題の変化―暮らしやすい社会を作るために
2月25日 72社会の課題の変化―近年の社会で顕著なリスクの問題
(2)新しい不安への対応
3月4日 73社会の課題の変化―新たに生まれてくるリスクと不安
3月11日 74社会の課題の変化―新しいリスクにさまざまな対応策
3月25日 75社会の課題の変化―失敗しても再挑戦できる環境づくり
4月1日 76社会の課題の変化―再チャレンジ政策で考える行政のあり方
4月15日 77社会の課題の変化―さまざまな問題の発生とその対策
4月22日 78社会の課題の変化―支援の形態に新たな展開
5月13日 79社会の課題の変化―成熟社会で模索する生き方
5月20日 80社会の課題の変化―多くの社会生活問題に共通の背景
5月27日 81社会の課題の変化―子どもと定住外国人の格差問題
6月3日 82社会の課題の変化―雇用形態格差がもたらす貧困と不安
6月17日 83社会の課題の変化―格差縮小へ正規雇用増と最低賃金引き上げ
6月24日 84社会の課題の変化―成熟社会が生みだした孤独と孤立
7月1日 85社会の課題の変化―増える引きこもりに居場所の確保を
7月8日 86社会の課題の変化―自由な社会で重要な他人とのつながり
7月15日 87社会の課題の変化―孤独・孤立問題に政府の取り組み
7月29日 88社会の課題の変化―格差と孤立問題解消に向けた新しい手法
8月5日 89社会の課題の変化―仕組みを変えれば国民の意識も変わる
8月19日 90社会の課題の変化―顔の見える関係を基に手を差し伸べる
8月26日 91社会の課題の変化―新たな課題対応のために生活省の設置を
9月9日 92社会の課題の変化―生活省は「制度」より「課題」に取り組む
(3)個人の責任と政府の責任
9月16日 93社会の課題の変化―「弱者発見」とその対応の拡大
9月30日 94社会の課題の変化―「個人救済」担い手と手法の変化
10月7日 95社会の課題の変化―「政府が家庭に入る」─公私二元論の変容
10月21日 96社会の課題の変化―孤独・孤立問題と近代憲法の限界
目次4」に続く。

連載「公共を創る」第70回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第70回「日本は大転換期―成熟社会の達成でなくなった日本の目標」が、発行されました。
今回は、かつての社会意識が現在では適合しなくなっている問題を幾つか指摘します。

・日本の成長を支えた社会意識が、負の効果を生んでいる場合があります。例えば「向都離村」の意識です。若者が故郷を離れ都会に出ました。それが日本の経済発展を支えました。しかし他方で、田舎には若い人が残らないことになりました。
・閉鎖的な村では、村人は互いに支え合う一方で、よそ者を警戒することで、他者との信頼をつくることが下手になりました。会社に抱えられた社員は、安心し自らを磨こうとしなくなりました。
・欧米が個人主義であるのに比べ、日本は集団主義だといわれてきました。しかし、そうではないと思います。多くの日本人は、世間の判断に従います。それは、自発的判断でなく、世間の目が厳しいので仕方なく従っているのです。それは、我が身を守っている「個人主義」ではないでしょうか。
集団主義には、受動的集団主義と、能動的集団主義があるようです。受動的集団主義は、決められたことを受け入れることです。能動的集団主義は、社会や組織をつくることに積極的に関与することです。そうしてみると、日本は受動的集団主義ですが、能動的集団主義ではないのです。社会参加が低いことは、その現れです。

戦後75年、日本の政治制度の骨格が変わっていないのに、社会の変化は驚異的でした。終戦直後まで、日本人の約半数が農業に従事し、大半の人が農村に暮らしていました。その後の経済発展によって、多くの人が農村の暮らしから離れ、勤め人になりました。そして、豊かで自由な社会を実現しました。私たちの暮らしにとって、3000年も続いた長い弥生時代が終わる、大変化の時代だったのです。この半世紀に起きた「長い弥生時代の終了」と「成熟社会の実現」が、行政や公共の在り方に変更を迫っています。

これで、第3章「日本は大転換期」を終えて、次回からは第4章「政府の役割再考」1「社会の課題の変化」に入ります。

連載「公共を創る」第69回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第69回「日本は大転換期―善の基準を教える村と宗教の機能低下」が、発行されました。

「善き生き方」という考えがあります。善いと考えられる行動を取ること、そしてそのような人生を送ることです。
この善の基準は各人で異なり、唯一決まったものはありません。世界観(世界とはこういうものだ、その中で人はこう生きるものだという、世界と人生に対する見方)や、価値観(何に価値があると認めるかという物の見方。善と悪や好ましいことと好ましくないことを判断するときの基準)に基づいて人は行動します。それは、人によって異なるのです。かつては、伝統的な村の教えと宗教が、それを教えてくれました。

ところが、近代の完成とともに、それを教えてくれる人がいなくなりました。西欧近代に生まれた自由主義立憲国家は、市民に生の意味や目的を与えません。というより、それらについて違った考えを持った人たちが共存するためにつくったのが、近代立憲国家です。
善き生き方のうち、共同生活に必要な道徳は学校で教えることにしました。道徳教育は、社会での行動の決まりは教えてくれますが、生きることの意味は避けます。
他方で、村の教えと宗教は力を失いつつあります。生きる意味や人生の意味を教えてくれる人がいなくなりました。

連載「公共を創る」第68回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第68回「日本は大転換期―どうつくるか、新しい時代の通念と道徳」が、発行されました。
前回から、日本社会の通念と道徳が、経済成長を経て変化していることを議論しています。

かつての村の暮らしには、貧しい時代の生活哲学がありました。物を大切にすることや、勤勉であることです。そして、村での教えに、明治以降は新しい意識が乗りました。「みんなで努力して豊かになろう」「欧米をお手本に追い付こう」という考え方です。それを表現した言葉が、向都離村(故郷を離れ、都会で学問や就職をすること)、立身出世(仕事などで成功し、世間に認められること)です。
しかし、この伝統的通念と道徳は、世間の変貌によって変化を余儀なくされます。伝統的な通念と道徳が、現在に必ずしも適合しません。そして、世間で生きていくための知識と判断力を、どこでも教えてもらえなくなりました。

社会の通念によって、個人の信念ができます。他方、近代科学を教えられても、多くの人が程度の差はあれ神や仏を信じています。不運にしろ幸運にしろ、人の力を超えたものを信じたいときや、科学を超えた説明を必要とすることがあります。そして、良い成果が出るようにお願いをし、占いを信じます。人間の力や自然科学を超えた存在を信じるのが、宗教です。