カテゴリー別アーカイブ: 歴史

歴史を学ぶ意義

5月23日の日経新聞文化欄、歴史学者・呉座勇一さんの「絶対の正解求める危うさ」から。
・・・歴史に限らず「唯一絶対の正解があり、そこに必ずたどり着ける」と考える人は多いが、現在の複雑な社会で、簡単に結論の出る問題はない。性急に答えを欲しがり、飛びつくのはポピュリズムだ。
新しい時代を生きる上で重要なのは「これが真実」「こうすればうまくいく」という答えらしきものに乗せられることなく、情報を評価するスキルではないか。ネットを通じ、情報の入手自体は簡単になった。それをいかに分析し、価値あるものを選び出していくか。歴史学の根幹はこの「史料批判」にある。リテラシーを身につけるひとつの手段として、歴史学の研究成果に親しんでもらえたらと思う・・・

・・・歴史を学ぶ意義は大きく2つある。1つは現代の相対化だ。かつて、いま我々がいる社会とは全く違う仕組みの社会が存在した。異なる常識で動いていた社会を知ることが、我々の価値観を疑ったり「絶対に変えてはいけないものなのか」と問いかけたりするきっかけになる。女性・女系天皇を巡る議論も、歴史を知ることなしにはできない。
もう1つは、社会の仕組みが異なっても変わらない部分を知ること。親子や兄弟の絆、宗教的観念などは、時代を超えて今につながるものがある。この両面を通して、我々はこれからどう生きるべきか、ヒントを引き出せるのではないか・・・

未完の成熟国家、平成日本

4月30日の日経新聞社説は、「未完の成熟国家だった平成の日本 」でした。

・・・昭和は悲惨な戦争と戦後の高度成長の記憶とともに歴史に刻まれた。焼け野原から世界も驚く復興を成し遂げ、昭和の終わりには製造業の技術力と価格競争力で米国を脅かす状況すら生まれた。
1989年(平成元年)末の日経平均株価の終値は、史上最高値の3万8915円。バブル経済の熱気が社会のひずみを際立たせもしたが、近代日本の一つの到達点だったといえる。
日本は経済成長の先にどういう国家目標を定めるかが問われた。平成の出典となった「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」の言葉には、日本と世界の平和と繁栄への思いが込められていた。
しかし90年代に日本が直面したのは、バブル崩壊の後遺症といえる金融機関の不良債権問題や長期デフレ、冷戦後の国際政治の激動という現実だった・・・

・・・グローバル化の進展に伴って日本は産業構造を変え、成熟国家として社会の形を見直す必要に迫られた。しかし政府も企業も過去の成功体験を引きずり、痛みを伴う改革を先送りした。国際的な地位低下と財政の悪化に、有効な手を打つことができなかった。
政治家も努力はした。有権者が政策本位で政権選択をしやすいよう、衆院選に小選挙区制を導入した。首相官邸の機能強化や中央省庁の再編も実現した。それでも低成長時代を見据えた有効な手立てを講じてきたとは言いがたい。
平成の時代に直面した最大の試練は、人口減社会の到来だろう。少子高齢化で人口が急減する恐れは早くから指摘されていた。しかし若年層の雇用や所得水準はむしろ悪化し、出産や育児、教育への支援策も後手に回った・・・

・・・政治や経済の行き詰まりが目立った半面、平成は日本にとって文化面では実り豊かな時代だったと振り返ることができる・・・
・・・日本は経済規模で中国に抜かれた。その差はさらに開くだろう。欧米ではポピュリズムと自国中心的な流れも目立ち始めている。日本は先進民主国家として、法の支配や自由貿易、最先端の科学と文化を通じ、世界で存在感を高めていく戦略と努力が重要だ。
平成が終わり、令和の時代が始まる。我々は多くの課題を抱えながらも、いま平和と繁栄を享受している。難しい問題を一つ一つ解決し、明るい未来を次の世代にひらいていく責任がある・・・

『イタリア史10講』

北村暁夫著『イタリア史10講』(2019年、岩波新書)を紹介します。
本書の「あとがき」にも書かれているように、イタリアの歴史といえば、私たちは、すぐに古代ローマやルネッサンスを思い浮かべます。しかし、それはイタリアを舞台にした歴史であって、イタリアという国家は、たかだか150年ほどの歴史です。「イタリア国民をつくる」。
この素材をどのように「料理する」のか。そのような関心を持って、読みました。

様々な歴史上の出来事や変化を、どのような視角で切り取るか。そこに、歴史家の力量が示されます。「歴史の見方の変化」「文化史とは何か」。
その点では、「歴史10講」シリーズでは、近藤和彦著『イギリス史10講』(2013年)が出色です。このホームページでも、何回か取り上げました「覇権国家イギリスを作った仕組み」。
昨今のイギリス政治の混迷も、この国の分裂と統合の歴史、政治の機能を見ると、そんなに意外なことではありません。

そして、私たちが意外と知らないのが、現代史です。イタリア現代史では、伊藤武著『イタリア現代史』(2016年、中公新書)があります。

昭和は遠くなりにけり

「降る雪や 明治は遠くなりにけり」

俳人、中村草田男の有名な句です。
草田男がこの句を詠んだのは、昭和6年(1931年)のことです。明治は45年(1912年)までですから、それから約20年後です。というか、20年しか経っていないのです。
そこで、「遠くなりにけり」と詠んだのです。20年間のうちに、明治、大正、昭和と元号と時代が変わったことの、感慨があったのでしょう。

彼は、明治34年(1901年)の生まれ。明治45年には11歳、尋常小学校でした。そしてこの句は、母校を訪ねて詠んだようです。その時には、30歳です。
私は、この事実を教えてもらったときに、びっくりしました。
もっと時代が経ってから、そして老人が詠んだ句だと思っていたのです。草田男の表現力の素晴らしさとともに、その早熟なことにも驚きました。
江戸から明治。日本は特に東京は、大きく変貌しました。草田男は、江戸時代を直接知りません。江戸時代を知っていた人は、もっと大きな変化を見ています。

来月には、平成が終わり、令和になります。
明治時代の変化、また敗戦と高度成長時代の変化に比べれば、平成の30年間の変化は大きくないかもしれません。さはさりながら、昭和30年(1955年)生まれ、高度成長以前の村の暮らしを知っている私にとっては、この半世紀の変化はびっくりするものがあります。

そこで、草田男の句を借りて、一句。
「散る桜 昭和は遠くなりにけり」

芭蕉の句に「さまざまのこと思い出す桜かな」があります。
桜は、日本人に様々なことを思い浮かべさせます。その中でも、散る桜は、特に深い思いを引き出させてくれます。
東京は、いま桜が満開です。

ダルタニャンの生涯

書評で見かけて、佐藤賢一著『ダルタニャンの生涯 史実の『三銃士』』(2002年、岩波新書)を読みました。
アレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』は、子供の頃(児童書)で読みました。わくわくしましたよね。ところが、佐藤さんの本を読んでいただくとわかるのですが、ダルタニャンは実在の人物なのです。もちろん、小説は実物を基にしつつ、脚色してあるようです。さらに、デュマの小説には種本があって、その「ダルタニャン氏の覚え書」は本人の回想録の形を取った創作なのです。ややこしい。

ガスコーニュ地方(フランス南西部のピレネ近く)出身の若者が、郷土の先輩を頼って、パリに登り、王の親衛隊として出世します。
まさに、「出仕、陰謀、栄達、確執・・・小説よりも奇なる、人生という冒険に挑んだ男の足跡」が生き生きと描かれています。私生活もわかるのです。
ルイ14世の時代、金とコネで官職が手に入ります。当時の社会もわかります。

ところで、佐藤さんがこれを執筆されたには、元になった本や資料があると思うのですが。本書は、それについては一切触れていません。新書という体裁だからでしょうか。「直木賞作家初のノンフィクション」とあるのですが、この本も「史実」と名乗りながら、創作なのではないかと、疑ってしまいます。それも、佐藤さんの計算なのかもしれません(苦笑、失礼)。