高松塚古墳壁画発見50年

1972年3月21日に高松塚古墳の極彩色壁画が発見されて、50年になります。「朝日新聞の特集
そのとき私は、高校の修学旅行で南九州に行っていました。ニュースを旅先で聞いて興奮しました。その頃は古墳が好きで、村内の古墳はたくさん見ていました。今は入ることができない古墳も、当時は自由に立ち入ることができました。でも、高松塚古墳なんて聞いたことがなかったので、どこかなと思いました。
旅行から帰ると、伯父が実物を見ることができたとのことで、残念な思いをしたことを覚えています。古墳は、わが家からは3キロほど離れた、小山が続く畑の中にあります。ふだん、行くことがない場所です。

昨日20日に、有楽町朝日ホールで「高松塚古墳壁画発見50周年記念シンポジウム 高松塚が目覚めた日―極彩色壁画の発見」が開かれたので、行ってきました。内容の濃い催し物でした。
陶板で複製された壁画が展示され、間近に見ることも、触ることもできました。漆喰がはげ落ちている状況も、再現されています。これは優れものでした。
次は、はげ落ちた部分や雨水で汚れた部分を(一部想像して)補って、1300年前の状態を再現してほしいです。

1300年間(途中盗掘にあいましたが)、ほぼそのままの状態の鮮やかさを保っていたことは驚きです。でも、突然起こされて、あっという間にカビが生えて、絵が劣化しました。文化財保護の大失態でした。
保護しようとして大失敗したもう一つの代表例は、法隆寺金堂壁画模写です。模写作業中に、これまた1300年間保たれていた壁画を焼いてしまいました。

マスクの脳や心の発達への影響

3月6日の朝日新聞教育欄「コロナと子ども:4」明和政子・京都大教授の「脳や心の発達、マスクの影響は」から。

――人との接触を避ける生活が続き、子どもたちの脳や心の発達には、どのような影響が出ていると考えられますか

脳が発達する過程では、環境の影響を特に受けやすい「感受性期」という特別な時期があります。この時期の環境や経験は生涯もつことになる脳と心の柱となる重要なものです。
例えば、大脳皮質にある「視覚野」や「聴覚野」の発達の感受性期は、生後数カ月から就学期前くらいまでです。脳の発達のしくみを考えると、視覚野や聴覚野の感受性期にある子どもたちが現在置かれている状況を、軽視することはできません。マスクをした他者とすごす日常では、相手の表情や口元から発せられる声を見聞きし、それをまねしながら学ぶ機会が激減しているからです。
乳幼児期の脳や心の発達を守るために、何をすべきか。幼児にもマスク着用を求めることで、どのくらい感染リスクが下がるのか。そうした議論が十分にないまま、一律に「マスク着用」を求め続けている現状を憂慮しています。

――コロナ禍が子どもの発達に及ぼした影響を示す調査はありますか

米ブラウン大学が昨年8月に出した報告によると、コロナ禍以前に生まれた生後3カ月から3歳の子どもたちの認知発達の平均値を100とした場合、コロナ禍で生まれた同年代の子どもたちは78まで低下しているそうです。マスク生活によるものなのか、身体活動の制約が大きい日常や、親のストレスによるものなのか。原因ははっきりしていません。日本でもこうした調査を公費で早急に行うべきです。

――脳の発達の面では、どうでしょうか

前頭前野の感受性期は、4、5歳くらいから始まります。前頭前野は、相手の心を、自分の心とは異なるものであることを前提に、理解する働きをもちます。それにより、相手の視点で想像したり、相手の置かれた状況に応じて協力したりすることができるのです。
前頭前野の発達にも環境が大きく影響します。共感できてうれしい気持ち。分かり合えず残念に思う気持ち。それを味わえる日常の経験が必要なのです。

小西砂千夫著『地方財政学』

小西砂千夫先生が『地方財政学: 機能・制度・歴史』(2022年、有斐閣)を出版されました。500ページ近い大著です。これまでも先生はたくさんの地方財政の本を出版されていますが、それら研究成果の集大成でしょうか。

歳入と歳出の概要、国と地方の財政関係、財政調整制度の仕組みなど、日本の地方財政制度と実態を説明するだけでなく、次のような項目もあります。
 序章「統治」の学としての地方財政学
 第1部 地方財政をめぐる枠組み
  第1章 地方財政制度の起点
  第2章 地方財政をめぐる法的な枠組み
すなわち、制度の沿革にさかのぼり、なぜこのような制度ができているのか、政策制度の意図まで書かれています。学者による分析だけでなく、制度を設計した政府の側に立っての説明もあるのです。
これだけのことを書ける人は、なかなかいません。この本が定番になるでしょう。

冒頭のはしがきに、先生が、地方財政の制度運営(自治省)と研究(学界)との狭間を埋めることを任務とされた、いきさつが書かれています。私との対談(2004年)だそうです。光栄なことです。対談「地方交付税制度50年:三位一体改革とその先の分権へ」(月刊『地方財務』2005年1月号。対談の写真
先生は、総務省地方財政審議会会長に就任されました。

道化師政治家

3月5日の朝日新聞オピニオン欄、フランスの作家クリスチャン・サルモンさんへのインタビュー「幅利かす道化師政治家」から。
・・・トランプ前米大統領やジョンソン英首相ら、政策を語るよりも騒ぎを繰り返す政治指導者が、なぜか人気を集める。沈滞した既存の政治を転覆させる道化師のような政治家を人々が求めているからだと、フランスの作家クリスチャン・サルモンさんはみる。その道化師を、情報技術を駆使するエンジニアが操る時代なのだという・・・

――扇動や挑発を繰り返す政治家が、今の世にはばかります。なぜこうなったのでしょうか。
「多くの政治家が新型コロナ対策で右往左往しているだけに、トランプ氏やジョンソン氏、ブラジルのボルソナーロ大統領といった傍若無人な首脳の言動は、確かに目立ちます。トランプ氏はツイートをばらまき、ジョンソン氏はジョークを連発し、ボルソナーロ氏は勝手な予言を繰り返す。大げさで、人々をからかい、ののしる姿は、まるで道化師(ピエロ)が政権を握ったかのようです」
「ナチス・ドイツはイデオロギーで人々を扇動しましたが、トランプ氏らの扇動には理念の一貫性などありません。流動的な世界を巧みに渡り歩き、デジタル空間に散らばって浮遊する人々の意識を、自ら騒ぐことによって結集する。『偉大な米国』『英国の主権』といった幻想を利用して、集団をまとめようと狙うのです」
「世の中のインテリやリベラルは、あんな道化師のどこがいいのかと批判しますが、全然わかっていない。道化師であることこそが、今や政治家の成功の秘訣となったのですから」

――まじめに政策を議論する政治は、お呼びでないと。
「例えば、フランスのマクロン大統領のような政治家は、将来に希望を持てる肯定的な世界観を築こうとしていますが、あまりうまくいってません。これに対し、道化師政治家はこれまでの政治を徹底的に否定して、政治不信を高めることに成功しました。左右両派の政治に失望し、既存の政治を否定する極端な主張や陰謀論に流れた一部の有権者の意識を引きつけたのです。現代の政治運動は、民主的な議論からではなく、このような不信感から生まれます」
「支持者らは、道化師政治家を『真実を語る』などと礼賛します。でも『政治家は信頼できない』という政治家が信頼を得るのは、大いなる逆説ですね」

「ただ、道化師政治家だけだと注目を集めることはできても、大衆を動員することはできません。道化師の背後には必ず、アルゴリズムを駆使して戦略を立てるエンジニアが控え、デジタル空間での支持拡大をもくろんでいます。大量のデータを分析し、例えば政策をテーマにしたオンラインゲームを開催して若者の関心を引きつけるなどします」

――2008年にあなたにインタビューをした際、戦後の政治指導者を3段階に分類されたのが印象に残っています。国家の枠組みをつくったチャーチル英首相やドゴール仏大統領ら「国父の時代」が第1世代、石油危機以降の経済を支えたシュミット西独首相ら第2世代の「専門家の時代」、自らの軽薄な成功物語を語ることで人気を集めるサルコジ仏大統領やブレア英首相ら第3世代の「ストーリーテラーの時代」です。今は第4世代ですか。
「むしろ第5世代でしょう。ストーリーテラーの時代は、2008年から本格化した金融危機とともに去り、その被害を査定するオランド仏大統領ら『会計士の時代』に移りました。その後に到来したのが『道化師の時代』です」
「そこにはもう、民主的な手法で政策論争をしたり、首尾一貫した統治を政府が進めたりする姿はありません。かつて政治を語り合ったアゴラ(広場)はアルゴリズムに、政党はポピュリズム運動に、取って代わられました。理念が入り乱れ、イタリアでは右翼と左翼が政権をつくった例もある。もはや『政治』とは呼べない『ポスト政治』の時代。政治家は有権者に選ばれたはずなのに、全く正統性を持ち得なくなりました」
「私たちは、あらゆる政治の指標をブラックホールに投げ込んだあげく、自らもそこに吸い込まれてしまったのです。政治不信の渦は、渦自体ものみ込みました」

司馬遼太郎『ロシアについて』

新宿紀伊国屋に行ったら、ロシアや戦争に関する棚が設けられていました。その中に、司馬遼太郎著『ロシアについて 北方の原形』(1989年、文春文庫)がありました。司馬さんの一連の「街道を行く」はかなり読んだのですが、これは「あれ、まだ読んでいなかったよな」と思い、買いました。

いつもながら、広い視野と具体の事例と、そして司馬さんの語り口で読みやすく勉強になりました。
ロシア(これが書かれた当時はソ連)について書かれたものではありません。日本との関係、特にシベリアや千島、そして日本がロシアから見てどう見えるかです。そこに、司馬さんの得意であるモンゴルと満州の歴史と位置が入ります。「この国のかたち」という言葉は使っておられませんが、ロシアの特質を鋭く指摘されます。

シベリアを領土にしたのはよいのですが、ツンドラの大地は生産性が低く、その維持に金がかかります。本体以上の領土を持ち、それを維持しようと軍隊を持つと、それに振り回されます。戦前の日本と同じです。尻尾が胴体を振り回し、本体をも腐食するのです。その点、かつてのイギリスは、(善悪は別として)その海外領土経営能力は大したものです。

ところで、ラマ教がどのような影響を持っていたかも、初めて知りました。ラマ教が夫婦和合を唱えることは知っていましたが、僧が初夜権を持っていて、その過程で性病を感染させたこともあったそうです。