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狭い国土は言い訳にならない、オランダの農業

1月29日日経新聞1面連載「ネット人類未来」は「賢い農業革命、狭い国土言い訳にしない」でした。
世界一の農業輸出国はアメリカです。では、2位はどこだと思いますか?私は、オーストラリアかなと思いましたが。
正解は、オランダだそうです。国土は九州ほどしかないのですが、輸出額は790億ドル(2008年)と、日本の30倍だそうです。ITを駆使した農業経営で、トマトでは単位面積あたり収穫量が日本の3倍です。
私は、このHPでも書いているように、日本の農業は、「稲作とそれ以外の作物」を区別して議論すべきであること、そして「産業としての農業とそれ以外の人(兼業や高齢者の農業)」を区別するべきこと、「農業と農地を持っている人」とを区別すべきであると主張しています。

終末期での仏教の出番

1月28日の朝日新聞夕刊に、「僧侶が寄り添う終末期、仏教版ホスピス『ビハーラ』」が紹介されていました。20年前から、仏教を末期ケアに取り入れている新潟県長岡市の病院の例です。末期がん患者らの緩和ケア病棟、ベッド数27です。中央部に、ナースステーションと仏堂があり、菩薩像が置かれています。
ビハーラ」は、サンスクリット語で休息所や寺院の意味です。キリスト教に基づくホスピスではなく、仏教を背景とした看取りの場を指すことばとして、提唱されています。
お年寄りが、お経を読むことを許さない雰囲気がある病院もあるとのことです。「それは医療行為ですか」と。自宅では毎日、仏壇に手を合わせていた人たちです。手を合わせることで、心が安らぐのでしょう。
「お坊さんなんて、縁起でもない」という人もいるようです。しかし、平安時代の浄土思想以来、仏様が迎えに来てくださるという考えは、日本の庶民に広く行き渡っています。「葬式仏教」では、お迎えが来てから(亡くなってから)、お坊さんの出番がありますが、これも変な話ですよね。
たくさんの人が、功徳を求め、また「ぴんぴんころり」という死に方や、あの世(極楽浄土)での生まれ変わりを願って、お寺に参りお賽銭を入れます。遺族のためだけでなく、本人のためにも、最後の苦しみの場に、仏教の出番があって良いでしょう。
大震災を期に、宗教が社会で果たす役割が見直されている、一つの例です

ブランドを守る

1月28日の日経新聞「経営の視点、ブランドを死守したネスレ」から。
・・数年前、ネスレ日本は、イオンと大げんかした。イオンがプライベートブランド(PB=自主企画)で、ネスレのチョコレート菓子「キットカット」に似た商品を発売し、大量に陳列した。しかもその横に本物のキットカットをわずかな量だけ並べていたのだ。
ネスレ側は、この「仕打ち」に激怒。イオンは売上高の約10%を占める最大の販売先だったが、一切の販促費を止めた。イオンにおけるキットカットの販売は減少。ネスレ日本の売り上げも落ち込んだが、平然とこう言い放った。「キットカットは中身をPBと入れ替えたとしても、必ず売れる」。その価値がわかっていないことへの抗議だった。
「本物ブランドは味と品質に優れるだけでなく、消費者の感情に入り込んでいる」とネスレ日本の高岡浩三社長は話す。グローバル成長には世界共通のメガブランド商品が不可欠。それを育てるには時に販売減のリスクを冒してでも、ブランド価値を守るこだわりが必要というわけだ・・
日本企業が、アジアで日本製品をまねた偽物や類似品に困っていますが・・・

政治の役割、国家嚮導行為

高橋信行著『統合と国家―国家嚮導行為の諸相』(2012年、有斐閣)を、本屋で見つけました。
「国家嚮導行為」とは、「政治的計画や予算、外交、国防といった、国家の進むべき基本方針に関わる創造的・積極的な作用」と定義されています。そして、国家が国家として存在するためには、国家がその時々の課題に応じて積極的に政策を遂行することで、国民を国家につなぎ止め、統一がもたらされるという考えです。

連載「行政構造改革―日本の行政と官僚の未来」で、政治家と官僚の役割分担を論じた際に、政治家や政治の役割を書きました。そして、「立法は国会に、行政は内閣に、司法は裁判所に分担される」という三権分立の考えが、政治の役割を忘れさせていることを指摘しました(連載第三章一1統治の中の政治)。
「国会=法律の決定」→「内閣=法の執行」では、誰が政策の立案をするかが抜けています。「法律の決定」の前に、「政策の立案」が必要なのです。すると「政策の立案」→「法律の決定」→「法の執行」という流れになります。そして、現代国家では、政策の立案の多くは内閣が行います。高橋和之先生の「内閣によるアクション―野党と国会によるコントロール」を、わかりやすい説明として紹介しました。
また、政治目標(政治課題)の設定と政策の統合が、与党と内閣の大きな責務であること。この「政策の立案」の多くを官僚に委ねることが、官僚主導です。官僚への批判と官僚主導の問題は、官僚が政治家の仕事を代行していたことを指摘しました(第二章四1政治の責任)。
連載を中断し(総理秘書官になって、とても時間がとれませんでした)、時間が経ってしまいました。月刊誌で14回、200ページを超えるまで書いたのですが。ライフワークと考えているので、勉強を重ね、いずれ本にしたいと考えています。官邸でも現在の職場でも、政策の立案や政と官の役割を、日々体験させてもらっています。経験や知識は増えているのですが、今の仕事の状況では、執筆はいつになるやら(決意表明ばかりで、反省)。
高橋先生の本は、公法学からのアプローチですが、私の視点からも勉強になりそうです。もっとも、読み終えるには、時間がかかりそうないので、読んでいない時点で紹介しておきます。