カテゴリー別アーカイブ: 歴史

「科学技術の現代史」

佐藤靖著『科学技術の現代史 システム、リスク、イノベーション』(2019年、中公新書)が勉強になりました。
第2次世界大戦以降のアメリカを対象とした、科学技術の研究の歴史です。それを、国家、研究組織、社会との関係から分析します。アメリカに限っていますが、この半世紀は、アメリカがほとんどの分野で世界をリードしたので、それで科学技術史になります。

前半は、冷戦期でソ連と競った時代。後半は冷戦後です。
国家・軍備による、原子力、宇宙開発、コンピュータという3つの巨大開発から始まりますが、デタント(東西緊張緩和)とともに、その方向が変わります。コンピュータがパソコンになり、巨大から分散へと大きく仕組みと思想が変わります。一方で、アメリカの経済優位が低下し、科学技術にも経済への貢献が求められるようになります。他方で、科学技術の単純な信仰は終わり、それがもたらすリスクが大きな課題になります。

本書の魅力は、科学技術を、研究者の世界で分析するのではなく、国家との関係、社会の中での位置づけで分析することです。
もちろん、新書の中にこれだけのテーマを書くには、単純化が必要です。そのために、様々なことが「切り捨てられている」と思います。しかし、細かな事実を羅列しても、鋭い分析にはなりません。どのような切り口で整理するかで、評価が問われます。
これだけわかりやすく明晰に分析するには、細部にわたる勉強と、分析の力量が必要でしょう。お勧めです。

発掘された日本列島2019、続き

昨日書いた「発掘された日本列島2019」で、大切なことを忘れていました。
本展示のほかに、特集の棚があります。その1が、「福島の復旧・復興と埋蔵文化財」です。
南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町での発掘調査結果が展示されています。

津波被災地では、高台移転のための予定地で、緊急発掘調査をしました。早く調査を終えて、住宅建設をするために、全国から調査員に応援に入ってもらいました。
発掘された日本列島展では、それらの調査成果も展示されました。参考「発掘された日本列島展2015

発掘された日本列島2019

恒例の「発掘された日本列島2019展」に行ってきました。家形埴輪など、今年も、すばらしい発見がたくさん並んでいます。
今日も、文化庁の専門家の解説がある時間に行って、解説を聞きました。毎年、その前に行って、一通り見てから解説を聞くのですが。一人で見ていては気づかなかったことを、たくさん教えてもらえます。

このあと、1年かけて全国を回ります。近くに来たら見に行ってください。

セレンディピティ

モートン・マイヤーズ著『セレンディピティと近代医学ー独創、偶然、発見の100年』(2010年、中央公論新社。中公文庫に再録)を読み終えました。
セレンディピティとは、幸運な、意外な発見という意味です。特に、何かを探しているときに、探しているものとは別のものを見つけ出すことです。
この本は、近代医学が、いかに偶然による発見によって進歩したかを、実例を挙げて説明した本です。

青カビからペニシリンを見つけたことは、有名ですね。ペニシリン発見の偶然も、詳しく読むと、かなり幸運な偶然です。ところがこの本を読むと、出てくるわ出てくるわ、次々と同じような例があるのです。
科学者が、それまでの知見の上に推理を重ね、実験を続けますが、うまく行きません。その分野の大家でない新人が、偶然、びっくりするような発見をします。しかし、なかなか学界では認めてもらえないのです。もちろん、素人が偶然に遭遇しても、発見にはつながらないのですが。
読んでいくうちに、あまりにそのような例が多いので、食傷気味になるほどです。近代医学の発展は、直線的でなく、偶然の積み重ねだとわかります。

情念が時代を動かす

鹿島茂著『ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789-1815』(2009年、講談社文庫)が面白かったです。
物欲や性欲、名誉欲、これらの情念によって人は動き、歴史が作られます。ところが、この上にさらに人を動かす情念があるというのです。陰謀、移り気、熱狂です。しかも、この3つを体現した人物が歴史を大きく動かした。それが、この本の内容です。
陰謀情念はジョセフ・フーシェ。移り気情念はタレーラン。熱狂情念はもちろんナポレオン・ボナパルトです。
ナポレオンはよく知られていますが、あとの2人はそれほど知られていないでしょう。先に、シュテファン・ツワイク著『ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像』を岩波文庫で読みました。これも面白かったです。

英雄を中心とした歴史は、かつてほど評価を受けなくなりました。もちろん、一人や二人の英雄によって、歴史が大きく変わったり、社会が大きく変わることはないでしょう。その時代が置かれた背景、社会や産業の構造に規定され、英雄も一人ではすべてを決定できません。
しかし、フランス革命やヒットラーを見ると、「この人がいなかったら、違ったことになっていただろう」と思います。

ナポレオンが軍事の天才としても、それを熱狂的に支えた国民、志願して従軍した若者がいたから、いくつもの戦争が成り立ちました。
しかし、ナポレオンが、ある時点で満足していたら、あるいは周囲の反対意見を聞いていたら、ロシアやワーテルローで負けることはなく、ナポレオン帝国は続いていたでしょう。ライプツィヒで負けたときにも、ナポレオン1世が退位して、息子に継がせるという停戦案もあったのです。しかし、熱狂に動かされるナポレオンは、その情念に従って自滅します。

より興味をそそるのは、そのナポレオンにからむ、フーシェとタレーランです。かれらも、自己の情念に動かされ、様々な策謀をします。ここは、本を読んでいただくとして。
歴史は、このようにも読むことができるのだという傑作です。もちろん、学問的研究でなく、小説ですよ。