鎌田浩毅著『理学博士の本棚』

鎌田浩毅著『理学博士の本棚』(2020年、角川新書)を紹介します。
帯とあとがきに、「科学者が愛した中古典の名著」とあります。こちらの表現の方が、わかりやすいです。古典(大古典)と呼ばれるような本ではなく、鎌田先生が若い時に読んだ本、先生の科学者人生を作ってきた本です。

挙げられている書名を見ると、皆さんも「ああ、こういう本もあったな」「私も読んだ」と、思い当たる本が並んでいます。
鎌田先生、良いところに目をつけられましたね。古典の数々は、これまでも多くの方が紹介しておられます。それに対し、ここに挙げられた本は、古典でも大古典でないもの、また、まだ古典になっていないものです。
「B級グルメ」といったら、失礼になりますが。大古典は少々敬遠する人にとっても、これらの本は、取っつきやすいでしょう。

本のあらすじ、著者の紹介だけでなく、鎌田先生がその本をどのように読んだかが載っています。これは、読書の参考になるでしょう。
そして、さらに読みたい人のために、関連する書物が並んでいます。巻末には、出てきた本と著者名の索引もついています。親切です。

いつもながら、鎌田先生はとんでもない量の本を、読んでおられますね。しかも、それを覚えておられる。脱帽です。

UR都市機構の復興貢献

独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)が、被災地の復興に貢献してくださっています。
これまでにない大災害で、町を作り直します。市町村役場にも県庁にも、それだけの経験も能力もなく、職員もいません。企画、設計、工事どの場面においてもです。そして、工事は急ぐ必要があります。
大手工事業者も力強い味方ですが、国の関係機関である都市再生機構は、自治体にとって「信用でき安心できる」組織なのです。

岩手県と宮城県での津波被災地での工事は、ほぼ終わりました。福島の原発被災地での町の再生に、引き続き取り組んでもらっています。
福島についてのパンフレットができました。ご覧ください。インフラ工事だけでなく、にぎわい創出などにも、取り組んでもらっています(P6)。

連載「公共を創る」第31回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第31回「社会的共通資本 文化資本がつくる社会の違い」が、発行されました。
私たちが暮らしていく際に必要な、「社会の装置や環境」を考えています。施設資本や制度資本は、既に学問でよく取り上げられています。それに対し、関係資本や文化資本は、ソーシャル・キャピタルとして近年取り上げられるようになりました。その意義や機能についての議論は、まだ少ないようです。

国によって、経済状況や治安状態が違います。なぜ豊かな国と貧しい国が生まれるのか。安全な地域と危険な地域が生まれるのか。そこでは、政治制度や経済制度の違いだけでなく、関係資本と文化資本が重要な役割を果たしています。

それらに関する学問として、文化人類学や社会人類学があります。中根千枝先生の『タテ社会の人間関係』は読まれた方も多いでしょう。これら先達の成果も参考にしつつ、日本社会を考えます。
執筆に当たって、かつて読んだ本を思い出し、引っ張り出しています。その時々に書いて残してあった文章やメモが頼りです。内容はうろ覚えなので、確認する必要があります。書棚で見つからない本は、仕方なく、アマゾンで中古を買っています。

外国語の日本語表記

新聞社を始め出版社には、表記の定めがあります。外国語を日本語に移す際もです。
「ヴ」「ヴァ」「ヴィ」を、「ウ」「バ」「ビ」に変えることが多いようです。
するとどうなるか。
マックス・ヴェーバーがマックス・ウェーバーに、
アレクシ・トクヴィルがアレクシ・トクビルに、
カレル・ヴァン・ウォルフレンがカレル・バン・ウォルフレンになります。

それでなのですね、マックス・ウェーバー(Max Weber)は。
私は学生時代に、マックス・ウェーバーと習いました。でも、ドイツ人の彼が、なぜ英語風にウェーバーと表記されるのか不思議でした。日本の社会学は、戦前はドイツやフランスをお手本にしましたから、英語経由で入ってきたはずはないのに・・・と。
これまでの出版業界での表記が、ヴェでなくウェだったのですね。

日本美術を見せる

以前から疑問に思っているのですが。
日本美術を専門にした大きな美術館がありません。山種美術館三井記念美術館泉屋博古館など、小ぶりで良い民間の美術館は、いくつもありますが。

国立には、東京国立博物館、国立西洋美術館、国立近代美術館はあるのです。国立日本美術館はないのです。たぶん、こういうことだと思います。
文物については、博物ということで、国立博物館でも集めた。美術は、西欧の美術を紹介するために、力を入れた。他方で、日本美術は、国家が集めなくても、身の回りにたくさんある。ということではなかったのでしょうか。

欧米でも、美術館、博物館は、よその国から集めてきた珍しいものを展示したようですから。美術品は、購入者や支援者がないと、政策は成り立ちません。スポンサーです。王侯貴族やお金持ちです。
で、日本でも、藩主や財閥、お寺が持っていました。いくつかの美術館はその系統です。維持できなかったものは売られて、散逸あるいは美術館に収まりました。

なぜ、このようなことを指摘するのか。海外からの訪問者に、「日本美術を見るならここに行きなさい」と紹介する場所に悩むからです。
日本美術をたくさん所蔵している美術館は、東京国立博物館、京都国立博物館、九州国立博物館のようです。
東京国立博物館は、それなりに日本の文物を紹介するには良いのですが、分野が広すぎます。ハニワから刀までありますからね。近年開かれる特別展も良い企画があるのですが、焦点を何に絞っているのか、わかりにくくなっています。日本人を相手に、珍しいものを見せるのか。その際に、外国人はどう扱っているのかです。

外国人、あるいは日本人でも若い人に、日本美術を見せる施設や工夫が欲しいです。実物はいくつもの美術館に分散保管されているとして。系統だって見せる施設。そしてこの時代ですから、インターネットで多くのものを見ることができる仕組みです。
日本美術だけでなく、伝統芸能の世界も、外国人観光客に近寄りやすくなっているのでしょうか。