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まちづくりを考えた復興交付金

今日6月25日に、復興交付金の交付可能額を通知しました。今年度の第1回目、通算では第6回目になります。
特徴は、災害公営住宅や防災集団移転事業で、住宅や宅地の造成に重点があることです。そのような事業が進んでいるということの証です。資料の別紙3や別紙5を見てください。しかも、単に住宅を造るのではなく、1階部分に店舗を入れる工夫をしたり、団地内に保育施設をつくったりします。共同墓地の移転経費もです。地元の要請を反映して、まちづくりの観点から考えています。それらを考えるための検討経費も、対象としています(別紙7)。

被災企業の二重ローン対策

読売新聞6月23日の震災復興特集ページ「Q&A」は、「企業の二重ローン問題」でした。
津波で工場や店舗を流された企業が、工場や店舗を再建するために借金をしようとします。しかし、震災前に銀行から借金をしていると、それに加えて、二つ目の借金を抱えることになります。そのような企業も多いのです。これを、二重ローン問題と呼んでいます。
政府はこの問題に対処するため、2つの機関を作りました。一つは産業復興機構(経産省所管。適当なサイトがないのでこちらをご覧ください)、もう一つは東日本大震災事業者再生支援機構(復興庁所管)です。
それぞれ、事業者の相談に乗って、再建計画作りを助言したり、有利な支援制度を紹介したりします。また、既にある借金を機構が金融機関から買い取って、事業者が返済することを猶予したり、減額したりします。
これまでの災害では、事業者の再建は自己責任であり、政府などが支援したのは低利融資などが主でした。今回の復興では、事業の再建や雇用の場の確保を重視しているので、このような支援もしています。

役人が妨げる研究

読売新聞連載、秋葉鐐二郎さんの「日の丸ロケット」、6月22日「3機関統合、消えた自由」から。
2003年に、文部科学省宇宙科学研究所(ISAS、旧文部省系)、宇宙開発事業団(NASDA、旧科技庁系)、航空宇宙技術研究所(NAL、旧科技庁系)が統合して、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足しました。秋葉さんがかつて所属していた、宇宙科学研究所(かつての東大宇宙航空研究所)も、ここに統合されました。
・・統合前の宇宙3機関は、科技庁系が人員の8割、予算の9割を占めました。圧倒的に科技庁が強い。でも、まあ、今まで通りに研究がやれるなら、別に名前くらい変わってもいいんじゃないの、っていうぐらいの気持ちでした。
ところが、統合したら、そこから先、急に組織の文化が変わっちゃったんだよね。ひどいものでした。大企業が小企業を吸収するみたいな感じでした。
どう変わったかというと、研究の自由が奪われたのです。要は、事業団は役人なんだね。研究者だけでなく、役所出身者も寄せ集めた組織だったからでしょう。何かやろうとすると、すぐ、安全上の手続きが不足しているみたいなことを言う。とにかく、なんでもかんでも書類に書かせる。そして、書類を審査する側が、資料が足りないとか、説明不足とか何とか言って、どんどん研究者の時間を持っていく・・

イギリス社会はどう変わったか。英国病の前と後

清水知子著『文化と暴力―揺曳するユニオンジャック』(2013年、月曜社)が、興味深いです。
サッチャー政権以後のイギリス社会を対象に、「働かない労働者を、どのようにして変えたのか」「社会の亀裂はどう広がり、サッチャリズムはどう利用されたか」「衰退した帝国はどのように反転を試みているか」などを分析しています。政治経済ではなく、社会文化の観点からです。
サッチャー首相にとって、新自由主義はあくまで手段であって、目的は「国民の信条を変えること」「国民の精神的な構造を変革すること」だったと、清水さんは喝破します。第2次大戦戦後のイギリス政治を特徴づけてきた「合意の政治」「福祉国家」こそが労働意欲をそぎ、サッチャー首相が登場する頃には、国民全体が福祉に依存する怠惰な文化を生み出し、英国病をもたらしたという主張が受け入れられていました。しかし、首相が主張し、各種の制度を改革しただけでは、国民の意識を変えることは難しいでしょう。それを支持した国民がいたから、劇的な変化が起きたのです。
国民の中にあった「亀裂」が、それを支えました。「内なる敵」、それは移民であったり、炭鉱労働組合であったり、アイルランド独立運動です。「私たち英国民を危機に陥らせる、人種的他者であり怠惰な市民」が敵になるのです。
一方で、伝統や集団から「独立する」ため、「自由」が尊重されます。しかし、それはサッチャー首相の言葉「社会というものはありません。あるのは個人としての男と女と家族だけです」が表しているように、中間集団というセイフティネットのない、孤立した個人と家族を生み出します。
政治や経済を論じる際に、それを支えた、あるいは反発した国民や市民の意識は重要です。しかし、分析するのは、難しいです。とらえにくく、移り気で、定量的分析にはなじみにくいです。
太平洋戦争を支持した国民意識、戦後復興と経済成長を支えた国民意識、失われた20年を受け入れた国民意識。そして、広く国民一般ではなく、指導者層、中間層、庶民、あるいは都市労働者と農民、若者と、立場の違いがあります。

日本語への引きこもり


朝日新聞6月18日夕刊、藤原帰一教授の「翻訳文化の時代が過ぎて―日本語への引きこもり」から。
・・西欧と肩を並べる国家形成を目指して以来、外国文化の吸収は近代日本の課題だった。科学技術だけではない。旧弊に閉じこもった日本を変えるためには、欧米諸国の政治制度やその基礎にある価値観を学ぶ必要があるという自覚が、近代日本の知識人を支えてきた。
外国の言葉を話し、その知識や文化を伝える官僚、知識人、そして大学が西欧化の担い手になった。外国語を話さない国民には翻訳を通してその成果が紹介された。翻訳を読むだけで外国に発信することはできないし、外国語で意思を伝えることのできる官僚や学者は稀だったから、文化の流入は一方通行だった。とはいえ、外に目を開くことがなければ日本の変革があり得ないという感覚が多くの国民に共有されていた時代はあった。
高校生の頃から、私は翻訳文化を好きになれなかった・・
だが、国外に目を開くことに意味がないと思ったわけではない。翻訳を通すことなく原語を通して外国に学ぶ、いや、ただ学ぶのではなく、同じコミュニティーの一員として外国の人々と議論し一緒に仕事をするのが当たり前ではないか。翻訳文化とはその状態に変わる前の過渡的な現象に違いないと思っていた。
実際、翻訳文化とその時代は過ぎ去った。だが、代わって訪れたのは原語を通し国境を超えて議論を行う空間ではなく、日本語を読み、日本語で考え、翻訳された文章さえもあまり読まない空間だった・・
第2次世界大戦中のように政府によって強制されるからではなく、日本の外に広がる意味空間を、自分の選択によって排除するのである。
アメリカ人だって英語だけで勉強するひとがほとんどなのになぜ日本人が外国語を読まなければいけないのかと言う人がいるだろう。だがイヤな言い方を承知で言えば、外国語、特に英語で書かれた文章は、質量ともに日本語で構成された空間とは比較にならない。東西冷戦終結後の四半世紀、ヨーロッパでも韓国でも中国でも英語で構成された空間のなかで活動する人々が急増した。英語を母語としない人も英語で発信し、学術成果を発表するのが当たり前になった。英語を使わないと仕事にならないのだから無理もない。
ところがその時代の日本は、以前よりも日本語の世界に引きこもっていった。経済成長も達成し国内だけで大きな市場を持つのだから外国に目を向けなくても生きていける。英語を使わなくても豊かな生活を保持できるのは幸福だと言うこともできるだろう。しかしその幸福は、ものを知り、考え、議論する空間が日本語の世界に縛られるという犠牲と引き換えに得られたものだった・・
部分的に紹介するだけでは、先生の主張が正しく伝わらないので、原文をお読みください。