連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第137回「「小さな政府」「官の役割変更」ー行政改革の分類」が、発行されました。
前回、第3期(1990年代と2000年代)の行政改革の分類表を載せました。今回は、その表に沿って、各項目を説明します。
まずは、「小さな政府」を目指す改革で、予算組織定員の削減、財政再建、官から民へ、業務の効率化です。
次に、官の役割変更と経済活性化で、国から地方への分権、規制改革です。
連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第137回「「小さな政府」「官の役割変更」ー行政改革の分類」が、発行されました。
前回、第3期(1990年代と2000年代)の行政改革の分類表を載せました。今回は、その表に沿って、各項目を説明します。
まずは、「小さな政府」を目指す改革で、予算組織定員の削減、財政再建、官から民へ、業務の効率化です。
次に、官の役割変更と経済活性化で、国から地方への分権、規制改革です。
12月1日の朝日新聞に「民間初の挑戦、支える宇宙保険 三井住友海上、オーダーメイドで設計」が載っていました。
・・・日本の宇宙ベンチャー「ispace(アイスペース)」(東京)が、無人の月着陸船を打ち上げる。無事に月までたどり着けば、民間初の偉業となる可能性がある。その歴史的な挑戦を陰で支えているのは、日本の損害保険会社による宇宙保険だ。
民間初となる月探査計画「HAKUTO―R」で保険を引き受けるのは三井住友海上火災保険。アイスペースと共同で「月保険」を開発した。打ち上げから月面着陸までに起こりうる損害を切れ目なく補償する。月着陸船から発信されるデータによって異常を検知して、保険金を支払う仕組みだという。
三井住友海上は宇宙保険との関わりが古い。宇宙開発事業団(NASDA、現宇宙航空研究開発機構〈JAXA〉)初の人工衛星「きく1号」が打ち上げられた1975年、打ち上げ場所の周辺家屋などへの損害リスクを補償する「宇宙賠償責任保険」を国内で先駆けて開発した。以来、50年近く手がけてきた・・・
保険の起源の一つは、中世欧州での船舶保険です。航海は儲かる代わりに危険も大きく、その危険を分散したのが保険です。現在においても、これまでにない新しい事業に乗り出す場合には同じ問題があります。それを支えるのが、損害保険です。経済発展を支える大きな公共的役割があります。
「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす」「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」は、それぞれ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の句、人柄を表したものとして有名です。もっとも出典は明らかではなく、後世の人がつくったのでしょう。それにしても、よくできた話です。
これを、現在の管理職に当てはめてみましょう。職員を動かし、仕事を仕上げる場合にです。
「殺してしまえ」は、通用しません。「鳴くまでまとう」も、期限が決められている業務には当てはまりません。ただし、家康はただ待っていただけではなく、さまざまな仕掛けをして、時期を待っていたのですが。
「鳴かせて見せよう」は、頼もしい発言です。相手が物なら、この言葉も効果があるのですが。相手が部下なら、なかなか思うようには動いてくれないのですよね。
どうしたら、職員にやる気になってもらえるか。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は、山本五十六元帥の名文句です。
すると、私流に変えると「鳴かぬなら その気にさせよう ほととぎす」です。そのコツは、明確な指示を出すことと、褒めることです。
12月4日の朝日新聞「日曜に想う」、曽我豪・編集委員の「合意形成、国会に残る良き前例」から。
旧統一教会問題を受けた被害者救済新法の与野党協議がまさに正念場だ。政府案の実効性を疑う声が弁護士ら現場から出たが、岸田文雄首相が旗を振って修正へと歩み寄る。防衛費など今後の政策論議を思えば、合意形成の成否は重い。
国会は良き前例を持つ。自民党政権とて1992年には国連平和維持活動(PKO)協力法を野党・公明、民社両党との修正合意により成立させ、98年にも自民・塩崎恭久、民主・枝野幸男両氏ら「政策新人類」が与野党の垣根を越えて金融再生法をまとめた。逆に民主党政権下の2011年には塩崎氏ら野党の提起が超党派の合意を生んで国会に原発事故調査委員会が設置された。
いずれも政権党が参院選で大敗して衆参のねじれを抱え、野党の協力を不可欠とする事情はあった。だが冷戦の終結に伴う国際貢献から金融不安の解消、東日本大震災が残した原発事故の原因究明まで、危機の時代に即応する処方箋作りが国会に問われた共通点は見逃せない。
どうやって国会は合意形成への道を切り開いたのか。事故調の設置当時、民主党で衆院議院運営委員会の与党側筆頭理事だった松野頼久氏(62)に聞いた。
「私はずっと議会運営を担当してきておかしいと思っていました。本来は国民の代表である国会が法律を作るのが筋なのに、日本では行政が執行ばかりか法律作りまで担う。閣法が議員立法より優先され、与党は行政に気兼ねし古い慣習や前例にすがる。政権交代を果たしたからこそ、国会を本来の姿に戻したかった」
「議運の野党側筆頭理事だった自民党の菅義偉氏から事故調の提案を受けた際に『やりましょう。この問題では与党も野党もない』と即答したのはそのためです。原発の安全神話が崩れても、それを推進してきた経済産業省などにフェアな原因究明はできまい。行政をチェックする国会の本領発揮と思い、臨時国会延長の機会をとらえ一気にまとめました」
中條高徳著『陸軍士官学校の人間学 戦争で磨かれたリーダーシップ・人材教育・マーケティング』(2010年、講談社+α新書) を読みました。あるところで紹介されていたので。
中條さんは、陸軍士官学校で終戦を迎え、アサヒビールに入社。戦前は75%の市場占有率を持っていた会社が、戦後の解体、キリンビールとの戦いに負けて、キリンが6割・アサヒが1割にまで落ちます。スーパードライをヒットさせて、大逆転した立役者です。そのいきさつは本を読んでいただくとして、次のようなくだりがあります。
キリンの拡大、アサヒの凋落に対し、中條さんたちは危機感を持ちます。ところが、中には「給料はそこそこもらえているし、アサヒは老舗の会社なのだから、変わらなくてもいいでしょう」と言ったり、中條さんが生ビールで勝負しようとしたら「そんな簡単にいくわけがないよ」と反対する人がいます。
会社の上層部には戦前からの社員がいますが、彼らは大卒のエリートで、「人生を比較的スムーズに歩んできた恵まれた人々のせいか、少しでも壁にぶち当たると意気消沈してしまい、陰口をたたいたり、弱音を吐いたりするようになる。
私が恐れたのは、やる気がある他の社員が彼らの影響を受けてしまい、ネガティブな意識が会社全体に広がってしまうことでした。かの有名な「グレシャムの法則」は「悪貨は良貨を駆逐する」と説いていますが、そんな状況に陥ってしまったら、本当にアサヒは死んでしまうと思ったのです」90ページ。
1982年、アサヒビールは業績不振の極みでした。当然、社内には鬱屈したムードが流れていた。
私のように「このままではアサヒは駄目だ。なんとかしなくてはいけない!」という急進派と、「下手に動いて元も子もなくなるより、現状を維持できるよう努めよう」という穏健派、そして「アサヒは老舗の大企業だ。今日明日、会社が潰れるわけじゃない・・・」という無気力派に別れていたのでした。143ページ。
参考「社風をつくる、社風を変える」「組織運営の要諦2」