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社会科学による大震災の分析、3

日本学術振興会(村松岐夫先生ほか)による東日本大震災学術調査プロジェクト「大震災に学ぶ社会科学」の第3回配本、第8巻『震災から見える情報メディアとネットワーク』(東洋経済新報社)が刊行されました。内容は目次を見ていただくとして、今回の災害では、新聞やテレビ、ラジオといったマスメディアのほかに、インターネットやソーシャルネットワークが活躍しました。NHKニュースを、インターネットでいつでもどこでも(海外でも)見ることができるようにした人たちがいました。ブログやツイッター、動画の投稿は、被災者が情報の受け手であるとともに、発信者にもなりました。近年急速に発達した、インターネットやソーシャルメディアが力を発揮した災害でもあったのです。
もっとも、停電した地域では、情報伝達ができず、特に原発事故による避難指示も十分には届きませんでした。被災者生活支援本部では、避難所に貼ってもらう壁新聞を配ったり、暮らしに役立つパンフレットを配ったりしました。当時の千代幹也・内閣広報官のご努力でした。私が被災者支援で手が回らないときに、「任せとき」といって、引き受けてくださいました。内閣広報官室の実力を実感しました(千代さんには、その前に私が総理秘書官のときに、内閣総務官としても助けてもらいました)。
ところで停電については、ある新聞社は、天皇陛下のおことば(ビデオ)を、概要だけ紙面に載せ、「全文はインターネットでお読みください」としました。被災地の人は、ネットでは読めなかったのです。
編集者のコメントには、次のように書かれています。
・・・本書の目的は、2011年3月11日の東日本大震災を生き抜いた人々が、震災後の新しい世界に適応していくために、どのように情報メディアや周囲の人々から情報を得てきたかを、実証データに基づいて多角的な視点から描こうと試みるものである。新しい世界への適応とは、災害によって生じた状況を受けとめ、心理的に反応し、社会的に行動することで事態に対処していくことを指す。本書では適応がどこまで情報メディアの利用行動と利用可能性の産物であったかを明らかにする・・・
このような分野の分析は、官庁ではできないことです。しかし、災害の現場では重要なことです。
(目次)
第1章 震災時・震災後の情報メディア環境が受け手に与える心理的・社会的インパクト
第2章 災害研究における情報メディアの役割を考える
第3章 テキストデータを用いた震災後の情報環境の分析
第4章 震災期の新聞・TV、Yahoo!トピックス、ブログ記事と投稿の特徴
第5章 災害時における情報メディアの効果的活用のために:災害時に求められる情報支援のあり方とは
第6章 被災三県情報行動パネル調査2011‐2012
第7章 首都圏情報行動パネル調査2011‐2012
第8章 必要な情報が届くために:情報環境と受け手の対応関連性・整合

復興を通じた異業種交流

昨日は、政界の大物たち(復興を支援してくださっている方々)との会合、今日は民間企業で復興を支援してくださる方々の会合でした。名前は書きませんが、皆さんが知っておられる有名人です。いつも書いているように、身内との飲み会より、異業種交流の方が勉強になります。経済の話はもちろん、中国の話や韓国との関係など。なかなか聞けない話もあります。
共通しておっしゃるのは、官民の垣根を越えた協働の重要さ、しかしその難しさ。会社や役所の管理部門を駆け上り、「純粋培養」されたエリート幹部の「できの悪さ」です。いろんな部署や他の組織を経験すること、できれば海外での経験、そして苦労してくることがこれからの幹部に必要だということ。競争のない組織、競争に打って出ない組織が腐敗し、ダメになっていくことです。お詫びの記者会見をした経験談で、盛り上がることもあります(苦笑)。
こんな方々と親しくできるのも、復興というご縁です。皆さん、「全勝さんも、長くなったねえ」「次官を辞めても、死ぬまで復興に関わるのでしょ」と言ってくださいます。貴重な会なので、復興庁の職員たち特に若手を、連れて行くことにしています。霞が関がいかに狭い社会か、そして社会の中で一部分でしかないかを、知ってもらうためです。井の中の蛙を、野原に引き出すのです。

早朝出勤、混雑緩和が理由

先日(7月1日)、霞が関の9時半始まりについて、「混雑緩和が理由だと聞いたことがあります」と書きました。これを読んだ他省庁の職員から、反応がありました。
・・・霞が関の時差出勤は、昭和40年の「時差通勤通学対策」に 由来するものと思われます・・として、次のページを教えてもらいました。「時差通勤通学対策について」(昭和40年10月14日、交通対策本部決定)。その別紙です。
やはり、そうだったんですね。でも、この資料を見ると、千代田区の混雑時間帯は、8時半から9時です。ということは、8時半までに出勤すれば良いので、今回の早朝出勤はよいことですね。昭和40年って、東京オリンピックの翌年です。私は小学生でした。東京でも、現在の地下鉄のほとんどは、できていない時代の話です。

偏った報道、媚びる発言。復興の真実を伝えて欲しい

復興庁の職員が、災害に関する国際会議に出席して、東日本大震災からの復興状況を発表しました。彼の帰国報告から。
出席者(海外の研究者)の発言、「日本の報道からは、復興が遅れているという印象しか持っていなかった。日本政府がこれほどしっかり復興に取り組んでいるとは、知らなかった」。
日本人研究者の発言「インドネシアでは、3年で住宅が復旧した。日本はようやく着工した程度で、遅い」に対して、インドネシアの研究者は、「住民が自ら周辺の木材を使って家を元通りにしただけ。日本のように、防潮堤や高台移転などの安全対策をしっかり議論した上で住宅を再建していく方が、時間はかかるが賢明だ」と発言しました。
日本のマスコミの偏った報道は、困ったものです。マスコミの人と議論すると、「遅れている点を指摘することが、マスコミの使命」とおっしゃいます。そのような役割はあるでしょう。しかし、進んでいることも取り上げないと、偏った情報は、間違った情報になります。
また、この研究者の自虐趣味も、良くないですね。外国人に媚びを売るのも、悪い癖です。そうすることで、相手国を賞賛しているとでも思っているのでしょうか。学問や研究の世界で媚びを売っても、評価されないでしょう。
インドネシアの津波からの復興への取り組みの方が、日本政府の取り組みより優れていると、本気で考えているのでしょうか。もちろん、インドネシア政府も、復旧に力を入れています。しかし、日本のインフラや住宅の復旧は、技術と言い予算と言い、世界最高級のものです。

通史が書けない

川北稔著『私と西洋史研究』の続きです。
「岩波講座世界歴史」(全31巻、1969~1974年。これは私も買いました。高校生でした)が出た後、「世界史への問い」(全10巻、岩波書店、1989~1991年)がトピックス別の編集になります。「岩波講座世界歴史」(全29巻、1997~2000年)も、通史では書けなかったそうです。
・・・なぜ通史でできないかというと、歴史家のやっていることがみんなトピックスになってしまって、まとまりようがないという、そこに尽きると思います。先ほども少し言いましたが、時代区分とかというようなことが飛んでしまっている。時代区分ができないということは、ストーリーとして流れないということです。歴史が分断・分解されてしまって、一つのまとまりとして理解できなくなる・・・何かのトピックスについて、こういう状況でここが変わりましたという表面的な説明はできるんでしょうが、世の中全体がこういうふうに変わったから、こう変わったというふうには説明されない。世の中全体がこう変わったんだという説明をしようとすると、なんでそうなったのかを言わなければならなくなるから、みんなそこに触れないようになっているのです・・・(p199)。
私が、1995年に、当時の自治省財政局の補佐たちと「分権時代の地方財政運営講座」(全7巻、ぎょうせい)を編集した際に、岩波の「日本通史」を参考に、テーマ別の論説方式をとったことを思い出しました。私が担当したのは、第1巻『地方財政の発展と新たな展開』です。編集代表には、湯浅利夫・財政局長の名前を借りました。このシリーズは歴史書ではありませんが、戦後50年が経過し、地方行財政が一定の到達点に達したこと、そして新たな展開を求められているという問題意識から、各補佐にテーマごとに掘り下げてもらおうと企画したものでした。