岡本全勝 のすべての投稿

消防大学校・幹部科卒業式

今日は、幹部科の卒業式。72人の学生が卒業していきました。うち1人は、航空自衛官です。そのような人も、受け入れています。幹部になる人たちなので、平均年齢は47歳でした。
彼らは、インターネットによる e-ラーニングを、4か月受けてから、入校します。教育訓練を効率的にするために、このような自宅学習を取り入れています。パソコン画面で授業を受け、そこに示される小テストに回答しないと、次に進めないようになっています。各人の進捗状況は、消防大学校で監視しています。勤務をしながらの自宅学習なので、結構大変です。さらに、入校すると、達成度テストがあります。
学校では、約2か月、220時間の授業・訓練を受けます。法規、リーダーシップ論、組織管理、危機管理、指揮訓練のほか、消防特有のものとして惨事ストレス対策などもあります。
彼らが、立派な幹部として活躍してくれることを、期待しています。

金融再生大臣2年間に6人交代

15日の朝日新聞変転経済は、銀行への公金投入でした。1990年代以降投入された公的資金総額は47兆円、1年の国家予算の半分くらいです。このうち回収できる分を除くと、9兆円程度が返ってこないので、国民負担になるようです。
あわせて記事では、一時国有化銀行の売却の際の判断、貸出債権を良不良に振り分けると連鎖倒産が起きるかも知れないこと、瑕疵担保条項の機能など、難しい判断が必要だったことを指摘しています。
また、元金融再生委員の片田哲也さんは、次のような指摘をしておられます。
・・結局、そごう(デパート)は民事再生法を申請しました。その混乱のさなかにも再生委員長(金融再生担当大臣)の交代があり、大臣主導の政治判断がなかったのは心残りです。委員長は国益に関わる重大問題の責任者だったのに、あの金融危機の2年間に、延べ6人が次々と交代しました。これは理解しがたいことです・・

リーダーの力量・想像力の差

久しぶりに、「明るい係長講座」です。
管理職やリーダーの仕事は、次の二つに分けることができます。一つは、「決められた定型業務」です。もう一つは、「これまでにない新しい仕事」です。後者には、上司から命令された課題、未来に向けての企画、さらに事件事故など危機が生じた場合があります。
決められた定型業務なら、組織はきちんと処理してくれます。上司は、進行管理をしておればよいのです。これに対し、これまでにない仕事に取り組む際に、リーダーの能力に差が出ます。一方に、あわてふためく人、いろいろ悩むが結論の出せない人など、できの悪い上司がいます。それに対し、的確に仕事を進める頼もしい上司もいます。
その差は何か。私は、一言で言うと、それはその上司の持つ「想像力」の違いだと思います。どれだけ広い視野で、物事を考えることができるかです。危機が生じた時、想像していなかったことが起こると、パニックになります。想定内のことなら、上手に処理できます。新しいことを企画する時、想像力が貧困では、良いアイデアは出ません。アイデアが豊富なら、優れた案も出てきます。
その想像力の差は、何で生まれるか。何で身につけるか。
一つは、経験です。一度経験したことは、次には上手にこなせます。もう一つは、勉強です。歴史や他人の経験を知ることで、我が身に置き換えてうまく処理できます。古人曰く、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。
しかし、これまでにないことが起こる場合は、これらが役立ちません。その際に効果を発揮するのは、自ら想像してみることです。イマジネーションを膨らまして、「こんなことが起こったら、こうしよう」とか「あんなことが生じたら、ああしよう」とかです。議会の想定問答、記者会見での受け答えなどが、これです。
企画の場合は、いろんな人(専門家)を知っていることも、ここに分類しましょう。自分一人で考えるには限界があるので、想像力のアウトソーシングをするのです。しかし最後は、その人が決めなければなりません。
軍隊の参謀や、知恵モノといわれる職員など。彼らに共通することは、「想像力が豊富」ということでしょう。少し範囲を広げると、新しいことを発明する技術者、新しい理論を見いだす科学者は、日夜新しいことを想像しています。さらに、球技などのスポーツ選手や将棋などのゲームにも、当てはまります。「相手は、次にどのように攻めてくるか」、これを読むことが、勝つ秘訣です。
もちろん、想像力が豊かなだけでは、ことは成就しません。次に、それを実現する過程が必要です。(続く)

党首討論

12日の朝日新聞社説は、「給油で国会延長―党首討論はどうした」でした。
・・きょう予定されていた福田首相と小沢民主党代表の党首討論が、またも見送られた。いまの国会がはじまって3カ月がたつというのに、党首討論は一度も開かれていない。異常な事態である。
党首討論はテレビ中継され、国民の関心も高い。政府・与党を追及し、自らの政権担当能力をアピールする。野党にとって、絶好の晴れ舞台のはずだ。・・
社説にもあるように、この制度は、2001年の省庁改革の際に、政治家主導の国会改革の一環として導入されました。予算委員会などで、総理が国会に出席する週は、開かない取り決めになっていますが。

持田先生・続き

3 小さな政府・大きな政府論
GDP比で測ると、日本は国民負担では小さな政府、歳出では中規模の政府になります(差は、借金)。大きい小さいは、国際比較です。(財務省の資料をご覧ください)
でも、子供のいる家庭に給付金を出せば、それだけ全体の財政がふくらみます。同じ金額を各家庭に減税すれば、全体の財政規模は小さくなります。効果は同じでも、手法によって、財政規模は変わるのです。
もう一つの例を、出しましょう。自賠責保険です。自動車事故に備えて、強制加入になっています。でも、実際の保険は、民間会社に任せています。政府がしているのは、法律で強制することと、無保険者が起こした事故についての補償です。国が保険を直営するより、はるかに歳出規模は小さくなります。
それはさておき、行政学にこの議論を広げれば、単に財政規模の大小ではなく、「範囲」と「程度」と「効率」の議論になります。
政府がどのような問題まで引き受けるかが、「範囲」の問題です。かつて、高齢者の介護は、家庭の仕事でした。その後、福祉として介護サービスを導入し、さらに2000年には公的保険制度にしました。これで、政府の仕事は増えました。以前より、大きな政府になったのです。
次に、どの程度まで介護サービスを提供するか、これが「程度」の問題です。もちろん、サービスを手厚くすれば、負担も増えます。そして、大きな政府になります。
さらに、「効率」の問題があります。同じサービスをするのに、自治体が直営するのか、民間委託にして、安くあげるのかです。ごみ収集や学校給食など、市町村の直営と民間委託とでは、コストに2倍の差があると報告されていました。
もう一度介護を例に出すと、昔は行政が直営し、ホームヘルパーは公務員が多かったのです。しかし、介護保険導入に際し、介護される人が、民間サービスを選ぶ形にしました。
かつての「小さな政府論」は、行政改革としての効率化、多くは民間委託の推進でした。しかし、それは、今の議論で言うと、最後の「効率」の話です。
私は、これからの政府と自治体は、「引き受ける範囲は広いが、効率的でスリムな政府」になるべきと考えています。
4 地方交付税制度による「所得再分配」機能
先生は、次のように書いておられます。
「・・日本では、大都市と地域、また近代部門と農業などの伝統部門との格差が大きい。このため所得階層間ではなく、むしろ地域間、産業間を基準にした再分配のウェートが高い。地方財政調整制度によって、ナショナル・スタンダードでのサービス供給の財源が保障されている・・」
指摘の通りだと思います。
地方交付税制度は、自治体間格差だけでなく、結果として個人間の格差も調整してきました。生活保護などは直接、学校教育などは現物給付として、公共事業産業振興は雇用を通して間接的にです。
この点に関して、私はかつて、地方財政制度(補助金と交付税)の機能として、「地域間再配分と国民間再配分を分けて議論すべき」と発言したことがあります。(パネルディスカッション「都市対地方:財政、公共事業、一極集中の是非をめぐって」日本経済学会2004年度秋季大会)
(この項続く)