投稿者アーカイブ:岡本全勝

国立公文書館

2017年2月23日   岡本全勝

国立公文書館って、ご存じですか。政府の公文書を保管展示する施設です。皇居の北側、近代美術館の隣にあります。
今、「漂流ものがたり」という展示をしています(3月7日まで)。これは、必見です。
江戸時代に外国に漂流した日本人の記録、それも生きて帰ってきた記録です。私も言われて気づいたのですが、出ていく日本人がいれば、流れて来る外国人もいます。その記録もあります。よくまあ、紙の文書が残ったものですね。それを取り調べた藩の記録が、江戸幕府に届き、その文書が明治政府に引き継がれたのでしょう。
幕政時代の公的機関の記録だそうですが、漂流という状況での人間の生き様が垣間見れて、興味をひきました。井上靖や吉村昭をはじめ、小説の題材にされたものもあるそうです。

あわせて、明治以来の内閣の文書も展示されています。明治天皇と大臣の署名、昭和天皇と大臣の署名。字の上手下手も含めて、興味深いです。
森有礼や佐藤栄作の字は、素人が見てもすばらしいですね。森有礼は、明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法発布の詔書に署名した後、発布式典当日の朝に暗殺されます。
終戦の詔書(昭和20年8月15日)に前日夜に署名した陸軍大臣の阿南惟幾は、15日早朝自決します。そう思って展示されている文書を見ると、無味乾燥な事実が、人による生々しい生き様に見えてきます。
それにつけても、子供の時に、お習字教室を逃げた我が身を反省します(大隈重信も字が下手で、直筆署名は展示されている大日本国憲法発布詔勅のほかは数件しかないそうです)。

新著の反応2

2017年2月22日   岡本全勝

私の発言や出版物によく目を通してくださる「読者」が、数人おられます。そして、厳しい意見をくださいます。
ある自治体トップは、2月20日発行の「地方行政」連載「明るい公務員講座・失敗の後始末」について、「今回の記述は、実感がこもっていましたねえ。全勝さんの経験がにじみ出ていました。笑い」と。そうですね、初めてこのようなことを経験したときは、「なんで、私がこんなことをしなければならないんや」と思いましたが、その後「これが仕事や、勉強や」と思うようになりました。
また、「今回は「中級編」ではなく、「上級編」ですね」と言ってくださる人も。確かに、そうですね。

別の方からは、新著『明るい公務員講座』について、「えらく売れているようですよ。アマゾンで、売れ行き上位に入っています」とのこと。うれしいですね。私のこのホームページの読者が買ってくださっているだけでは、ここまで売れませんね。

明るい公務員講座・中級編14

2017年2月22日   岡本全勝

『地方行政』連載「明るい公務員講座・中級編」の第14回「交渉(5)失敗の後始末」が発行されました。庁外との関係で「楽しくない」けれども、重要な仕事があります。その二つ目が、部下や組織の失敗の後始末です。
失敗や不祥事は起きないことが理想ですが、なくなりませんねえ。その際に、どのように後始末をするか。これは組織の幹部としては「必須科目」です。しかし、役所も民間事業所でも、これまで組織的・系統的に教えてもらっていないようです。

有名企業幹部のお詫びの記者会見を見るたびに、「下手やなあ」と思います。
私は若い時から何度も、組織を代表してお詫びの記者会見をしました。最初は下手でした。経験を積み重ねて、上手になりました(と思います)。逃げてはいけません。詳しくは、本文をお読みください。
このような記述が活字になるのは、多分初めてでしょう。評論家は、このような経験がありません。幹部は、こんなことを文章にするのは嫌がるでしょうね。でも、私が経験した中でも、後輩たちに教えたい「重要な事柄」です。そう思って、書きました。
内容は、次の通りです。
失敗が起きた、1上司への報告、2事実の確認、3関係者へのおわびと公表、4再発防止策、5関係者の処分、おわびの仕方・形が大切、おわびの仕方・中身が大切、調査と再発防止、嫌な仕事は課長の仕事、叱ってはいけない。

世界的幹部の育成

2017年2月22日   岡本全勝

2月20日の朝日新聞「カイシャの進化」は「日立製作所、決断下すラストマンたれ」でした。
日立は、将来の幹部を、海外を含め経験を積ませています。このホームページでも何度か取り上げた、川村元会長の方針です。
・・・日立にとって鉄道事業は、国内のJRや大手私鉄に寄り添って仕事をこなせば収益を確保できる時代が続いた。海外はほとんど視野になかった。
だが、2008年のリーマン・ショックが日立を変えた。09年3月期に7873億円という史上最悪の純損失を計上。元副社長で子会社の日立マクセル会長に転じていた川村隆さん(77)が会長兼社長に就き、市場が縮む国内より海外を重視する経営にかじを切った。
国内で東芝や三菱重工業をライバル視してきた社員にも海外に目を向ける発想の転換を求め、「『ザ・ラストマン』であれ」というメッセージを投げかけた。
後ろには誰もいない。環境変化に機敏に対応して責任をもって決断できる人材。それを重視する考え方だった。前例踏襲の仕事のしかたを改め、自分で将来像を描いて課題をやり抜く覚悟を冨田さんら幹部に求めた。社長になる条件、という意味も込めていた・・
・・・川村さん自身、東大工学部を卒業、主力の原子力畑で日立工場長や副社長を歴任したエリートだ。ただ、「仕事をさばくことに懸命で、何をすべきかを考え抜かなかった。後部座席から(社長が座る)運転席を眺める副社長だった。『ラストマン』でなかった責任を痛感している」。そしてこうも言う。「日立全体がサボり続けていた」
かつての日立に、子会社に転じた幹部を本社に戻す選択肢はなかった。だが、川村さんの後任はハードディスク駆動装置(HDD)子会社を再建した中西宏明・現会長(70)。その後任の現社長も欧州子会社で経験を積み、国内子会社の社長も務めた東原敏昭さん(62)。トップとして決断を重ねた実績が買われた。
「ラストマン」を育てるべきだ――。中西社長時代の12年、川村さんの考えを受け継ぎ、社長や役員候補の育成をはじめた。
専務、常務クラスの事業ごとの部門長が部下から幹部候補を選んで、今後の育成や配置を東原社長と協議する。グローバル・リーダーシップ・ディベロップメント(GLD)という制度だ。約600人の候補枠は、40代の中堅社員を中心に毎年更新される。同世代の1~2%という狭き門・・・
全文をお読みください。

ミャンマーの民主化

2017年2月21日   岡本全勝

2月17日の朝日新聞オピニオン欄はテインセイン・ミャンマー前大統領のインタビュー「軍政に幕を引く」でした。詳しくは原文を読んでいただくとして。
軍事政権を平和裏に民政に移管しました。2003年に、軍事政権が民主化への行程表を発表し、憲法策定のための国民会議の再開、憲法の基本方針の審議、憲法草案の起草、国民投票、総選挙実施、国会召集、大統領選出の道筋を示しました。民主化には紆余曲折があり、2016年に、アウンサンスーチー氏率いる野党に政権を渡しました。
インタビューでは、民主化の前提として経済発展を進めたことが述べられています。
・・・ただ、すぐに民主主義体制になる、というわけにはいきません。経済面で課題がありました。車道もない、橋もない、教育施設もない。インフラが貧弱ななかでは、民主化はすぐには達成できません。まず経済を発展させ、インフラを整え、教育を立て直すことが必要だったのです。
「経済の基礎がなければ民主化が進まないと考えていた、と?」
・・・そうです。だから、まずはインフラを整え、経済を発展させる必要があると思っていました。
経済を立て直し、教育も推進するため、2003年にロードマップ(行程表)7点を策定しました。それをステップ・バイ・ステップで進行させていったのです・・・
・・・繰り返しになりますが、民主化の移行のためには基本的に必要な『土台』があります。経済発展です。経済がしっかりしないまま民主化に突き進み、失敗した例は海外にたくさんあるではないですか。橋や道路、大学を整えるのには時間が必要だったのです・・・

国づくりを進める際の、苦労がでています。指摘されているように、民主化だけを進めても、国民の不満が出て政情が不安定になった例は、最近のイスラム圏にも見られます。経済、インフラ、教育などを整える必要があります。いろいろな問題があることを認めつつも、暴動や流血なしに民主化した例、軍政幹部が指導して民主化した例として、高く評価されるべきだと思います。